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甘夏剤
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ドッペルゲンガーが出る話
後編
「額縁のモナリザ」
🟦🏺
『特殊刑事課つぼ浦匠、On Duty!!』
昨日の青井のせいでまだなんとなく痛い腰をさすりながら、重役出勤を決め込んだつぼ浦は無線に高らかに出勤を告げた。
つぼ浦は特殊刑事課である。特殊刑事課とは警察の中でもアウトローの独立愚連隊である。
繋いだ無線からは上官たちの『偽物が、』とか『見つけ次第、』とかいう大声が響き渡ってきて寝不足の頭にガンガン響いた。
つぼ浦はせっかく入った無線を叩き切った。真面目な仕事は本署のえらい人たちの担当だ。周りが忙しいときこそ特殊刑事課が細かな犯罪をカバーしなければならない。
細かいことはうるさいから全部無視して、自分のパトカーだけをひったくって今日も元気よく街にパトロールにでかけた。
街はなんとなくいつもと雰囲気が違った。何しろあまり人がいない。たまに見かけてもフラフラとぎこちない動きをしていてパトカーを見るとすぐに逃げていってしまう。追いかけても角を曲がった瞬間まるで溶けて消えてしまったかのようにどこにも見当たらないのだ。
「チクショウ、徒歩チェイスがうまい奴らしかいねぇな」
またしても取り逃がし、やる気だけが空回ってつぼ浦は渋々パトカーに戻った。小遣い稼ぎ、もとい罰金を切って警察金庫にお金を入れるのは大事な仕事だ。やたら逃げ足の早い不審者に職質すらかけられず大きなため息だけが漏れる。
肩透かしばかりで気が抜けて、一度本署に戻ろうとパトカーを再び走らせた。抜けたままだった無線にも入ろうかとスマホをポチポチしながら脇見運転していたつぼ浦の眼前に唐突に人影が現れた。
息を飲んでブレーキペダルを強く踏み込み、ハンドルを切る。直進する慣性を消しきれないまま悲鳴のような音を立てて、黒いブレーキ痕をアスファルトに残し衝突する寸前でパトカーは止まった。
「んだよ、なにやってんだテメェ……って、アオセン!?」
道の真ん中に立っていたのは青井だった。不用意な市民にいちゃもんをつけようと車から飛び出したのに、怒りの行き場を見失ってつぼ浦はたじろいだ。
「……つぼ浦?」
黒い鬼の顔が当たり前のことを聞き返してきた。つぼ浦は「ハイ」とうなづいて青井の前に近寄る。
「どうしたんだよ、なんでこんなところにいるんっすか」
「ええっと、なんでだっけな」
「チクショウ、物忘れはいいけど徘徊までセットにならないでくれよ」
「ははは、ボケてなんかないよ。歩いてきたんだよ」
「歩いてって、本署から?ついにヘリクビになったんっすか?ざまあねぇな」
「なってないよ、……気がついたらここにいたんだよね」
イマイチ要領を得ない回答に首を傾げつつもつぼ浦は面倒になってそれ以上聞くのはやめた。どうせユガミとかホテンとかキョウセイメーソーとかそういうのだろう。突然のTP(遠くにポーン)は珍しくない。そんな事を考えていると青井が当然のような顔をして助手席に乗り込んできた。
「なんすか、本署送るか?」
「んー、お前はなにしてたの?」
「ア?パトロールっすよパトロール!アオセンが徘徊おじいちゃんしてる間にもしっかり仕事してたんだぜ、俺は」
「そうなんだ、偉いじゃん」
「……お?おう」
