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翌朝、目が覚めると部屋の中が静かだった。
(あれ……)
柚葉はぼんやりとまばたきし
昨夜の出来事を思い出した。
こたつに入ったまま寝落ちしてしまったらしく、目の前には冬真の姿がない。
「……逃げた?」
不安になり、ガバッと起き上がる。
けれどすぐにキッチンのほうから微かな物音が聞こえてきた。
「……?」
恐る恐る覗くと、そこには冬真の姿があった。
昨夜貸したスウェット姿のまま
柚葉の小さなキッチンに立ち、慣れない手つきで何かを作っている。
「……冬真?」
「!?」
驚いたように振り返った冬真の手には
卵とフライパンがあった。
「なにしてんの?」
「あ……その……朝ごはん、作ろうと思って」
「え?」
柚葉は思わず呆気にとられる。
「昨日、ご飯もお風呂もお世話になったし……せめて、何かできることしないと、と思って」
冬真はバツが悪そうに視線を落とした。
「でも、料理したことなくて……上手くいかないかも」
ふと見ると
フライパンの中には少し焦げた目玉焼きがあった。
(あはは……)
柚葉は思わず笑ってしまった。
「なに笑ってんの」
「いや、ごめん。でも、かわいすぎでしょ」
「は!? かわいくない!」
耳まで赤くなった冬真に
柚葉はくすくす笑いながら彼の横に並ぶ。
「貸して。卵、もう一個ある?」
「……うん」
「じゃ、一緒に作ろうか」
フライパンを持つ冬真の手に、そっと自分の手を重ねる。
「最初はね、火は弱めで……」
「……うん」
そうして始まった、二人の小さな朝食作り。
昨夜は見せなかった冬真のぎこちない笑顔に
柚葉の胸が少しだけ温かくなるのを感じた。
(この子が帰る場所を見つけるまで……もう少しだけ、そばにいてもいいかな)
そんなことを考えながら、柚葉は目玉焼きをひっくり返した——。
「おー、いい感じじゃん」
柚葉が焼いた目玉焼きは
ほどよく半熟で綺麗な形をしていた。
「……俺のと全然違う」
冬真がしょんぼりと自分の焦げた目玉焼きを見つめる。
「最初はこんなもんだよ。ほら、どっちもちゃんと食べるから、気にしない」
柚葉は笑いながら皿にそれぞれの目玉焼きを盛りつけた。
トーストも用意して、簡単な朝食が完成する。
「いただきます」
「……いただきます」
冬真は少し緊張したように
自分が作った目玉焼きを一口食べた。
「……ん」
「どう?」
「……ちょっと焦げてるけど、食べれなくはない」
「そりゃよかった」
柚葉も自分のを食べながら、ちらりと冬真を見る。
(昨日より、少し顔色がいいかな)
昨日拾ったときの彼は
寒さだけじゃなく、何かに怯えているようだった。でも、今は少しだけ柔らかい表情をしている。
「……なに?」
「んーん。ちゃんと食べて偉いなって思っただけ」
「……子供扱いするな」
「はいはい」
拗ねたようにトーストをかじる冬真を見て、柚葉はまた小さく笑った。
食事を終えたあと、冬真は少し申し訳なさそうに言った。
「……そろそろ行かないと」
「どこに?」
「……わかんない」
その一言に、柚葉はため息をついた。
「行くとこないんでしょ?」
「……でも」
「だったら、もうちょっとここにいなよ」
冬真は驚いたように柚葉を見つめる。
「迷惑、じゃないの?」
「だったら、最初から拾ってないよ」
「……」
「ほら、バイトでも探してみたら? うち、泊まるだけなら何とかなるし」
「……本気?」
「本気」
柚葉がさらりと言うと
冬真は唇をぎゅっと結び、しばらく考え込んだ。
そして、小さく息を吐きながら頷いた。
「……じゃあ、少しだけ……お世話になります」
「よろしい」
柚葉は満足そうに頷く。
それから数日
冬真は柚葉の部屋に居候することになった。
最初は遠慮がちだったが、柚葉の「気にしないでいいから」という言葉に少しずつ慣れたのか、最低限の生活リズムは整い始めた。
