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ゆり@🫧💜 低浮上です
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あかね
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第4話「心の居場所」、じっくり読ませてもらいました。 柊馬の不器用な優しさが、ここにきて一層深く刺さりますね。車道側を歩く「癖」や、心春が好きだと言ったパンを覚えていること――全部「見ているから」という理由が、彼の誠実さを物語っていて。でも一番響いたのは、無理して笑う心春に「俺には分かるから」と言える距離感。あの夜の公園、ただ隣に座って待つ選択が、彼の優しさの本質だと思いました。 あと、心春が柊馬の「眉が下がる」「目が笑う」といった癖を覚えていく流れも好きです。お互いをお見通しになっていく過程が、二人だけの特別な時間を醸し出していて。 家に帰るのが怖いと初めて口にしたシーン、心春の生身の感情が溢れ出した瞬間がとても胸に残りました。続きが気になります!
昼休みの賑やかな光が差し込む教室の片隅。
珍しく心春は、誰に合わせるためでもない、自分の感情のままの生身の声で笑っていた。
最近の放課後の日々が、頑なだった彼女の心を少しずつ、確かに変え始めていた。
周囲の目を気にする優等生の仮面を脱ぎ捨てて、子供のように意地を張り合う、いつもの小気味いい言い合い。
スッと二人の間に、おっとりとしたマイペースな空気を纏った千歳が笑みを浮かべて入ってくる。
柊馬はバツが悪そうにフイと視線を逸らし、ぶっきらぼうに毒づく。
何を考えているか読めない涼しげな目元で、千歳が優しく、けれど確実に柊馬を牽制するように覗き込んだ。
いつもなら、他人の顔色を窺って、嫌われないための正解を探して緊張していたはずの空間。
なのに。最近はこうして、彼らの前でだけは自然と心から笑えている自分がいた。
心春
にぎやかなガヤ声の向こう側から、どこか冷めた低い声が届く。
教室へ入り、じっとこちらを見つめながら声を掛けてきたのは、先輩の蓮だった。
本を片手に、その奥にある空っぽの闇を通り越して、心春のささやかな変化を静かに見つめている。
淡々とそう言って、蓮はパタンと静かに本を閉じた。
その横から、同じく先輩の駿が、ひょっこりと顔を出して同意するように頷いた。
駿はニヤニヤとからかうわけでもなく、ただ当然の事実として、心春の外面の嘘を素通りするように言った。
自分を殺して、誰にも気づかれていないと信じ込んでいた、心春の『完璧な仮面』
けれど、心春自身は何も知らない。
蓮も。 駿も。 千歳も。 あの冷徹な弟の遥斗も。 そして、自分の思考回路を気持ち悪いほど先回りして理解してくれる、柊馬も。
みんな。
白瀬心春という不器用な女の子が、どれほど息苦しそうに歪んだ笑顔を貼り付けていたのかを、ずっと、最初から見ていたということを。
周りの男の子たちの、不器用で、けれど圧倒的に優しい視線の重なりに、心春はまだ気づいていなかった。
夕闇が静かに街を覆い尽くしていく帰り道。
今日もいつも通り、並んで歩く柊馬の歩調に合わせて歩いていく。
前を向いたまま、柊馬が低い声を落とした。
自分の本心をことごとく見透かしてくる男子たちの顔を思い浮かべ、心春は引きつる笑顔のまま文句を言う。
言い合う二人の穏やかな空間を切り裂くように。
ポケットの中で、スマートフォンが冷たいバイブ音を立てて重く震える。
画面に表示された、あの生き地獄の檻からの通知。
どこ?
まだ?