ジジィ扱いすると鬼のように怒ってくるのに今日はどうも張り合いがない。しかし青井を、恋人を横に乗せて車でパトロールする機会もあまりない。別の言い方をすれば上官を横に乗せているわけだが、つぼ浦は青井の甘さを信頼していた。
アクセルを踏めば再び窓の外の景色が動き出す。パトカーはあてどなくロスサントスの街中を走り始めた。
*
なんとなく浮ついた会話が車内を行き来していた。隣りに座っているのは間違いなく青井なのに、どことなく雰囲気が違う。しかしそれを言語化することができずつぼ浦はただ恋人とのフワフワした会話を楽しんでいた。
「今日なんか変っすね」
何度目かの指摘だった。この齟齬を無理矢理言語化するのであれば、甘い。そして優しい。いつもそうと言えばそうなのに、今日は青井から特にそれを感じて落ち着かなかった。
「そう?僕……俺はいつもこんなでしょ」
「ア?なんだよ、変ってことを前向きに肯定してくるなよ」
「いいじゃん、お前のこと好きだから」
「っ、……そういうのサラッと言うからズルいんだぞ」
「ん、どしたの?」
脈絡のない「好き」という言葉でも破壊力は充分だった。それはつぼ浦を全肯定する言葉だ。強い信頼を押し付けられて目の前がスパークした。
赤面したつぼ浦がハンドル操作を誤った。歩道に乗り上げたパトカーはいとも容易く消火栓をへし折った。そこから吹き上がった水柱が走り去る車のミラーに映っている。
季節は夏、青空には入道雲が削りたてのかき氷のように盛り上がっている。絵の具でも天に塗りつけたような空は青井の目の色によく似ていた。
「て、ていうか、取らないのかよ?そのお面」
ふにゃふにゃの口でつぼ浦は強引に会話を続けた。青井の突きつけてくる愛はつぼ浦にとっては違法薬物も同然だ。何度言われても慣れることはない。
「え?」
「ふ、二人きりのときはいつも、取ってるじゃないっすか」
「ああ……そうだね」
鬼の顔の下から出てきたのはいつもの眉目秀麗な顔だった。それがいつもよりもなんとなく柔和で、なんとなく艶めいて見えた。アクセルから足を離してちらりとその顔を伺って、目が合うと同時に前を見てアクセルを踏み込む。仕事をしている意識はとっくに吹き飛んでいて、もはや恋人同士のドライブの気分でつぼ浦は照れ隠しのように車を走らせた。
パトロールのふりをしたドライブデートの途中、昼食を買うためにつぼ浦は魔法少女カフェに立ち寄った。顔なじみの店長、にかりと今日も丁々発止のやり取りを繰り広げ、二人分の昼食を買った。
「そういえばさ、つぼ浦さん」
「あ?」
出口をまたぐ直前、にかりに呼び止められてつぼ浦は億劫そうに振り向いた。
外に出るとカウンターにいたはずのにかりが道をふらふら横断してどこかに歩いていく姿が見えた。声をかけることもせず、つぼ浦はその後ろ姿をただ目で追った。
「買ってきた?」
「ア?ああ、買ったぜ」
助手席から青井に声をかけられ、我に返ってビニール袋を持ち上げて見せる。
「牛タンと担々麺どっちがいいっすか?」
「車で担々麺はちょっと難易度高くない?」
「やられたな、それもそうだぜ。俺のジャグラーにぶちまけられても困るぜ」
ならばどこかで座って食べようかと高級住宅街の方に移動して、二人は高台の広場で車を降りた。白々と街を照らす陽光から逃げるように木陰のベンチに座る。日本ならセミがうるさく鳴くのだろう。生憎ロスサントスで聞こえるのは遠いサイレンと心無きの罵声、それから木陰に吹き込む風の音くらいだった。
「ゴマ団子はガヤさんのサービスだぜ」
「そういえばお前ら仲良かったっけ」
