テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
生ハム酸
112
176
コメント
1件
全体的に暗め。
背後注意。
地雷ない人向け。
小鳥の鳴き声が外から聞こえる。
それは目覚まし代わりとなり、俺の意識をゆっくりと浮上させた。
まるで重りが乗っているかのように、瞼が重い。否、きっと睡魔という重みが瞼に重量をかけているのだ。
瞼をこじ開けた。1回だけでは開けれない程頑丈で、2、3回瞬きをしてようやく開けれた程だ。
体が重く、倦怠感がする。
おまけに、睡魔。
これらの症状は、寝起きであることも1つと考えられるが。大きな因ではない。
重たい体を動かし、寝返りを打った。
目の前には、自身の体格を上回る背中があった。
思わず、抱きしめてしまった。
伝わる自分以外の体温は、暖かく脈を打っている。脈打ちに合わせ、彼は小さく寝息をたてて眠っていた。
「……マスタード。」
彼の名を彼の背中に呟いた。
マスタード。
彼はちゃんと人生を生きているんだと再確認できたような気がした。
でも、どこか不安だった。
彼は生きていても、自分自身に対する想いはとっくのとうに死んでしまっているのではないかと。
考えれば、辻褄は合った。
然し、己は現実を拒んだ。
小鳥の美しい囀りの音に耳を澄ます。
窓辺を見やると、カーテンの隙間から庭が見えた。
雪が降り積もっている地に生えている立派な木の枝部分には、2羽の小鳥がとまっていた。
片方は喉を唸らせ美しい囀りを響かせる。しかし、もう片方は上の空で、枝の先端に実っている木の実を狙っている。
きっと、自分のことしか頭にないのだろう。
お互いに。
「……必死なんだよなぁ。」
自然と抱きしめる力が強くなり、彼の背中に顔を埋めた。
可能ならば、ずっとこのままが良かった。彼が生きているままずっと眠っている、この瞬間そのもの。
そうすれば、必然的に物語の幕が閉じる。進展の余地がないからだ。
いっそのこと彼が起きなければ、幸せな気がした。
今の俺達であるからこそ、言えること。
しかし、そんな夢物語は有り得るはずも無く、ひんやりとした空気に低音が響いた。
「……いつまでそうしてるつもりなんだ。」
当の本人はとっくのとうに起きていた様子で、告げられた言葉は呆れたような物言いであった。
「……マスの寝ぼけが冷めるまで。」
呆れられても尚、彼に向けるものは控えめな甘さだった。
あまりに甘過ぎる甘味は、嫌がられてしまうから。
「寝ぼけているのはどっちなんだ。」
気を配っていても彼にとっては甘過ぎたようで、添えられている手を払われた。
「……そうだな。寝起きで頭が冴えてないのかもなぁ。」
一つ間を置いて、相手の言葉に相槌を打つ振りをする。
まるで母親に甘える子猫のように、彼の背中に自分の頭を寄せた。
しかし、振りまかれた愛想は気づかれることもなく、地面に落ちる。代わりに返されたものは、長く深いため息。
彼は無言でベッドから起き上がった。重力に従って毛布がずり落ち、だらしなくはだけたシャツが見えた。
「あー、そういえば昨日、あのまま寝たんだったっけ。……マスが眠たいって言うからさ。」
遅れたピロトークにも目もくれず、彼は慣れた手つきでパーカーを羽織っていた。
「……俺、もう1回くらいしたかったなぁ。ま、なんてな。」
焦れったい気持ちを冗談として仄めかす。本音を言うと、どっちつかずの感情であった。
ただ、俺は愛情を確かめる為だけに行為を求めてしているだけに過ぎない。
俺が彼を欲する因は、承認欲求からであった。もはや承認欲求は、1つの感情と断言できる程に醜く熟れていた。
彼だからこそ、生まれる感情。
愛している者だからこそ、生まれる感情。
……けれど、彼はどうなんだろうか。
腕を伸ばして、パーカーに袖を通す。
彼のパーカーは、いつだってボロボロであった。首周りに付属している毛皮の長さはバラバラで、布は所々浅く切られたような跡がある。
「……マス。そろそろ新しいの買ったら?」
「風呂入る。」
文字として形となった欲求は、短く叩き落とされる。
それが通用できたのは、一昔前の出来事だなんて分かりきっている。しかし、どこか彼に期待をしているようだった。