はやく帰って来て
一瞬にして血の気が引き、心春の表情が完全に人形のように固まる。
完璧に取り繕っていたはずの「世界」が、一瞬にして元の冷たい現実へと引き戻されていく。
急変した心春の様子を、柊馬は何も言わず、ただその瞳の奥の真っ直ぐな光で見つめている。
お母さんを支えなきゃ。私が良い子にしていなきゃ、あの家が壊れてしまうから。
壊れかけた笑顔の仮面を必死に顔面に貼り付け直す。
背後から、心春のすべてを理解したような、地を這う低い声が引き止めた。
お前は今日も、自分の感覚を殺して、あの中身空っぽの動く死体になりに行くのか。 その柊馬の問いかけに。
心春は何も答えられない。
自分の本当の感情なんて、分からないから。ただ、引きつる口元を無理やり上に持ち上げて、少しだけ悲しそうに笑う。
__________
私しか、頼れる人がいないから。自己犠牲の言葉を笑顔の裏に飲み込む。
これ以上ここにいたら、彼の優しさに甘えてしまいそうで怖かった。
心春は柊馬の視線から逃げるように、がむしゃらに足を動かして走り去る。
夕方に取り残された柊馬は、遠ざかる彼女の細い背中を見つめながら、小さく、ひどく切なげにため息を吐いた。
あんたが我慢して犠牲になる必要なんて、最初からどこにも無いんだと。
誰の耳にも届かない低い声が、夕方の街へと静かに溶けて消えていった。
白瀬家のリビング。 静まり返った真っ暗なキッチンで、心春は一人、淡々と夕飯を作っていた。
暗闇のソファの隅から、膝を抱えた母親の由香里が、狂気的な目元をギラつかせて声をかけてくる。
瞬時に、優しい、害のない聖母のような笑顔を貼り付けて振り返る。
私の人生を縛り付ける、重くてドロドロとした母親の依存の言葉。
その歪んだ愛情の重さに、心春の胸が締め付けられるように苦しくなる。
また、自分の本当の感情を押し殺して、謝る。
また、傷つかないために、笑う。
また、自分の意見を、暗闇の奥へと深く飲み込む。
それが、この家で生きるための、私の唯一の『皮膚』だから。
リビングの入り口、廊下の薄暗がりの影から、中学生の遥斗が、冷徹極まりないナイフのような目で見つめていた。
気配に気づき、心春が完璧な姉の笑顔のまま問いかける。
寝巻き姿の遥斗が、廊下の冷たい壁に背を預けたまま、静かに声を落とした。
いつもは中身スカスカの動く死体だと姉を切り捨てていた遥斗が、ほんの少しだけ、不思議そうな目を心春に向ける。
最近の放課後、進藤柊馬という男によって、心春の凍りついた感情が内側から動かされ始めている変化を、誰よりも近くにいる弟は敏感に察知していた。
バタン、とそれだけを言い残し、遥斗は自分の部屋へと戻っていく。
心春だけが、静まり返ったキッチンのその場に、呆然と取り残された。
私が、本当に笑えてる……? 柊馬くんの前で見せた、あの子供みたいな笑顔のことだろうか。
自分の本心が分からないまま、心春の心に奇妙なざわつきが広がっていく。
世話や家事を終え、疲れ果てて真っ暗な自分の部屋のベッドに横たわっていた時。
スマートフォンが、冷たいバイブ音と共に青白く光って震えた。
柊馬 『明日も迎えに行く』
画面に表示された、ぶっきらぼうで、けれど自分をこの檻から連れ出そうとしてくれてる、進藤柊馬からの直球のメッセージ。
『迎えって何』
柊馬 『迎えは迎え』
『意味分かんない』
柊馬 『分かれ』
先読みして、私の「逃げ道」をすべて塞いで、等身大の距離まで強引に踏み込んでくる。
スマホを握りしめたまま、心春の引きつっていた唇から、ふっと本物の笑顔が零れ落ちる。
