一つ前の投稿にいただいたコメントを受けて思ったことです。(勝手に書いてすみません、もし嫌でしたら言っていただければと思います。)
私が子供の頃、私のいた環境には読書くらいしか娯楽がありませんでした。活字を探しては隅々まで読んでいた私でしたが、目に入る文章は高い質が担保されていたと思います。当時の子供が読める文章なんて、出版された本や雑誌、販売されている新聞、メーカーの出す説明書やリーフレットくらいのものでしたから。
私が中学生〜高校生くらいの頃、インターネットというものが身近になってきて、「情報の取捨選択を」ということが盛んに言われるようになりました。
この「情報の取捨選択」、これは「どういうものが正しいっぽい情報なのか」を自分の中で判断できないと不可能ですから、結構難しいことです。デマ情報に踊らされる大人はたくさんいます。
情報を得る方法も、文章を読む方法も、私が子供の頃は限られていました。比較的質の高い情報と文章に囲まれて幼少期を過ごすことができたように思います。だからこそ、少しずつ大人になって、情報が溢れかえる世の中に生きている今、「この文章は質が低い」「この情報はおそらくデマだな」と判断する材料をたくさん持っています。(それでも嘘の情報に騙されてしまうことはあるので難しいですが……)
今の時代に生まれ、幼い頃からインターネットが身近にある方々はそういうわけにはいかないですよね。どういう文章が質の高い文章なのか、それすら分からず成長する方もいらっしゃるかもしれません。
もしかしたら、文章を書く能力などはプロ以外要らなくなる時代がくるのでしょうか。適当な単語だけ書いたら人工知能が整形してくれるとか。「文章は書けた方が良い」などと発言したら「老害」なんて言われちゃったり……したら嫌だなあ。
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