紙袋に入ったゴマ団子を二人の間に置き、白米と牛タンをつぼ浦が、担々麺を青井が受け取り割り箸をパキッと割る。アメリカの風吹くロスサントスとはいえこのメニューなら箸は必須だ。綺麗に割った青井とは裏腹に、どうやったらそうなるのかわからない割れ方をした箸でつぼ浦は肉厚の牛タンを口に運んだ。米と交互に食べればそれはもはや約束された勝利、お口の中は桃源郷だ。レモンの効いたネギ塩ダレとコリコリの食感で体がビールを欲してしまう。
一方青井は赤い油の浮くスープに浸る麺をすすって顔をしかめている。
「うわ、これ結構ピリ辛やん」
「あれ、アオセンって辛いのダメだったか?」
「ううん、ダメ、じゃない……はず」
はっきりしない返事をする青井のことをつぼ浦は無言で見つめた。青井は赤い汁が服に飛ばないように慎重に食べている。つぼ浦はなにか言おうと口を開けた。しかし言葉が出ることはなく、そっと青井から目をそらした。
「辛いんなら特別に交換してやってもいいぞ」
「ほんとに?でもまあ大丈夫だよ、食べるよ」
「んだよ、痩せ我慢か?」
「違うよ、つぼ浦はそれを食べたいんでしょ?」
青井は牛タンを行儀悪く箸で指す。思わぬ答えにつぼ浦は返事に迷ってしまった。
「……そうだよな、アオセンは俺が好きなもん食ってんの好きだよな」
「好きなものを食ってるのを見るのが好きなんだよ」
「んだよ、言葉尻を捕らえんなよ」
「隙を見せたのが悪いー」
つぼ浦の腕をつついて青井は勝ち誇ったようにニヤニヤ笑っている。つぼ浦は口をモニョモニョさせていろんな文句を飲み込んだ。
ロスサントスは島なので海からの風が意外と吹き込む。とくに午後ともなれば街に溜まった熱気を吹き飛ばすほどの風が吹くこともある。二人の元へもよく風が吹き込んでいた。さわさわと揺れる梢が複雑な木漏れ日を万華鏡のように地面に落としている。
海から運ばれてきた風を一息吸って、つぼ浦は青井のことは見ずに口を開いた。
「……なんか今日、街が変じゃないか?」
「変って、どういうこと?」
「アオセンはなんか知らないのか?」
チラリと顔を見やる。警察無線に入って聞けば一発でわかるのだろう。だがつぼ浦は青井の答えを待った。
「知らないよ」
温度のない声だった。しかしそれを聞いてつぼ浦から安堵にも似たため息が出た。
高台からはロスサントス市街が一望できた。灰色のビルが立ち並ぶ中心街をゴマ粒サイズのヘリの影が飛び交っている。もっと向こうに目をやれば夏の日差しに照らされた海が、くしゃくしゃにしたアルミホイルのようにキラキラ輝いている。
二人がいつも駆け回る街はまるでミニチュアの模型のようだった。あの中の日々の喜怒哀楽をほんの少しだけ思い出して、つぼ浦は隣りに座る青井を見つめた。
「俺、アオセンのこと好きだろ?」
「どしたの急に」
「アンタが好きなんだよ、それは知ってるだろ?」
「うん、もちろん」
青い目を少し細めて、青井はにっこり微笑んだ。それはつぼ浦が好きになった青井だった。どこからどう見てもそうだった。
「俺、アオセンのこんなところが好きなんすよ」
そしてつぼ浦はゆっくり口を開いた。
「俺がしんどいとき、すぐ気づいて相談乗ってくれるよな。いつも全然話聞いてねぇのに、そういうときだけ何でも聞いてくれて、……俺よりも俺に詳しかったりしてよォ。チクショウ、ずりぃだろ、俺の特許は俺にあるんだぞ」
「あはは、そうなの?そんなふうに思ってたんだ」
「そうだぜ、でもいつもは話聞いてねぇからな!同じ説明3回くらいさせられてんだぞこっちは、ジジイがよォ」
「えーそうだっけ」
「そうだぜ、忘れる方は気楽でいいな。それに、……嫌だって言ってんのにやめてくれねぇし」