思わず、声を上げて優しく笑っていた。
その愛おしい笑顔のすぐ奥側で。
お母さんが放った、呪縛の言葉も。
遥斗の放った、前より本物っぽいという鋭い言葉も。
暗闇の中に重く沈んだまま、消えてはくれなかった。
自分の「居場所」がどこにあるのかも分からないまま、心春はただ、青白く光る画面を強く見つめることしかできなかった。
澄んだ空気の中に、少しずつ柔らかな朝陽が差し込み始める通学路。
心春は教科書を詰め込んだカバンを手に、いつものように校門へ向かってトッ、トッ、と歩いていた。
すぐ真横から降ってきた、少し低くて、けれど聞き慣れた肩の力の抜けた声。
驚いて顔を上げると、そこはまだ校門の手前。
普段なら不機嫌そうにポケットに手を突っ込んでいるはずの進藤柊馬が、電柱にもたれかかるでもなく、真っ直ぐ綺麗な姿勢で立って待っていた。
まるで、最初からこうして心春を迎え入れる準備ができていたかのように。
柊馬はいつものようにぶっきらぼうに、けれど一切の迷いもなく即答する。
昨夜のメッセージの、あの強引な先回りのやり取りが頭をよぎる。
呆れたように口を尖らせ、いつもの優等生の「愛想笑い」ではなく、呆れたような、でも、どこか楽しそうな表情を浮かべる心春。
勝手すぎるよ、と言いながらも、心春の強張っていた頬はほんの少しだけ、嬉しそうに緩んでいた。
多くの生徒や車が行き交う、朝のせわしない通学路。
柊馬は何も言わず、ごく自然な足取りで、車道側へと自分の位置を移した。
それに促されるようにして、心春は何の危険もない歩道側を歩く形になる。
その柊馬の、言葉にしないさりげない行動が気になって、心春は隣の横顔を覗き込んだ。
柊馬は照れ隠しをするように、少しぶっきらぼうに視線を前へと戻す。
ただそれだけだと言わんばかりの、あまりにもフラットで、けれど心春の領域を優しく守るための不器用な一言。
その、気負いのない真っ直ぐな言葉に。心春は少しだけ目を丸くした。
これまで誰かに合わせることでしか自分を守れなかった心春の胸に、その温かい言葉がストンと届いていく。
学校へ向かう途中。前方の信号が赤になり、人混みが一気に動き始める。
駅からの乗降客と通学途中の生徒たちの波が、二人の行く手を塞ぐように交錯した。
人混みが一気に動き始める。
向かってくる人の波から、心春の細い身体を庇うように。柊馬は乱暴に腕を掴むのではなく、そっと、壊れ物でも扱うかのように優しく肩へ手を添え、人の流れから自然に遠ざける。
触れられた肩の先から、じわりと彼の体温が伝わってくるようだった。
柊馬がそっと手を離し、また何事もなかったかのように歩き出す。
その広い背中を追いかけながら、心春はふと、あるひとつの重大な変化に気付く。
そういえば…
この人、私の前だとポケットに手を入れない。
出会ったばかりの頃は、無骨で関わりづらそうに、いつもポケットに両手を突っ込んでいたはずの進藤柊馬。
なのに。
いつも両手が空いている。荷物を持てるように。何かあった時、すぐ動けるように。私のために、いつでもその大きな手を伸ばせるように。
言葉にはしない彼の、あまりにも優しすぎるその「癖」の理由を理解した瞬間、心春の胸が、甘酸っぱい熱を帯びてうるさく脈打ち始めた。
いつもと変わらない、ざわざわとした放課前を控えたにぎやかな教室。
自分の席に座った心春の元へ、物静かな空気を纏った千歳が歩み寄ってくる。
上品でおっとりした、いつもの安心する声。
何を考えているか読めない涼しげな目元が、少しだけ伏し目がちに心春の顔を覗き込んだ。
