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渡り廊下に恥ずかしそうにひょいと顔を出すのは杏の枝だ。

膨らんだ蕾から甘い香りが漂うも、それを楽しむ余裕などない。

見上げた蓮の額からは色が失われていた。


「ひ、ひどいじゃないか。モブ子さんたち……」


両手で抱える大量のレポートは今にもずり落ちそうである。

運んでやるよ、なんて凛々しく言っていたモブ子らは冊子のあまりの重さに早々に音をあげた。


「何だこれは! 講座のレポートが何でこんなに重いんだ」

「誰がこんなもの書いたんだよ!」

「って、アタシらだよ!」


コントのようなやりとりをしたかと思うと、蓮に冊子を押しつけて行ってしまったのだ。

「ゴメン」もなければ、言い訳もない。


「な、なんて自由な子たちなんだろう」


宿題でもないのに、毎回異様に分厚いレポートを書いてくるのは彼女たちなのに。

今度のコミケのネームとキャラデザを、ぜひとも蓮ちんに見てほしいなんて言っていたっけ。

彼女たちが何を言っているのかはよく分からないのだが、確実にその熱量は伝わってくるズッシリ感。


「小野くんがいてくれたらなぁ」


素直にそう思うのは、彼の献身を当てにしてしまっているからにほかならない。

ハッと気付いて、ダメだダメだと首を振る。


生徒さんを荷物持ちにするなんてよくない。

レポートくらい軽々運んでこそ一人前じゃないか。


「がんばるぞ。よいしょ!」


ずり落ちそうな冊子を膝を使って抱え直したときのこと。


蓮の肩が微かに震えた。

渡り廊下の向こうに見慣れた長身を見付けたのだ。


「あっ、小野くん?」


とっさに手を振ろうとして、蓮はレポートの重みでよろけた。


きっと駆け寄ってきてくれる──そんな思いは、しかしあえなく裏切られる。

その人物は一瞬こちらに視線を送ったのち、蓮になど気付いていないというように背を向けたのだ。


「お、小野くん……?」


間違えようもない。

遠くからでも実によく目立つ整った容貌。

陽光を受けてキラキラ輝く薄茶色の髪は小野梗一郎その人である。


バイトらしいとモブ子らが言っていたのだが、今終わったところなのだろうか。


いや待て。

彼は両手に何か抱えている。

それがズシリと重そうなノートだと気付いたとき、蓮は地面に視線を落とした。


先だって梗一郎とこの場所を通ったときに美しく咲いていたネモフィラの花は今、蓮の足元ですっかり萎れてしまっている。


梗一郎の隣りには女性の姿があった。

教員か生徒か、あるいは職員かもしれない。

どう見ても、重いノートを運んでやっているという図である。


「………………」


そうだ。

彼は親切なのだ。

重い荷物を抱えて困っている人を放っておけない。

自分のような臨時雇いの講師の買い物にまで付き合ってくれる人物なのだから。


「………………」


思いがけず生じた靄のような感情を心から追い払おうとするのだが、どうにもうまくいかない。


だって、目が合ったのに。

いつもはモブ子らの悪口を言いながら荷物を持ってくれるのに。


そこで、ようやく思い至る。


「小野くんは、わざと俺を無視したのかな……」


彼はこのあいだのキスを後悔しているのだ。

気まぐれな行動をきっと悔やんでいるに違いない。


その証拠に、まるで顔を隠すかのようにマスクまでつけているではないか。


日本史BL学検定講座の講師に見つからないようにとの配慮なのだろうと蓮は考えた。

もっとも整った容貌と目立つ長身はマスク一枚で隠されるものではないのだが。


自分に勘違いをさせないようにと、梗一郎は講座に顔を出さなかったのだろう。

もともとさして興味もないBL学。

もしかしたらもうずっと講座には来ないつもりかもしれない。


「俺もよくなかったんだ。生徒さんの社割でコップを買おうなんて。あげく具合が悪くなって家に送ってもらうなんて。でも、キスしてきたのは小野くんなのに」


そのキス事件──蓮にとっては事件である──は、弾みや事故として捉えるしかない出来事だったろう。

だが、それでは納得がいかないのだ。


学問を志す蓮は、ここでひとつの仮説を立てた。


「分かったぞ。小野くんはきっとひどくタチの悪いキス魔なんだ。スイッチが入ったら、そばにいる人誰かれなくチュウしちゃうんだ」


そうすると、今彼がマスクをしているのも合点がいく。

スイッチの不具合で、貧乏アパートに住む三十路ぼんくら男性講師にまでキスをしてしまった自分を戒めていたに違いない。


それにしても嫌なスイッチである。


これまでの人生で遭遇したことはなかったが、蓮もたまに聞く。

酒の席などでそんなスイッチを発動させてしまう人の話を。


そうだとすれば、申し訳ないという気持ちが大きくなっていった。


「悪かったなぁ。今度会ったときは知らん顔して接してあげないと」


いらぬ気遣いは不要だよという態度で、講座に復帰させてやらないと──なんて、教育者としての使命感のようなものまで沸いてきたり。


「うん、ただのスイッチだ。気にしない気にしない」

【改訂版】ここは花咲く『日本史BL検定対策講座』

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