承認欲求とは一種の病である。
未来あるボカロP様はいつか必ず承認欲求と 現実とのギャップに悩むことになる。
かくいう私もそうであった。
堂夏PのボカロPとしての敗因の一つに承認欲求を抑えきれなかったことによる自爆があげられる。
堂夏Pは正直ボカロPとしてびっくりする程ダメダメだった。
未来あるボカロP様は是非私の失敗から何かを学んでほしい。
思い返してみれば私の曲は投稿頻度が高くクオリティが激低だった。
編曲の知識も機材もない私はスマホのBandLabというアプリとボロいPCの初音ミク、あるいはPaintvoiceという無料アプリの重音テトで見よう見まねで曲を作ってた。
早い安いまずいみたいな感じのボカロ曲しか 作れなかった。
何故そうなったかと言うと、いいねとコメントをもらうことをモチベーションに曲を作っていたからだ。
そのため編曲を疎かにし、調声もろくにせず
MVのクオリティの低い曲を量産し続けた。
もっと時間をかけて丁寧に曲を作るべきだった。
そしてTiktok やYoutube においてクオリティの低い動画を毎日投稿し続けるのは悪手だった。
何故ならTiktok やYoutube は投稿頻度が高すぎるとスパムと見なされBANされてしまうからだ。
これをすると再生数が500回くらいしかいかなくなる。
結果的に私のアカウントはシャドーバンをくらい当時1万いいねはもらっていた Tiktok のどうも夜行性人間です。のMV及び 1600いいねもらっていた『白雪姫は眠れない/重音テト』のMVごと自らのアカウントを消してしまったのだ。
堂夏Pは肥大化した承認欲求によって自滅した。
どのくらいの投稿頻度が適切なのかは私には分からない。
ここで未来あるボカロP様達に伝えたいことは人は承認欲求で身を滅ぼすことがあるということだ。
私はTiktok やSNSを辞めた今でも承認欲求という病が完治したとは思っていない。
今でさえテラーノベルのいいね数に一喜一憂している有り様だ。
自らの承認欲求モンスターと向き合うことも
創作者という生き物の永遠の課題なのかもしれない。
(最後まで読んでくださりありがとうございました。)