楽しそう、という千歳の一言に、心春は少しだけ考える。
今までなら、嫌われないための優等生の笑顔の仮面を被るだけで、自分の感情なんて分からなかったのに。
お母さんの呪縛も、遥斗の鋭い言葉も、消えてくれたわけじゃない。
けれど、進藤柊馬という男の前で、子供みたいに意地を張り合っている時間だけは、本心から笑えている自覚が確かにあった。
その、仮面の裏にいた心春の本音を聞いた千歳は、少しだけ、本当に嬉しそうにふにゃりと笑う。
6年間の避難所として、心春が救われ始めている事実は、誰よりも嬉しいはずだった。
でも。その優しげな視線は、心春の顔から外れ、静かに教室の入口へと向いていた。
そこには、今教室に入ってきたばかりの、心春の席へ向かう柊馬の姿。
自分には踏み込めなかった心春の境界線を、不器用な先読みで軽々と越えていく男の姿を見つめながら、千歳は何も言わないまま、ただ寂しそうに佇んでいた。
___________
昼休み
雲一つない青空が広がる、昼休みの静かな屋上。
フェンスに寄りかかる二人の間を、爽やかな風が吹き抜けていく。
柊馬が、自分のカバンから無造作にひとつの袋を取り出して差し出した。
袋を覗き込んだ心春は、息を呑む。
柊馬が差し出したのは、購買でいつも一瞬で売り切れてしまう、心春が前に「好きだ」と言っていた菓子パンだった。
見えるし、とぶっきらぼうに視線を空へと戻す柊馬。
その瞬間。心春の頭の中に、最近、彼と一緒に過ごしてきた「当たり前の日常」の光景が、走馬灯のように次々と浮かび上がる。
車道側を歩く。
重い荷物を何も言わず持つ。
人混みでは必ず前に立つ。
飲み物が減れば、「もう一本買う?」と聞いてくる。
寒そうなら、「中入るか」と言う。何一つ言葉にはしない。支配もしない。
ただ、心春と同じ景色が見えてしまっているからこそ、彼女が困る前に、傷つく前に、すべての行動を先読みして守ってくれていた。
もしかして…
その圧倒的な、不器用すぎる行動の裏にある本質に気づき、心春は隣の横顔を真っ直ぐに見つめた。
その、あまりにもド直球な心春の問いかけに。
一瞬、パンを口に運ぼうとしていた柊馬の動きが完全に止まる。
気まずそうに、けれど照れくさそうに首をかく柊馬。
誰からも好かれるための偽物の笑顔ではなく、自分の生身の心で、彼の「超不器用な優しさ」を理解できていた。
真っ直ぐに自分を肯定する心春の視線に耐えかねて、柊馬は赤くなった耳を隠すように、不器用そうにフイと視線を逸らす。
低い、けれど、どこか愛おしさを孕んだ不機嫌な呟き。
二人の間に、夕暮れのような、けれどひどく心地の良い、穏やかな沈黙が流れる。
もう、気まずさなんてどこにもなかった。
この人は……
何も言わなくても、ちゃんと見てくれてる。
私も少しずつ、柊馬くんが何を考えてるのか、分かるようになってきた。
お互いの考えていることが「お見通しレベル」で通じ合っていく、二人の特別な距離感。
その変化が、誰にでも合わせて心を殺し、凍りついていた心春の仮面を、内側から優しく、少しずつ溶かし始めていた。
昼休み。うららかな陽射しが降り注ぐ中庭に、柔らかな春風が吹き抜けて青々とした木々を優しく揺らす。
ベンチに並んで腰掛ける心春と柊馬の間には、かつてのような壁はもうどこにも存在しなかった。
カザ、カザ、と頭上で葉の擦れ合う音を聞きながら、心春は心地よさそうに目を細めて呟く。
柊馬はいつも通り肩の力を抜いたまま、等身大の穏やかな声で短く応じた。
出会ったばかりの頃の、あのピリピリとしたぎこちなさなんて、嘘のようになくなっていた。
