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「おかしいな」
そう思ったのは、その声が少し、切なさを感じさせたからだ。
──まるで、今にも終わってしまうかのように。
『ねえ、今日も通話できる?』
スマホのバイブ音が聞こえる。いつもと変わらない君のメッセージ。
通話を繋げると、すぐに聞こえてきたのは、少し眠たそうな声だった。
「……ん、お疲れさま」
「寝落ちてた?」
「ううん。ryの声、聞きたかっただけ」
「そう、そう言ってくれて嬉しいな」
その言葉が、あまりにも軽やかに、しかし確かな響きで耳に届くから、僕の胸の鼓動は加速する。
「今日さ、ちょっと撮影で色々あってさ…」
「そっか」
「でも、gskの声聞いたら、もうどうでもよくなった」
「……うん」
カーテンの隙間から漏れる街の光が、遠く感じる。
この距離は、近いのか、それとも遠いのか。
いずれにせよ、通話越しの君の声は、確かに一番近くにあった。
「gsk…」
「んー?」
「大好きだよー…」
「うん…僕も大好きー 愛してるよー」
──そして、眠ってしまった。
通話は切れることなく、ただ夜の静寂の中に広がっていく。
さっきまで確かに、君の声が僕の中で響いていたのに、今、その音が消えていく。
その消失は、まるで僕という存在まで取り残されたかのような錯覚を与え、急激に孤独を感じさせる。
「……寝た?」
呟いた声は、通話の向こうには届かない。
それが、あらかじめ予期していたことであろうことは分かっていた。
ただ、静かな寝息が微かに響くだけ。
もっと長く話していたかったが、寝落ち通話とはそういうものだ。
「おかしいな。」
君が目を閉じるだけで、僕はこんなにも孤独を感じる。
通話を繋げることで、僕たちは一瞬でも繋がっているような気がしていた。
けれど今、君が眠りについたその瞬間から、時間が一方向きに進み出したかのように感じる。
まるで、君が眠ることで、僕の時間だけが遅れ、ひとり悪夢に取り残されたかのような感覚に襲われる。
「おかしいな。」
僕はただ声と言葉を交わしたかっただけなのに。
通話を繋げることで、僕たちは一瞬でも、確かに繋がっている気がしていた。
しかし今、君が静かに眠りについたその時、僕の中に広がる空白があまりにも大きくて。
まるで君という存在が、空気のように、でも不可欠なものであるかのように、僕の中に溶け込んでいたことを、今更再認識させられる。
寝息が、少しだけ聞こえる。
それが、耳の奥で響くと、安堵感よりも、何かが消え失せたような感覚が広がる。
君が一番大切な存在になっていることを、今さら再確認させられた気がする。
「ねぇ、起きてる?」
それは、決して目を覚まさせるためではない。
僕の中にその存在を留めたかっただけ。
どんなに遠く離れていようと、僕はこうして君を呼ぶことで、君の存在を確かめたかった。
だって、君が眠っている今、この世界はあまりにも無機質で、僕は何も感じなくなりそうだから。
「おかしいな。」
この感覚は、まるで存在と無存在、形而上と形而下──そうした上位概念の間に漂う、ひとつの薄い膜のようだ。
君が寝て、僕は起きている。それだけの違いなのに、なぜか何かを失ったような気がして。
でもそれが、ただの錯覚であることを知りながらも、なぜかその感覚を抱え、ひとりで夜を過ごす。
僕たちは今、同じ時を生きているはずなのに。
でも、この静けさの中で、僕の時間だけが異なる軌道を描いている気がする。
それでも、明日になればまた、君と僕は同じ時間を歩んでいるのだろうか。
それとも、この夜の感覚だけが、僕の中に静かに積もり続けるのだろうか。
そして、君が目を覚ましたとき、また笑って言うのだろう。
「寝落ちしちゃったね」って。
その言葉が、僕の心にどんな響きをもたらすのか、まだわからないが。
それにしても眠れないので、少し散歩に出ることにした。
──あれから、結構歩いた気がする。それこそ、上位概念の間の薄い膜のことを忘れたほど歩いたと思う。というか実際忘れていた。
いまだに眠れずにいた。
「おかしいな。」
僕はどこか懐かしい場所に立っている。
目の前には広がる水族館の巨大な水槽。
色とりどりの魚たちが優雅に泳ぎ、泡の音だけが静かに響く。
まるで、現実のすべてが色を失い、この場所だけが存在しているような錯覚に囚われる。
なぜか隣には君がいて、どこか儚げな表情を浮かべながらも、どこか安心しているように見える。