冗談じみて、「一緒に入ろうかな。」なんて戯言を呟く。
返ってきた言葉は、冷淡そのものであった。
「余計なお世話だ。」
向けられた瞳は鋭くて、氷柱のように深く刺ささった。
だから、何も言えなくて。足取りを止められなくて。
あっという間に彼は居なくなった。
残るのは、凍ってしまった空気のみ。
皮肉なことに、室内は凍った氷が溶ける程に暖かい。
「……腹減ったな。」
空虚に満ちた自分自身では、空腹が酷く際立った。
二度寝をしようにも、腹の虫が鳴いて仕方がない。
重たい体を無理矢理動かし、起き上がる。
次に感じる事は、服の中の粘着性であった。
「……派手にやってくれてんなぁ。」
ズボンのゴムを緩めて下を覗いてみると、おぞましい光景が目に見えた。
それは昨日の激烈を物語っており、光景がフラッシュバックした。
行為中であれば、噛み付くように互いを求め合っていた。
名前を呼ばれるだけで、嬉しさを感じてしまうほどに。
なのに、それなのに。あの時も、心の片隅に隙間ができていた。
しかし、昨日の行為では隙間を埋めてくれるものがなかった。
何故なのかと聞かれれば、答えは明白であった。
でも、それを認めてしまえば全てが壊れるような気がした。
今までの日常も、彼との関係も。
例えるならば、まるで、トランプで構成されてできた1つのタワーのように。
支えとなっている1つのトランプが崩れれば、不安定なタワーは崩壊してしまう。
それ程までに、落ちぶれてしまった。
「……なんか食うかねえ。」
現実逃避をするかの如く、食料の事を考える。
あくびを1つすると、立ち上がってそのままリビングへと足を運んだ。
ひんやりとしたフローリングの温度が足元から伝わり、身を冷やす。
スリッパを履けば良かったなと後悔するも、部屋に取りに戻る程の活力はもうなかった。
リビングにつくと、そのまま真っ直ぐにキッチンへと向かう。
ワークトップには封がされてないままの袋に入った、食パンが3切れあった。
この状況下で料理なんてできるはずもなく、これでいいかと食パンを2切れ手に取った。
新しい食パンを買わないとなぁなんて呑気な事を考えつつ、食パンをオーブントースターにセットする。
時間は適当だ。見張っておけば、焦げ目なんてつかないからだ。
オーブントースターに灯りがつき、食パンをじっくりと焼く。
火に炙られるトーストを、ただ呆然と見ていた。
その退屈加減が良い居眠りの要因となる。
「……」
眼中に上映された映像は、初めて彼と灯した小さいランプだった。
暗闇の中、ベッドサイドライトが小さく灯火を作った。その灯火は優しく、柔らかく2人を照らす。
彼の顔がぼんやりと見えた。
「……なぁマス。」
「俺のこと好き?」
何となくで聞いた、わかりきった質問。
「好きに決まってるだろ。」
彼は笑いつつ返答した。まるで、当たり前かのような物言いであった。
部屋全体が灯りに呑まれる。かと思いきや、彼の顔はそこにはない。
「俺にはお前しかいない。」
暖く脈打ちを繰り返す体温に包まれる。それは自分以外が発するものだった。
愛を囁く根源が、重く肩にのしかかる。巻き付けられた手は強く、硬い。此方のことを離すまいとしているのだ。
しかし、一方で彼の手はほんの少し震えていた。まるで、大好きなぬいぐるみを壊さぬようにと恐れる手つきにも見えた。
一方通行に愛を語るのではなく、彼はちゃんと俺のことを考えてくれているのだと思い知った。
強く滲み出る我儘の中に、隠すように封じ込められた優しさが伝わったからだ。
何も知らない奴等程、彼のことを乱暴だとか、怖いだとか、知ったような口振りで彼を非難する。
昔の俺もそうだった。
でも、今だからこそ、彼はそんな奴じゃないって、わかる。
彼はこんなにも不器用で、可愛いやつなんだって。
「……俺も好きだよ。」
エアコンが効きすぎて寒すぎる部屋の温度も、
汚れたシーツも、
愛が蝕んで重い体も、
全て愛おしく思えた。
「……んぁ。」
ずるりと糸がちぎれる。
いつの間にか古く錆びた記憶を、夢として見ていたみたいだった。
そういえばと思い出す。
「焼きすぎたかな。」
始めにセットしたタイマーは止まっており、火力は止まっているようだった。