言葉を無理に探す必要のない、ただ隣にいるだけの沈黙すら、今の二人にとってはひどく愛おしくて心地いい。
ふと、柊馬の低い声が、静かに心春の名前を呼んだ。
家事や世話を終えて、疲れ果ててベッドに潜り込んだ夜。心春はいつものように完璧な笑顔を作って、何事もなかったかのように嘘をつく。
けれど、その外面の仮面をさらりと見抜く。
じっと見つめてくる柊馬の真っ直ぐな瞳。
スマホのインカメラを立ち上げて、画面に映る自分の顔を覗き込み、心春は小さく呟く。
朝、1ミリのズレも許さないために、ちゃんと鏡の前に立って笑顔の練習をしたはずだった。
人差し指を顎に当てて、うーんと数秒の間、大真面目に考え込む心春。
自分の顔のどこをチェックしていたのか、記憶を一生懸命に手繰り寄せる。
ぽん、と手を叩くように、何かに気づいた声を上げる。
自分の表情を完璧に作ることに必死すぎて、目の充血なんてこれっぽっちも意識していなかった。
静寂。
あまりにも想定外な心春のその答えに、中庭の空気が一瞬だけピタッと止まる。
我慢の限界を迎えたように、柊馬が大きな手をお腹に当てて、声を弾ませて爆笑し始める。
出会ってからこれまで、一度も見たことがないくらい、心の底から本当に楽しそうに身体を揺らして笑っていた。
あまりの柊馬の豹変っぷりに、心春は素で目を丸くして驚く。
ククク、とお腹をよじらせながら、柊馬は何度も心春のセリフを反芻して笑い転げる。
いつもはクールで無骨な彼が、目尻にじんわりと涙まで浮かべて、呼吸が苦しくなるほど笑っている。
その無防備で生々しい笑顔が、どこかひどく眩しかった。
心春は子供のように、ぷくっと頬を膨らませてヘソを曲げてみせる。
他人の目を気にする優等生の仮面なんて、彼の爆笑の前では完全に吹き飛んでしまっていた。
ひとしきり笑って、ようやく落ち着きを取り戻した柊馬が、目尻の涙を指先で拭いながら、ふっと柔らかい視線を心春へと戻す。
いたずらが大成功したかのような優しい瞳で、じっと隣の少女を見つめた。
あまりにも自然に、あまりにも真っ直ぐに、その言葉が柊馬の薄い唇から零れ落ちる。
唐突すぎるド直球な肯定に、心春は一瞬で顔が熱くなるのを感じて、戸惑いながら声を潜める。
トツ、トツ、と言葉を重ねる柊馬の声。
その響きは、さっきまでお腹を抱えてふざけて笑っていた時とは、明らかに違っていた。
ひどく優しくて、どこか心春のすべてに愛おしそうに見惚れるような、深くて甘い響きを帯びていた。
トクン、トクン、と胸の奥のうるさい心拍音が、春風の音をかき消していく。
心春は赤くなった顔をどうにか落ち着かせようと、じっと彼の瞳の奥を覗き込んだ。
他人の顔色を窺って、相手に合わせることで生きてきた私だからこそ、本能的に分かる。
お世辞でもからかいでもない、進藤柊馬の本物の感情が、そこに真っ直ぐ存在していること。
まさか自分の心の内まで言い当てられるとは思っていなかったのか、柊馬が少し驚いたように大きな目をパチパチと瞬かせる。
いつも柊馬に先読みされてばかりだった私が、少しずつ、彼の心の動きをなぞれるようになっていた。
お互いの考えていることが通じ合う、二人だけの『お見通しレベル』の特別な時間。
気恥ずかしさが限界を迎えたのか、柊馬が大きな手で自分の顔を半分覆うようにして、遮るように低い声を絞り出す。
心春は少しだけ悪戯っぽく、覗き込むようにして尋ねる。
指の隙間から赤くなった耳を覗かせながら、柊馬は不器用そうに、照れたように優しく笑う。