「ああ、お前が飛びそうなのに奥のほうグリグリしてやるときとか……」
「ウ゛ワーーーッやめろ!!!ひ、昼間に言うなそんなこと!!」
無遠慮に恥ずかしいことを言い出す青井の肩を、誰が見ているわけでもないのにガタガタ揺さぶる。事実だとしてもあけすけに言われると羞恥で手が震える。恥ずかしさごと吹き飛ばす勢いでつぼ浦はわめき散らした。
「やられたぜ、それに……そうだ!!アレだぜ、アオセンってお金持ちだもんな!」
「たしかにそうだけどさ、なに?」
「いつも俺のためにはなんでも買ってくれるよな。本当になんでも買ってくれるんだよな、アオセンって。本当になァ!」
「……そうだっけ?」
「そうだぜ。ロケランの弾なんて10でも20でもポンポン買ってくれるんだぜ、そういうところ好きだなー」
「うーん、そんな記憶……ないけどな」
明らかに棒読みでまくしたてるつぼ浦のことを青井は不審そうに見る。それからもつぼ浦は悪あがきで金にまつわる大きめの嘘から小さい嘘までついてみたが、青井は首を縦に振らなかった。
口さえ開けば言葉はいくらでも出てきた。青井のどこが好きなのか、どこが嫌なのか。つぼ浦はときに微笑み、ときに舌打ち混じりに青井の前で告白する。
「昨日流しに皿を普通においてたの嫌だったぞ」
「ああそうだったね、ごめんね」
「せめて水に浸しといてくれよ、疲れてるだろうし俺が洗うのは構わねぇからよ」
「うん、次からはそうするよ」
「本当頼むぜ。……あとこの前スーパーでどの塩を買うかで10分くらい悩んでたじゃないっすか」
「うん、そうだったね」
「でもコンビニ強盗のときに俺のこと庇って怪我したじゃないっすか」
「そうだね」
「なんで塩を買うのに10分も悩むのに、俺のこと庇うのに躊躇がないんっすか?変なところで思い切りがいいの怖いんだよ」
「ええー、それは……」
青井の目が宙を彷徨った。答えが返ってこない気配を感じ、つぼ浦はその思考に割り込んだ。
「アー、やっぱ俺、アオセンのことなんもわかんねぇや」
「つぼ浦がわかんないんなら俺もお手上げかもな」
うつむくつぼ浦の横で青井は肩をすくめてみせた。
薄い雲が太陽を遮った。淡い陽光はそれでもまだ熱さを保っている。つぼ浦の伸ばした足先だけが木陰からはみ出して、淡い日差しに焼かれていた。
「アオセンは俺のどこが好きなんすか?」
大量の告白、思い出話を終えて、つぼ浦はぽつりと問うた。青井は目を見開いて、それから優しく微笑んだ。
「俺は……」
「イヤ、いいっす」
しかしなにか言うより先につぼ浦が遮った。今、青井にこれを聞いてはいけない。そんな気がしたのだ。
気まずそうに長い足をベンチでブラブラさせるつぼ浦のことを青井はじっと見ていた。
「全部」
心臓が軋む音が聞こえた気がした。
体を捻って青井を見る。真っ直ぐな目がつぼ浦を見ていた。
「全部好きだよ」
「……答えになってねぇな」
呆れたような言葉を吐きながら、つぼ浦の脳裏をいつかの記憶がよぎった。
こんな会話を前にもしたことがある。
いつかと同じ模範解答。
これは思い出の再演、大好きな映画のリバイバル。
潮時だった。
「アンタ、偽物なんだろ?アオセンの」
ベンチから立ち上がり、つぼ浦は静かに告げた。
雲間から太陽が姿を現す。日向に立つ身体はすぐにジリジリと焦がされていく。それでもつぼ浦は微動だにせず青井の言葉を待った。
「……偽物、って?」
首を傾げる姿はつぼ浦の記憶の中にある青井と変わらなかった。
