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「この本……誰が書いたの?」
ある日の放課後。中学三年生の少女・**里村美結(さとむら みゆ)**は、図書室の一番奥にある“おすすめの本”コーナーで一冊の小さな本に目を留めた。
表紙には、茶色の布地のような装丁と、タイトルだけが刻まれていた。
『ひま部ノート』
著者名も、出版社名もない。
しかし、開いた瞬間――心が、吸い寄せられるような感覚に包まれた。
そこには、日々の寂しさや不安、でもそれを誰にも言えずにいた少女の“本音”が綴られていた。
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「今日も、お父さんは帰ってこなかった。
お母さんはずっと電話ばかり。
でも、学校で“ひま部”があるから、笑えるふりができた。」
「私の声は、誰にも届かないと思ってた。
でも、ひとりでも聞いてくれる人がいたら、それでいいんだと思った。」
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涙が頬を伝った。
まるで、自分の心の奥を覗かれているような。
だけど、決して怖くはなかった。
むしろ、ずっと求めていた“共鳴”が、そこにあった。
──まるで、自分と同じように“声を出せなかった誰か”が、代わりに言葉にしてくれたようだった。
美結はその日、ノートの最後のページに書かれた一文に、心を打たれた。
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「言葉には、居場所をつくる力がある。
もし、あなたが今、どこにも居場所がないと感じていたら、
“ひま部”に来てください。
話さなくても、泣いても、黙っていても、そこにいていい。」
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「……行きたい、そこに……」
そう呟いた美結の中で、小さな決意が生まれた。
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数日後、美結はネットで『ひま部』について調べる中で、あるブログを見つけた。
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《ひま部ノートを読んでくださった方へ》
執筆者:M.M.
「このノートは、30年前にとある少女が残した“心の記録”です。
彼女は、今この世にはいませんが、言葉だけは生きています。
“ひま部”は、名前のない居場所です。
話したくなったら話してもいいし、ただぼーっとしてもいい。
そんな場所を、全国に少しずつ広げています。
よかったら、“約束の樹”を訪ねてください。
そこが、はじまりの場所です。」
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“約束の樹”――。
ブログの最後には、古びた高校の写真と、その中庭にある一本の大きな桜の木の写真が添えられていた。
美結は、その木を見た瞬間、なぜか涙が止まらなくなった。
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数日後の春休み。美結は電車に揺られて、知らない街へと向かった。
地図に載っていない道を頼りに、辿り着いたのは、廃校になった元・私立南ヶ丘高校。
校門の前には、白い立て札だけが立っていた。
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《この場所は、現在は使用されていませんが、“ひま部”のはじまりの場所として静かに保存されています。》
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校門をくぐり、少し歩くと、校舎の奥に一本の大きな桜の木が見えた。
それは、見事な枝ぶりで、ちょうど春の風に乗って花びらを舞わせていた。
根元には、ひとつの木製ベンチと、石碑のようなものがあった。
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『この場所で、ふたりの高校生が「ひま部」を作りました。
それは、何もないけれど、何かを分け合える場所。
誰でも座ってください。あなたの居場所になりますように。』
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美結はそっとベンチに座り、空を見上げた。
桜の花が、まるで誰かの手のひらのように彼女を包み込んだ。
その瞬間、不思議な安心感に満たされた。
「……ありがとう。」
そう、誰にともなく呟いたとき、背後から声がした。
「来てくれて、ありがとう。」
振り返ると、ひとりの男性が立っていた。
白髪交じりの温かい目をしたその人は、どこか懐かしい雰囲気をまとっていた。
「ここは、誰かを待つ場所だから。君が来てくれて、本当にうれしいよ。」
それが、森崎誠との出会いだった。