私のことを誰よりも理解してくれるこの人が、今は私の言葉によって、こんなにも分かりやすく揺らいでくれている。
その、仮面の裏に隠されていた心春の本物の愛おしい笑顔を見た柊馬は、愛おしさが堪えきれなくなったように、また自然と笑ってしまう。
支配もしない。救い出すような大それた言葉でもない。ただ、ぶっきらぼうだけど世界で一番近い場所から、心春の生身の感情を真っ直ぐに愛そうとしてくれる、柊馬なりの最高の告白。
今度こそ頭のてっぺんまで熱くなり、心春は真っ赤になった頬を隠すようにフイと目を逸らす。
その、自分の言葉に嘘偽りなく動揺してくれる愛おしい様子を見つめながら、柊馬はどこまでも優しく、幸せそうに目を細めて笑った。
どこか冷たくも澄んだ空気が心地いい、いつもの通学路。
校門へ向かってトッ、トッ、と歩いてくる心春の視線の先。
進藤柊馬は、もうそこに待っていた。
肩の力を抜いた、けれど心春の姿を捉えて少しだけ柔らかくなった低い声。
もう以前のように「なんでいるの?」なんて野暮なことは聞き返さない。
朝の光の中で、彼がそこに立って自分を待ってくれていることが、いつの間にか心春にとっての、何よりも愛おしい当たり前になっていた。
どちらからともなく歩調を合わせ、二人は並んで歩き出す。
小さく身を縮め、口元から白い息を零しながら心春が呟く。
そう言って、柊馬がカバンから無造作に取り出して差し出したのは、ほんのりと湯気を立てる温かい紙パックのミルクティーだった。
何も言っていないし、頼んでもいない。なのに。自分がこの寒い朝に、一番温かいものを飲みたくなるタイミングまで、彼は分かっている。
かつて千歳が過去の記憶から手渡してくれたものとは違う、今この瞬間の私の思考回路に、そっと寄り添ってくれる彼の不器用な優しさ。
指先から伝わるミルクティーの熱に、胸の奥までじんわりと満たされていく。
ストローをすするかすかな音だけを残して、二人の間に穏やかな沈黙が流れる。でも、それはかつて他人の目を気にして張り詰めていたあの気まずい沈黙なんかじゃ、決してなかった。
ちらりと、隣を歩く柊馬の少し眠たげな横顔を見上げる。
お互いに顔を見合わせて、ふっと自然に笑い合う。
もう、余計な説明なんて何もいらない。ただ同じ空間にいるだけで、お互いの考えていることが手に取るように分かってしまう。
ざわざわとした生徒たちの声が響く、昼休みの教室。
心春がお弁当を持って立ち上がろうとしたその瞬間、肘が当たってカバンが机から滑り落ちそうになる。
大きな音を立てる前に、柊馬は何事もなかったかのように何も言わずカバンを支え、机の上に戻す。
心春の次の動きを、最初から見ていなければ、絶対にできない速度だった。
じっと、自分のためにいつでも動けるように、ポケットから出されている彼の大きな手を見つめる。
他意もなく、ぶっきらぼうに、けれど確信を込めて柊馬はそう言った。
言葉とは裏腹に、自分を四六時中ちゃんと見つめてくれている彼の瞳の優しさに、心春の胸がまた心地よく波打つ。
__________
放課後の賑やかな買い出しの買い物客が行き交う、夕暮れの商店街。お母さんに頼まれた食材を買うために、いつものスーパーへと寄る。
心春がカゴを持とうと、自ら手を伸ばしたその時。
横からスッと柊馬の大きな手が伸びてきて、カゴの取っ手を自然に受け取る。
ただそれだけだろ、と言わんばかりの気負いのないフラットなトーン。
その、当たり前のように自分の負担を半分背負おうとしてくれる一言に、心春の顔が一気に熱くなり、少しだけ照れくさそうに視線を泳がせる。
