全てが、止まる。
ふわり、と
花が開くように微笑んだ。
その屈託ない笑顔に 目が離せなくなる。
視線が釘で 打ちつけられたみたいに
彼の瞳に 吸い込まれていく。
これは、
きっと
落ちたのでもなく
撃たれたのでもなく
胸に手を当てると、
カリカリとシャーペンを 紙に走らせる音が響く。
頬杖をつきながら 外を眺める。
雨が窓を叩いている。
耳を澄ませば、 ポツポツと微かな音が 鼓膜を揺らす。
雨は好き。
何か、悪いものを 洗い流してくれそうだから。
洗い流されたことは まだないけど。
意識が教室に飛ぶ。
飛ぶっていうか、戻った。
ふっと息を吐いて、 呆れたように言って
私を咎めるように、 軽く睨んでくる。
見ているうちにも、 表情がくるくる変わる。
こんな人だったんだ。
イメージとは違って、 少しおもしろい。
向かい合った 机の上に重なる、 沢山の参考書。
目の前に座っている彼は、 香水 湊(かすい みなと)。
同じクラスの学級委員長で、 テストでは常に上位。
困っている人を 放っておけなくて、 誰にでも親切。
頭がよくて性格もよくて
まさに「完璧」。
…というのは、 彼を知る 全ての人の受け売り。
正直私は、 彼のことを あまり知らない。
あまり、というか
話したこともなかった。
こうやって 向かい合って 勉強するなんて、 思ってもいなかった。
無口で人と 関わろうとしない私が
挨拶すらしたこともない人に 話しかけたのは
やむを得ず、 緊急事態だったから。
今日は テストの返却日だった。
よりにもよって 一番苦手な、英語の。
返却されたのが ホームルームで、 まだよかった。
苦笑いする先生から 声をかけられ、 嫌な予感がした。
点数を見た瞬間、 言いようのない絶望が 胸を占めた。
過去最低点。
いや、赤点だった。
結構勉強したのに。
溜息を堪えて、 解答用紙をじっと 見つめてみる。
それで点数が変われば テストなんていらないんだけど。
そんなファンタジー あるわけないし。
なんだかもう どうでもよくなって
机に伏せた。
私は見える分、 人よりエネルギーを使う。
何が見えるかって、 説明しにくいんだけど。
視覚が失われたことで いつもより冴えた耳に
たくさんの音が響く。
チャイムが鳴った。
顔を上げると、 先生と目が合った。
…ふうん。
満点の人いたんだ。
間延びした先生の声。
わらわらと 人が外に出る空気。
無意識のうちに 立ち上がって
私は声を張りあげていた。
教室の後ろで騒いでいた クラスメイトたちが
弾かれたように 一斉に振り返る。
呆然と私を見つめる 群衆の中で
高校生男子にしては 少し低い人が
つまり、彼が首を傾げた。
溜息をついた彼が 私の顔を覗き込む。
見つめ合って、 その瞳が真っ直ぐすぎて
ふい、と横を向いた。
自分勝手な私。
心を乱すような言葉ばかり 私は投げつけているのに
彼のリズムは 全然乱れない。
何も見えなくて、 腹が立つ。
彼は真面目だ。
ただのクラスメイトに 散々に言われて
親しくないのに 勉強を教えてくれる。
真面目だから、 人のことを 第一に考えている。
なんて 生真面目なんだろう。
口を開こうとする 彼を止めた。
私の疑問に、 彼は小さな顔に 華を咲かせた。
もちろん、 表情が華やぐって意味。
身体を倒して、 平べったい机に預ける。
顔だけ彼のほうへ向けて、
私は言うことにした。
身体を起こす。
真似をして 強い意志を込めた視線を 送ってみると
彼はこわごわ頷いた。
言葉を処理しながら ぽつぽつと声を零す。
私が曖昧に答えると
悪戯を思いついた 小学生男子のような
秘密を教え合う 中学生女子のような
どこか弾んだ口調で 彼は言った。
彼はまた真っ直ぐに 私を見つめて
恥ずかしげもなく、 言葉を発する。
全ての音が、消える。
時間に置いていかれたみたいに
全てが、止まる。
ふわり、と
花が開くように、微笑んだ
その屈託ない笑顔に
目が離せなくなる。
視線が釘で 打ちつけられたみたいに
彼の瞳に 吸い込まれていく。
とくとくとく、と
静けさを破るのは 私の心臓の音と
窓の外の、 雨粒が弾ける音。
感じたことのない気持ち。
他の人でなら 見たことはあるけど。
これは、
だけどきっとこれは
落ちたのではなく
撃たれたのでもなく
心臓をナイフで 突いたような痛み。
苦しくて、息が詰まる。
慌てた彼の声が 遠く聞こえる。
胸に手を当てると、
白くて先の尖った 小さな矢が
さながらキューピッドの それのように
たしかに、刺さっていて
それが、私の感情を 文字どおり 具現化していた。
首を傾げる鈍感な彼に
私は微かに笑ってみせて
暫くは抜けないだろう、 キューピッドの矢を
きゅっと優しく 手の中に包む。
これは、私だけの恋の証。
だから、ひとりじめにして
絶対、誰にも見せてあげないんだ。
目を閉じると聴こえる、 鼓動と雨音のハーモニーと
ほのかに広がる 全身の熱が
今の私には、 心地よかった。
初恋アロー
コメント
23件
恋が見えて、自分も初めて恋を体感する。 恋が見えるからこそ「刺さった」という表現がより強く感じられました😭👍 サムネも素敵です👏🏻✨ 私もこんな素晴らしいお話が書けるように頑張ります!

恋が見えるという発想、そして物語の進め方、とっても、とっても素敵でした。 本当に、すごいです😊💕
初コメ失礼します!!!! タグで検索してたら辿り着きました。 最初アローってどういう事だろうって思ってたんですけど、コメント欄見たらそういうことねってなりました! うわあああ、もうやばいです。 テラーって天才多いですね!(((