「魔法少女カフェで飯買ったときに全部聞いたぜ。今日は市民の偽物が湧いてて、警察が急いで処分してる。なぜならそいつは出会ったやつの記憶をコピーするから、ってな」
青井から笑みが消えた。ベンチからゆっくり体を起こし、つぼ浦の前に立つ。揺らめく木漏れ日が顔に歪んだ影を落としている。
「俺が、それだっていうの?」
「……アンタは俺の知ってるアオセンそのものだ。しかも悪気も悪意もなんもねぇ、本当に優しくて、甘くて……俺の理想の青井センパイだ」
噛みしめるようにつぼ浦は言った。文字通り歯を食いしばり、血の味でもするかのようだった。
ここにいるのはつぼ浦の中にある青井の記憶を模倣した偽物。しかもつぼ浦にとって大切な、大好きな部分だけをキャンバスに写し取った理想の青井だ。
しかし本物しか持ち得ない予想外の悪意も、そして押しつぶさんばかりの愛もここにはない。
ここにいるのは「計り知れる」青井だった。
「知ってたなら、どうして一緒にいたの?」
「……アンタが俺の理想だったから」
「それでも殺すんだ?」
「アンタは、理想でしかないから」
悔しさで手が震える。ここにいるのはつぼ浦の大事な記憶そのものだった。まるで名シーンだけを編集した映画のフィルム。しかしそこに新しいシーンが追加されることは絶対にない。
つぼ浦が愛する青井は隠し持った汚さと底しれない愛を抱え込んだ予想もつかない生き物だ。
額の中で微笑むモナリザは理想の姿だった。しかしつぼ浦の知らないことには答えられず、いくら理想の姿だったとしてもその手を取って歩くことはできない。
どうやっても額縁からは出られない。つぼ浦が見たいのは額縁に収まらない青井だった。
力を入れすぎて固まった指を腰のテーザー銃にかける。青井は微笑んだままだった。
「……逃げないのかよ」
「こういうときに、お前の中の俺は逃げる?」
「ッ……!!」
息を飲む鋭い音が響く。
様々な思いが荒れ狂う。ドッペルゲンガーは正体がバレたら逃げるという。しかし青井が、こういうときにつぼ浦を困らせるわけがない。まるで今までの二人の記憶と感情の答え合わせをされているかのようだった。
荒い呼吸を繰り返すつぼ浦の前で青井はホルスターから銃を抜いた。ぎょっとして身構えるよりも早くその銃が宙を舞う。
「お前はテーザーしか持ってないでしょ」
ゆるい弧を描いて拳銃がつぼ浦の手の中に収まった。
冷たい金属の重さは物言わぬ覚悟。
そしておそらく愛だった。
「……チクショウ、そういうところだけ思い切りがいいんだよ」
ゆっくり向けた銃口がゆらゆら揺れる。
このやりとりに心当たりなどあるはずがない。青井を撃とうとしたことなどない。だからこれは偽物の考えついた行動なのかもしれない。それでも青井ならこうするだろう。自分を撃てという覚悟、それをつぼ浦に委ねる傲慢。すべてを解決するためには本物ならこうするという確信があった。
なかなか定まらない右手の向こうで大好きな笑顔がつぼ浦を見ていた。
「楽しかったよ」
電線に止まっていた鳥が一斉に飛び立った。
糸が切れたように身体が倒れる。それは地面に叩きつけられる前に0と1の奇妙なモヤに変わり、柔らかな風に溶けて消えた。
握りしめた銃も霞のように消えてもなお、つぼ浦はしばらく手を下げることができなかった。
ベンチには二人分の弁当の残骸が置いてあった。真ん中には二つのゴマ団子が入った紙袋。
「アオセンって本当はどれぐらい辛いもん食えたんだっけな。……まぁ聞けばいいか」
銃を握りしめた形の手をゆっくり下ろす。
額縁の外に出ることのできない理想が、消えた。
