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事の発端は、アンリエッタが神聖力の練習をしたことだった。
最初に借りた本は、基礎知識が八割を占めていたが、次に借りてきた本は、主に実技について説明が書かれていたものだった。だから、すぐにでも試してみたいと思うのは、至極当然のことだった。
この力を早く使いこなしたいと考えていたアンリエッタなら、尚更だった。
特に目ぼしいものはなかったのだが、この勝気な性格のせいなのか、防御よりも攻撃ものを選んだ。防御だと、上手く出来たのか出来なかったのか、確かめられないかもしれない、という理由でもあったのだが。それはただの言い訳に過ぎない。
今のアンリエッタにとって、防御よりも攻撃の方が必要だと、勝手に思い込んでいたからだ。
そういうわけで、攻撃系のものを発動させてみたのだが、やはり始めから上手くいくはずもなく……。案の定、想定外の事が起こった。
「キャッ!」
一瞬、手から小さな青白い火花が散り、驚きのあまり悲鳴を上げた。すると火花は、アンリエッタの動揺を表したかのように、さらに大きく、そして沢山舞い散るように、部屋の中を照らした。
本に書いてある通りならば、青い炎が出てくるはずなのだが、やはり上手く発動させることが出来なかった様だ。冷静に考えれば、そんなものを部屋でやろうとする時点で、やめるべきだったのだろう。けれどその時は、やってみたいという気持ちが先走り、このような結果をもたらした。
最初から上手くいくとは思わなかったわけじゃないけど、今はとにかくこれをどうにかしなくちゃ。下手したら、家が火事になっちゃう。
火花は今も尚、断続的にアンリエッタの手から、現れては舞い上がり、下に零れ落ちていた。
「何があった、アンリエッタ!」
焦り過ぎて、今にも泣きそうな気持ちを抑えていたアンリエッタの耳に、マーカスの声が聞こえてきた。顔を上げると、いつの間にか帰宅していたのか、マーカスが慌てて部屋に入ってきた。
目の前の光景に、一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにアンリエッタの方へと駆け寄った。
「ダ、ダメ! 今来たら危ない!」
声と一緒に、火花がさらに飛び散った。
このままじゃ、マーカスに当たって、火傷を負わせてしまう。どうしたらいいの……。
「っ!」
目を瞑っていたら、突然背中に温かいものが触れた。そして、お腹に回された腕。
いつの間にか、後ろからマーカスに抱き締められていた。
「マ、マーカス?」
「そのまま」
「?」
後ろを向こうとしたら、さらに密着されて、振り向くことが出来なかった。すると、今度は頭のてっぺんに、柔らかいものが振れる感触がした。
「!」
マーカスが唇を当てたのだ。
そして、驚いたアンリエッタの頬に触れ、再びキスをする。一回、二回、三回と続け……。
「やっ、やめて! 危ないでしょ!」
「何が危ないって?」
「何って……」
これが見えないの、とアンリエッタは手のひらを見た。いつの間にかマーカスの手に包まれた己の手の中には、先ほどまで止めどなく出ていた火花が、何処にもなかった。
「どうして?」
「どうてだろうな」
その理由を知っていそうな顔に、アンリエッタは苛立ちを感じた。いや、本当に苛立ったのは、マーカスにじゃない。自分自身に、だった。どうして止まったのか、その理由を知ってしまったからだ。
やだ、恥ずかしい。これじゃ、好きと言っているのも、変わらないじゃない。
顔を赤くしたまま、マーカスの腕の中から抜け出し、部屋を出ようとした。が、何かに躓き、転びそうになった。
ドアのすぐ下に、誰が物を置いたの!
