「メアリー・ローレンス。お前との婚約を破棄し、イザベラ・ルービンスタインと婚約する!」
ゴールドバーグ伯爵家にて、婚約者、ヴェルド・ゴールドバーグがそう宣言すると、新しい婚約者イザベラが申し訳なさそうにヴェルドの後ろに隠れた。
「聞けば、お前は陰でイザベラを執拗にいじめ。先日はついに階段から突き落とそうとしたそうではないか。お前のような悪女とは付き合いきれん!」
若干長めの袖を口元に当て、ごめんなさいと呟くイザベラにヴェルドが優しい言葉をかける。
「イザベラは何も悪くないよ」
まったく、と。メアリーは思う。
イザベラがいじめられたなんて大嘘だ。むしろメアリーの方が事あるごとにいじめられている。
イザベラ主催の食事会ではこっそり料理に砂を混ぜられ、席を立たざるをえなかったし。席を立てば「きっとメアリーは私のことが嫌いなんだわ!」と泣きわめき、わざとらしく数日寝込んだりする。そうして周囲の同情を買うのがイザベラのやり方だった。
その上、表だって敵対しようともしない。社交界で出会えば「メアリー、私たち友達でしょ?」とくっついてくるので始末に負えない。
「ねぇ、メアリー。メアリーとは友達だけど。やっぱり限度ってあると思うの。罪は償うべきだわ」
――この女……!
言いたいことはたくさんある。でも、言ったところでしかたがなかった。婚約者の……元婚約者のヴェルドはメアリーの味方ではないのだ。
「そうだ。謝れ」
「謝ってください」
謝れ、謝れ。
頭を下げ、地に這いつくばれ。
「謝罪しろ!! メアリー!!」
その時、メアリーの中でふつりと糸が切れた。
それは終わりの音。
すべてが冷め、どうでもよくなっていく。
「そう、ヴェルド。あなたこの程度の男だったのね」
「は? なんだと」
「わからないならいいわ。後で泣きついてきたって知らないから」
そう言い残すと。メアリーは踵を返して去って行く。
「何なんだよ。くそ」
ゴールドバーグ家の門を出て、馬車を待っていると。イザベラが息を切らして走ってきた。
「待って。待って、メアリー!」
ヴェルドが来ないところを見るとイザベラが待っているように言ったのだろう。
「あのね、こんなことになっちゃったけど。最後に伝えたいことがあるの」
こんなことになっちゃった? 自分でしかけておいて何様のつもり?
どこまでかわいい子ぶれば気が済むのかしら。
メアリーは耐える。馬車が来るまでの辛抱だと。
でも、それにも限界があった。
イザベラが低い声で耳打ちしたのだ。
「メアリー。寝取られちゃったね。かわいそう」
「人生はね。まともにやっちゃダメなんだよ? だって、がんばるなんて大変でしょう? うまくやっている人を蹴落として、成功を奪った方が確実なの」
「ま、馬鹿にはわからないでしょうけど」
パンっ、と。頬を叩く音がした。
メアリーはもうとっくの昔に限界で、怒りが爆発したことに気づいたのはイザベラに平手打ちをした後だった。
イザベラは一瞬だけ醜悪な笑みを浮かべると、即座に可憐な泣き顔を見せた。わざとらしく跪き、この世で最もかわいそうなお姫様であるかのように泣き崩れている。
泣き声を聞きつけたゴールドバーグ家の男たちは、我先にとイザベラを介抱し、甘い言葉をかける。間違いなくイザベラはこれを足がかりにするだろう。
メアリーはまたしても利用されたのだ。
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