やさしい風がつぼ浦の頬を撫でていた。ふと見上げると飛び立った鳥たちがまた電線に戻り、小さな身を寄せ合っている。
なにも失っていないのになにかを失ったような寂しさが襲う。偽物とはいえ好きな人を撃ち殺すなど生涯で一度たりともやりたくない。
珍しくしんみりしていたつぼ浦の耳にスマホの着信音が響き渡った。まだこわばったままの手を億劫そうに動かして画面を見ると「青井」と書いてあった。
「アオセン……?!」
一瞬で胸が高鳴る。不安と安堵、それがないまぜになった表情で急いで電話に出た。
「もしもし……」
『あーよかったつぼ浦、無事?』
無遠慮に耳に飛び込んでくるのは最愛の声だった。目の奥がツーンと熱くなる。声が震えないように何度か息を吸って、つぼ浦はいつもの調子で答えた。
「ああ、無事だぜ。アオセンこそなにしてたんだよ」
『お前の偽物処分してた』
「ア?処分ったぁずいぶんな言い方だな、本当に偽物だったのか?」
『ニセモンだよ、じゃあお前は誰なんだよ』
「そりゃ大変だったろうな、俺の偽物ともありゃずいぶん賢く立ち回ったんだろうな」
『いや一発でわかったからね、舐めんなよ』
「アァ?!俺の偽物だぞ?!アオセンなんかにわかってたまるか」
『なんでそっち庇うんだよ?!見抜けた俺を褒めてよね』
電話越しでもふんぞり返るような横柄な声色だった。実際いつものノンデリ、いや自慢げな顔でもしているのだろう。
ああ言えばこう言う、埒のあかないやり取りにつぼ浦は思わず微笑む。極限まで縮めた「ありがとうございます」を言い返した。おそらく青井には「あ」と「す」しか聞こえていないだろう。電話の向こうでまだなにかブツブツ文句を言っている。
『はぁ、大変だったんだからね?お前の偽物処分したあとに俺の偽物に出会っちゃってさ』
「……え、会ったんすか?アオセンが?」
急に背筋を冷たいものが滑り落ちた。つぼ浦の声が固くなる。しかし電話越しでは表情はもちろん微妙な声色の変化に気づかず青井はベラベラ喋り続ける。
『そう!本物は絶対に出会うなって言われてたのにね。本当に焦って、意識がなければコピーできないかと思ってとっさに頭ぶち抜いたんだけどさ』
「誰の、っすか」
『俺のだよ、俺の頭以外ないだろ。俺のエイム力で逃げてくドッペルゲンガーをぶち抜けてたら全部解決してたの』
「……ハ?!なんかあったらどうするんだよ?!」
予想の斜め上を行く答えだった。目の前に青井がいるわけでもないのに、つぼ浦はスマホ片手に手を広げて一歩踏み込んだ。まるで安いツッコミを入れる芸人だ。空気相手に腕をブンブン振り回して唾を飛ばす。
「チクショウ、前から思ってたけど変なところで悩むくせにいらねぇところで思い切りがいいのなんなんだよ!もし乗っ取られたりしたらどうするつもりだったんだよ」
『大丈夫だよ、結果オーライだったんだから』
「生き残ったときにしか言えないセリフを堂々と言われても困るぜ」
文句を言いながらもつぼ浦は安堵していた。これが、これこそが青井だ。額縁になど収まらず、つぼ浦の予想もつかないことをする。偽物を撃ち抜いてしまった罪悪感が徐々に薄れていく。その耳に青井の言葉が入ってきた。
『だからもしそのへんにいるとしても、あの短時間じゃさすがに俺の情報はそんなにコピーされてないと思うんだけど』
「ああ……」
道をフラフラしていてパトカーで轢きかけた青井。言葉も浮ついていた青井。そしてつぼ浦の記憶を食って、理想に育った青井。
『もしかして会った?俺のドッペルゲンガーに』
「……イヤ、知らねぇな」
最期の笑顔が脳裏をよぎる。つぼ浦は静かに答えた。