八つ当たりにも近い気持ちで見ると、マーカスの鞄があった。マーカスが仕事に行く時に持っていく、鞄だった。乱暴に扱われたかのように、中身が外に出ていた。
つまり、私のあの短い悲鳴を聞いて、すぐに駆けつけてくれたばかりか、自分の鞄をこんなに風に扱ってまで来てくれたことに、胸の奥が熱くなった。
自分のせいでこうなったのだから、と片付けようとした時、ふと見慣れない物が、視界に入った。それに手を伸ばすと、マーカスに手首を掴まれた。
「これは、何?」
さっき感じた気持ちが、一気に冷めた口調で尋ねた。それは当然だ。アンリエッタの目線の先にあったのは、小さな巾着から飛び出た、塊だった。鱗のような形をした塊。そして銀色。連想できるものは、一つしかなかった。
「知人から貰い受けた物だ。色合いも綺麗だから、加工して装飾品に付けても良いと思ったんだ」
言い訳としては、筋が通っている。けれど、嘘を嘘で隠す態度が、気に食わなかった。
「加工しても良いの?」
大事な物なんでしょ、と私も意地悪に言ってみた。
「いや、最初はそのつもりで貰ったんだが、これほど見事だと、むしろ勿体なく感じてな」
「それで?」
私が握られていない方の手で掴もうとすると、それよりも先に、マーカスの手が遮るようにして鱗を拾った。そして、器用に片手で、巾着に仕舞い込んだ。
「それだけだ」
マーカスは巾着をポケットの中に入れ、もうこの話は終いだとばかりに、目を閉じた。けれど、それで引き下がるアンリエッタではない。
私は嘘が嫌いだったからだ。誰だって嘘をつかれるのは嫌だろう。だが、私のこの潔癖には、別の理由があった。
前世に、よく法螺を吹く親戚がいたのだ。息を吐くように嘘を言う。相手が小さな子供であっても、大人でも同様に。内容の事情を知っている者にだって、嘘をつく。そして、それが悪いとは一度も考えたことがないので、質が悪かった。まぁ、周りもそれを容認していたのも、悪いが。
だから、自然と嘘をつく相手が嫌いになった。その代わり、私は嘘をつかない人間になろうと思った。実現できていたかは、難しい問題だったが、せめてそうなろうと、努力した。
「銀竜に会ったんでしょ」
私の手首を未だ掴んでいるマーカスに、直球を投げ込んだ。本当に言いたくなければ、手を離してこの場を去ればいいのに、目を逸らすだけだった。
「何で嘘をついたの?」
だから、私も口調を変えて聞いた。まるで子供を諭すように。
すると、マーカスは観念したかのように、床に座り込んだ。私も聞く体勢になろうと同じように床に座ろうとした。が、掴まれていた手を引っ張られ、マーカスに抱きつく体勢になってしまった。
「話し合う体勢じゃないと思うんだけど」
そう言うと今度は、マーカスの前に、同じ向きで座らされた。
「目を見て話したい」
少し悩んだマーカスは、アンリエッタの体を持ち上げ、膝の上に座らせた。
「これなら良いだろ」
「よ、良くない!」
「どうして? 目を見て、話し合えるじゃないか」
確かにそうだけど。これは恥ずかし過ぎる。
「足、痺れるよ」
「そしたら、ひとつ前に戻すからいい」
ひとつ前って、さっきの? いやいやいや。それもアウトでしょ。密着する必要が、そもそもない!
「二人だけなんだから、恥ずかしがる必要はないじゃないか」
「恥ずかしいものは恥ずかしいの! それに、話す気ないでしょ」
「あるよ」
疑いの眼差しを向けると、マーカスは話し出した。
「正直に話さなかったのは悪かった。話せば、恐い思いをさせると思ったんだ」
マーカスはそう前置きをした。私に心の準備をさせるためなのか、ただ言い辛かった理由を述べただけなのかは分からないが。
先を促すように、足を軽く叩くと、マーカスがアンリエッタの方を向いた。大丈夫だからと、目で合図した。
「銀竜に会えたのは、パトリシアが予め、何処にいるのか突き止めてくれていたお陰だった。マーシェルの西側にある、ソマイアに隣接しているカザルド山脈内に、銀竜はいたんだ。そこでパトリシアを、生贄にしないでほしいと頼んだ」
「うん」
そのためにマーカスは家を出て、銀竜を探したのだから、当然の願いだ。
「それで、銀竜は何て?」
了承してくれたのか、断ったのか。どちらにせよ、何かしらの取引がなければ、今ここにマーカスはいないし、あの鱗にも説明がつかなかった。
しかし、マーカスは言い淀んでいるかのように、一度口を開いては、また閉じた。
「何て言ったの? マーカス」
「……アンリエッタ」
「うん?」
首を傾げて答えると、腰に回されていた手に、力が入るのを感じた。
「……アンリエッタを、連れて来てほしい、と言われた」
「えっ?」
そこで何で、私が出てくるの?