デートとはこういうものなのだろうか。
君の瞳は、水族館の透明な水槽に映る魚たちをじっと見つめている。まるで僕のことなんて眼中にないのかのように。
その目線を追うと、僕もまたその水の中に引き込まれるような気がして、息を呑む。
「こんな景色、すごくきれいだね。」
君の声が、どこか遠くに聞こえる。いや、もしかしたら僕の心の中で聞こえているのかもしれない。現実と夢の境界が曖昧で、すべてが繋がっているような感覚が広がっていく。
僕は頷き、君に微笑みかける。すると突然、何かが不穏に動き出すのを感じた。
──パタパタ、と。
振り向くと、暗い通路から黒猫たちが次々と現れ、あたりを走り回り始めた。目が覚めるような速さで、僕たちの足元をかすめていく。どこからともなく、彼らの鳴き声が響き渡り、その音はどんどん大きく、激しくなる。
「え…?なにこれ…?」
僕の声は、少し震えていた。目の前の黒猫たちが、次々と水槽の中に飛び込んでいく。水が跳ね、波紋が広がる。その瞬間、僕は不安に駆られる。何かが崩れていく予感がしていた。
君は、まるでその異常さを感じ取っているかのように立ち尽くしている。僕の方を見た君の目は、どこか悲しげで、それでもどこか安堵を感じさせるような表情をしている。まるで、あの黒猫たちが何かを象徴しているかのように。
「大丈夫だよ、きっと。」
君が静かに言ったその言葉に、僕はほんの少し安心する。でもその安心感はすぐに消え去り、代わりにまた黒猫たちの足音が耳をつんざくように響く。まるでこの水族館が、僕たちの中でしか存在しない世界であるかのように、すべてが変わっていく。
──そして、気づけば僕たちはその場から動けなくなっていた。
ただ、黒猫たちが走り回るその空間の中で、僕と君はお互いに目を合わせ、そして微笑み合っている。もしかしたら、この夢の中で僕たちが過ごす時間は、何か大切な意味を持っているのかもしれないと思いながら。
「こんなにも、不安でいっぱいなのに。」
僕は、無意識にその言葉を口にしていた。それが誰の声かもわからないまま。
ただ、君が僕の隣にいること、それだけが今、確かなもののように思える。
夢の中で黒猫たちが駆け巡り、水族館の中で僕と君が立ち尽くしていると、急に全てが静まり返った。まるで、何かの終わりを告げるように、時間が一瞬で止まったかのようだった。
その静けさの中で、僕はふと気づく。目の前の水槽が、今まで見ていたものとは全く異なるものに変わっていることに。水の中には、煌びやかな金の鯉が泳いでおり、その姿はどこか夢幻的で、儚げだ。
君の顔を見た。君の目は、まるでその金の鯉のように、どこか遠くを見つめている。僕もその目線を追う。すると、夢の中での「栄華ノ夢」とは、この金の鯉のように煌めく時間が終わり、また新たな現実が訪れることを意味しているのかもしれないと思った。
「栄華ノ夢…」
僕が呟いたその言葉に、君は少し驚いたように顔を向ける。
「栄華?映画の夢じゃなくて?」
君の声は、どこかしら眠たそうに聞こえたけれど、どこか切なげでもあった。
「うん。」
僕はゆっくりと、少なくなっていく金の鯉が泳ぐ水槽を見つめながら答える。
「栄華とは、きっと儚いものだと思うんだ。煌めいているようで、でもその煌きはすぐに消えてしまう。」
君は黙ってその言葉を受け止め、また水槽の中をじっと見つめている。僕もその視線を追う。
「でも、僕たちの夢は…」
君が言ったその言葉は、夢の終わりを告げるもののようだった。
その瞬間、僕の中で全てが理解できた気がした。夢は終わるものだと、栄華もまた儚いものだと。けれど、夢の中で共に過ごした時間こそが、僕たちの栄華であり、その儚さを感じることこそが、僕たちにとって大切な意味を持っているのだと。
目を閉じると、ふと目の前に広がっていた水族館の景色が、色を失っていく。黒猫たちの足音も、遠くから聞こえるような気がした。全てが消え去っていく中で、僕はただひとつだけ確かなものを感じていた。それは、君と過ごした夢の時間だった。
──そして、目が覚めた。
目を開けると、僕の部屋の天井が見える。どこか物寂しく、けれどどこか安心するような空間が広がっていた。心の中には、あの水族館と金の鯉がまだ残っているような気がして、僕はその夢を思い出していた。
「栄華ノ夢…」
それが、僕と君との間の一瞬の、儚い共通夢だったと信じたい。
長い様で現実では1日にも満たない夢から覚めた僕は、やっとの思いで眠りにつくのであった。