本物の記憶をほとんどコピーしていないのなら、あれは本当につぼ浦の理想の塊、大切な記憶の鏡写しだったのだろう。
「なぁ……俺がアオセンのどこ好きか知ってるか?」
偽物に語って聞かせた言葉を思い出す。つぼ浦の中にある大切な記憶の数々、それが青井の中にもあるのかどうか。つぼ浦は模範解答を求めて問いかけた。
『は?金なんでしょ?』
あんまりな返答でつぼ浦の顔がひきつった。ノスタルジックもクソもない。しかも若干鼻で笑っていた。思わず天を仰ぐ。アンガーマネジメントには6秒必要らしいが3秒くらいで切り上げ、大きなため息をついてスマホを握り直す。
「……んだよ、なんでわかんだよ」
『え?!嘘だろお前ッ、え、あるよね?他にもあるよね!?』
自分で言いだしたのに電話の向こうの青井はなぜかひどく慌てている。つぼ浦は拗ねたように口をとがらせて、わざとらしくふてくされてみせた。電話越しでも伝わるように不機嫌を声に乗せる。
「そんな三番目くらいの理由を一番に上げてくるアオセンなんか知らねぇ」
『三番目!?三番目が金なのマジか……待ってじゃあ一番はなに?顔?顔じゃないよね??いやこの際顔でもいいけど』
「うるせぇ、全然違うぜ」
『じゃあなんなの?お前、俺のどこが好きなの?』
必死な声だった。さては青井も自分の偽者と会話をしてこんな話題になったんだろうな、とつぼ浦は気づいた。
「……アオセンが話聞いてねぇのが悪い!!」
『ええ?ちょっと待って色々、ていうかお前さぁもしかして俺のドッ……』
全て言わせるより早くつぼ浦の指が通話終了ボタンを押していた。つぼ浦の大声に驚いた鳥たちが今度こそ電線から散り散りに飛び去っていった。
きっと青井の記憶をコピーした偽つぼ浦はこの質問にろくなことを言わなかったのだろう。なぜならつぼ浦は面と向かって好きな気持ちをなかなか言えず、そして青井は話を聞いていないのだから。記憶を写した虚像の出した模範解答は本物には通用しない。
急におかしくなってつぼ浦はケタケタ笑いだしてしまった。なにも上手くいかない。理想など一つもない。しかしそれこそが愛おしかった。
また手の中でスマホがけたたましく鳴り響く。画面の名前は見るまでもない。
そのやかましさまでもが途方もなく愛おしかった。
「チクショウ、……やられたぜ」
親指のわずかな動きで電話を切る。それから六法のリストを開いて青井の名前の横にチェックを入れた。
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読んでいただきありがとうございます。理屈っぽい話になっちゃったんですがこういうの好きなんですよね
ドッペルゲンガーは記憶をコピーする、つまりつぼ浦の前にいるのはつぼ浦の持つ青井についての記憶そのもの。自分の記憶との答え合わせをするようなもんなんですね
記憶の通りの青井は理想だったけど、本物に会わない限りそこに新たな記憶が増えることはない。
そしてつぼ浦は本物とともに歩みたかった。
というのが書けてればいいんですけどね…!?
コメント
3件
コメント失礼します。本当にこういうコピー系の話が好きすぎて前後編共に悶えながら読ませてもらいました。砂場さんの過去作の存在証明のお話も好きなのですが、それとも違う別ベクトルからぶん殴られた感覚です。🟦が🏺を理解しきってる感も、自由な🏺が🟦に振り回されてるのもめっちゃ好きでぇ……!最後に🏺が本物の🟦によってストレス値が解消されてそうなのに萌えましたありがとうございます。長文失礼しました🙇