「これ、ゴミ出しといた」
「お、ありがと」
「あと、風呂掃除もしておいた」
「え、めっちゃ助かるんだけど」
冬真は何かしら手伝いをしようとしてくれる。
最初はバイトを探すと言っていたが、未成年が保証人なしで働ける場所は限られていて、なかなか見つからなかった。
「焦らなくていいって。しばらくここにいてもいいんだから」
「……でも」
「恩返しなら、家事を手伝うとかでも十分でしょ」
「……それでいいなら」
そんなやりとりを繰り返しながら、少しずつ冬真はこの部屋に馴染んでいった。
ある日、柚葉が仕事から帰ると、部屋の中がふんわりといい匂いに包まれていた。
「……ん? 何の匂い?」
玄関を開けると、エプロン姿の冬真がキッチンに立っていた。
「あ、帰ったの?」
「え、何その格好」
「……料理、してみた」
「マジで?」
驚いてキッチンを覗くと
鍋の中にはシチューがぐつぐつと煮込まれていた。
「あんた、料理できないって言ってたじゃん」
「ネットで調べたら、意外と簡単だった」
「はー……成長したねぇ」
柚葉が感心したように言うと、冬真は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「……前に、柚葉さんが作ってくれたシチュー、美味しかったから。俺も作ってみようかなって」
「……そっか」
それを聞いた瞬間、なんだか胸がぽっと温かくなった。
「じゃあ、いただきます」
スプーンですくい、一口食べる。
「……おお、美味しいじゃん」
「ほんと?」
「うん、ちゃんとシチューの味する」
冬真は安堵したように小さく笑った。
「……よかった」
(……なんか、いいな)
ひとり暮らしをしていて、仕事が終わって帰ってきたらご飯があるなんて、今までなかった。
それが、たった数日前まで赤の他人だった冬真の手作りだなんて、不思議な感じだった。
「……さ、食べよ」
「うん」
二人で向かい合って食べる夕飯。
それは、なんだかすごく、温かい時間だった。
それから
冬真との共同生活はゆるやかに続いた。
最初は遠慮していた冬真も、少しずつ柚葉の部屋でくつろぐようになった。
夜、こたつに入ってテレビを見たり
朝、眠そうに目をこすりながらパンをかじったり——そんな何気ない時間が、柚葉にとっても自然になっていった。
ある日、柚葉が仕事を終えて帰ると
冬真がリビングでスマホを見ながら、どこか落ち着かない様子で座っていた。
「……ただいま」
「……おかえり」
返事はしたものの、なんだか元気がない。
「どした?」
「……」
冬真は少し躊躇ってから、スマホを柚葉に見せた。
画面には、求人情報のページが開かれている。
「バイト、決まった」
「え、ほんと?」
「コンビニ。夜勤じゃなくて、夕方からのシフトなら高校生でも働けるって」
「おー、やるじゃん」
柚葉は素直に感心した。
「でも……」
「でも?」
「……働いたら、もうここにいちゃダメかなって」
冬真は不安そうに視線を落とす。
「……いつまでも甘えてたらダメだし、自分で稼いだら、どこか別の場所を探さなきゃって……思うんだけど……」
ぽつぽつと話す冬真の表情は、不安と迷いで揺れていた。
柚葉は少し考えて、それからふっと笑った。
「別に、すぐに出ていけなんて言わないよ」
「……え?」
「むしろ、自分でお金稼げるようになるなら、それこそ生活費少しだけ入れてくれればいいし」
「生活費……?」
「そ。そうしたら、居候じゃなくて『ルームシェア』ってことでしょ?」
冬真は目を瞬かせた。
「……俺と?」
「うん」
「ルームシェア……」
ぼそりと呟いて、冬真は少し考え込んだ。
それから、小さく息を吐くと、ふっと笑った。
「……じゃあ、もう少しだけ、ここにいてもいい?」
「もちろん」
柚葉が頷くと、冬真はどこか安心したように肩の力を抜いた。
こうして、二人の奇妙な同居生活は「一時的なもの」から「ちゃんとした生活」へと変わりつつあった——。