オーブントースターの取っ手を掴み、トレーを引く。
中の様子を見てみると、黒く焦げたトーストが顔を見せた。
「あーあ……。」
居眠りをしているとろくなことが起きない。
でもまあ、どうせ胃酸に溶けてしまうのには代わりないしと割り切り。
戸棚から2つの皿とコップを取り出し、2つの皿にそれぞれ食パンを置く。続いて冷蔵庫から牛乳を取り出し、コップへと注いだ。
それらをダイニングテーブルへと運び、相対するような形で置いた。
椅子を引きずり、流れるように座る。
居眠りをしていたせいで余計に痛む首元を労わるように摩った。
ガチャリ。
不意に、扉が開く音がする。目線だけ追ってみると、彼が立っていた。
着替えを持ち合わせていなかったのか、彼の服はそのままであった。服が汚れることなんて分かりきったことなのに。
そんなところを見て馬鹿だななんて思うものの、それは敢えて口に出さなかった。
「ん、朝飯。……生憎だけどこんなもんしか今は作れなくてな。」
あんたのおかげで。と言葉を足すと、彼は少し顔を顰めた。
ずかずかとキッチンへと足を踏み入れると、乱暴に椅子へと座る。
いただきますの挨拶もなしに、彼は食パンを頬張った。
「……いただきます。」
彼と相反して小さく挨拶をすると、俺も食パンを頬張った。
トーストはさくりと音もせず、だいぶ湿気っているようだった。
「……なぁマス。」
「俺のこと好き?」
何となくで聞いた、分かりきった質問。
しかし、彼は食パンを食べる手を止め此方を見つめた。まるで、質問の内容に驚いているようだった。
「……好きに決まってる。」
1つ間を置いて、返答される。まるで、当たり前かのような物言いであった。
彼は残り3口ほどの食パンを一気に口に入れ、喉を鳴らして飲み込む。
食パンを完食し終え、牛乳を飲む。視線は何か考えているように横を向いていた。
ガタンと一際大きな物音がたち、コップがテーブルに置かれる。
ずかずかと歩み寄られたと思いきや、彼の顔はそこにはない。
「……俺にはお前しかいない。」
暖かくみ脈打ちを繰り返す体温に包まれる。自分以外が発するものだと気づくのに、少々時間がかかった。
愛を囁やこうとする根源が、重く肩にのしかかる。巻き付けられた手は強く、硬い。此方のことを離すまいとしているのだ。
しかし、一方で己の手は震えていた。久しぶりの抱擁は、一昔前に感じた優しさとは別の手つきに見えたからだ。
自分の気にいった容姿のぬいぐるみは、例え世間に似たようなものがあろうが、代わりはない。
だとすれば、大切にする理由もわかるわけで。
「……」
抱擁は止まった。
エアコンが効きすぎて暖かすぎる部屋の温度も、
汚されたシーツも、
一方的な愛が軋んで重い体も、
全て愛おしく思いたかった。
「……俺もう行く。」
彼は踵を返して扉の方へと歩く。
己の意思を噛み砕くようにして、トーストに齧り付いた。ぽろぽろと粉が散る。まるで、壊れきった何かが完全に崩壊するように。
「…マス。」
焦げた素材の味が残っている舌で、彼の名を呼ぶ。
彼は返事もせずにドアノブに手をかけ、名前を呼ばれていることに気づいてるのかも曖昧であった。
きっと彼は、何も考えていない。自分すらよければそれで良いのだから。
だから、俺のことを見向きもしなくなった。
本当はもっと昔からわかっていた。でも、昔の恋人気分が味わいきれず、昔のままの気分に浸っていた。
今もそうだ。
彼はもう、俺の事なんてどうでもいいのに。それでも尚、俺は彼に縋っている。
「……今の俺たちって、トーストみたいだよな。」
部屋を出ようとする彼に、お構い無しにジョークを言った。決して笑えるようなものじゃない、不平な意味合いのものだった。
「……はぁ?」
間の抜けた声を出して、彼は振り返った。
黒くくすんだ赤と目が合う。
どうしても昔の彼と重ねてしまい、耐えきれずに目を逸らした。
逸らした先は、下の方。盛り付けられたとは言い難いほど雑にぽつんと皿に置かれたトーストだった。
トーストはもう、味わえないぐらいの心境だった。
迷いを切り捨て、本音を吐く。
「……俺たちもう別れようぜ。」
からんと落ちる、トーストの乾いた音色が響いた。