「まさか私を――……」
代わりに?
「いや、ヴァリエは、銀竜は違うと言っていた」
「じゃ、何で? 接点なんて、何一つないのに」
「そこまでは、答えて貰えなかった。いや、俺が聞こうとしなかったと言うか……」
目線を逸らすマーカスの姿に、アッと我に返った。
銀竜に会いに行ったのはパトリシアの件で、見ず知らずの私の事まで考えられる状況でもないし、配慮をする義理もない。私が当事者なら、同じことをするはずだ。だから、マーカスを責めることはできない。
けれど、なら何故、私に初めて会った時に言わなかったの? マーカスなら、言葉巧みに言えば、私を連れ出すことなんて、可能だったんじゃないの?
「マーカスは、どうしたい?」
「……」
「私を連れて行きたいんでしょ」
「……分からない。カザルド山脈を出た時には、そう思っていた」
今は違うって言うの? じゃ、パトリシアはどうなるの?
彼女と私を両天秤に掛けた状態で、マーカスの判断を伺うのは、何だか卑怯な気分になった。だけど、マーカスも嘘を付いたのだから、辛抱強く答えが出るのを待った。
「何が最善かは、俺には分からない。君を代わりにするつもりがない、という銀竜の言葉を、どこまで信じていいのかさえ、判断し兼ねている。だから、どうすれば良いのか分からなかったから、ここでしばらく過ごしている内に、答えが出せるだろうと、思っていた」
そんな前から悩んでくれていた、というの? そもそも会ったことのなかった、私のために。
「うん。……それで、答えは出たの?」
「優先順位をつけるのは難しい。けど……」
間を置いた瞬間に、マーカスに抱き寄せられた。強くもなく、ただ優しく。
「今はもう、アンリエッタが大事だから」
「‼」
アンリエッタは思わず、マーカスの胸を両手で押した。赤面する顔を見られないように俯きながら、マーカスの腕の中から逃げるように、立ち上がった。そして、ドアへと向かう。マーカスの手に捕まらないように、両腕を前にしながら。
「アンリエッタ⁉」
後ろから声が聞こえたが、振り向くことも、立ち止まることもしなかった。顔が赤くなっているのが、分かっていたからだ。
マーカスの先ほどの言葉が、まだ耳に残っている。嬉しい反面、何故か胸がざらついた。
***
好きだと、明確に言われたわけじゃない。そして私もまた、伝えたわけじゃないが、好きなんだと思う、マーカスのことが。
両想いなら、そのまま身を任せればいいと思う反面、少し怖かった。愛情というものが。
前世の私の祖父母は、所謂毒親ならぬ、毒祖父母だった。一般的な祖父母と孫の関係なら、孫に甘く、孫の要求を呑んでくれる、そんな優しい祖父母、というのが定説だ。
けれど、ウチは違かった。そもそも孫である私の要求など、通ったため試しが、まずない。祖父母からの一方的な要求に、反発し戦っていたのだ。
すると、彼らは言うのだ。『悪い子になった』と。あの人たちを前に、良い子でいて得することよりも、損することが多いのに、良い子でいる必要などなかった。まず、そこから間違っている。
何故そんな扱いを受けていたのかというと、親戚たちが言うには、それは私が大事にされている、可愛がられている、愛されている、からなのだそうだ。冗談じゃない。
ニュースで孫が祖父母を殺害した事件の際、近所の人が、こう言ったのが忘れられない。
『あんなに可愛がっていたお孫さんに刺されるなんて、可哀想』
可愛がっていれば、何をしても許されると? 気持ち悪くなった。同居していて、母も共に戦ってくれなかったら、私もまた同じことをしていたかもしれない。
そこで出た結論があった。愛情とは、暴力だと。だから怖い。向けられる愛情が。ざらつくほどに。
そんな私が、異世界に来て、大分落ち着いたとはいえ、マーカスの気持ちに応えられるのだろうか。好きな気持ちはあっても、受け止められる心があるのか、それが一番怖かった。
過度な愛情ではなく、適度な愛情を受け、もしくは愛情に飢えていた前世であれば、素直に受け入れていたのだろうか。
そうだったら、何よりも良かったのに。