家族の誰のためでもない、自分のための「お姉ちゃん」の仮面が、彼の前では優しく剥がされていく。
カゴに食材を入れながら、夕闇の迫る道を並んで歩く。
出会ったばかりの、あのぶっきらぼうで「なんか嫌な奴」だった頃を思い出して、心春は悪戯っぽく笑う。
クールを気取っていたはずの彼の、あまりにも意外で可愛い不器用な本音に、思わず二人で顔を見合わせて声を上げて笑い合う。
不器用で、表現が下手なだけ。そんな彼の内側を、心春は誰よりも愛おしく理解していた。
__________
夕焼けの帰り道。濃いオレンジ色と紫色のグラデーションが、二人の影を長く地面に描き出す。
背後から、車が通り過ぎようとする微かな音が聞こえる。
柊馬はまた何も言わず、ごく自然な動作で、心春の肩を優しく引き寄せるようにして歩道の内側へといざなう。
もう、そこには指示も、確認も、何一つ必要なかった。
心春も当たり前のように、彼のその守ってくれる動きに自分の身体を預け、歩調を合わせる。
お互いの横顔を見つめ合う。風の音だけが優しく流れる。
柊馬が驚く風でもなく、当然のようにつぶやき、心春は嬉しそうに目を細める。
阿吽の呼吸のように思考が重なり合い、二人同時に、幸せそうに柔らかく笑う。
言葉を交わさずとも、お互いの脳内の景色がシンクロしている特別な時間。
ふと、柊馬の笑いを含んでいた声が、どこまでも真剣な、低いトーンへと変わる。
どんなに完璧な仮面を被って自分を殺していても、俺だけは、心春の本当の心の悲鳴を先読みして全部受け止めるから。
その声はどこまでも静かで、優しくて、嘘偽りのない真っ直ぐな響きだった。あの生き地獄のような家に帰らなければならない現実は変わらない。けれど、彼のその言葉が、心春の檻を内側から優しく壊していく。
その心春の口から零れ落ちた小さな返事もまた、誰の顔色を窺うでもない、無理をしていない本物の、彼女自身の本当の声だった。
二人はまだ気付かない。お互いを理解しようと、ただ等身大のままで重ね合わせてきた時間が、いつの間にか「言葉はいらない」と思えるほど、誰よりも深くて切ない絆になっていたことに。
ガチャリと、重い鉄製の玄関の扉が静かに閉まる。
外の穏やかな夕闇の空気は一瞬で遮断され、白瀬家の、息の詰まるような冷たい暗闇が心春を包み込んだ。
いつものように、返事はない。
他人の顔色を窺って生きてきた心春の身体が、本能的な恐怖に強張り、暗い廊下を音を立てないようにゆっくりと歩く。
リビングの奥から漏れ聞こえてくる、理不尽に狂った父親の怒鳴り声。
それに縋(すが)り付くような、母親のヒステリックな泣き声。
直後、何かが床へ激しく落ちて、バラバラに砕け散る鈍い音が静まり返った家に響き渡る。
かつて自分の叫びを誰も信じてくれなかった、あの生き地獄のような光景がフラッシュバックし、心春は強く目を閉じる。
大丈夫
引きつる頬の筋肉を無理やり持ち上げ、いつもの完璧な笑顔の仮面を顔面に貼り付ける。
自分に言い聞かせるように、小さくそう呟いて、感情を殺そうとした。
廊下の奥にある薄暗い部屋の扉が、ギィと嫌な音を立ててゆっくり開く。
暗闇の中から不気味に響く、ねっとりとしたその声。
その声を聞いた瞬間。心春の身体が、まるで凍りついたかのようにピクリと大きく震える。
決して視線を合わせない。生気が消えた瞳のまま、ただ俯いて自分の身体を小さく丸め、一刻も早くその存在から逃れるように通り過ぎようとする。
心春は何も悪くない。謝る必要なんて、どこにもない。それでも、これ以上自分の境界線を踏み荒らされないために、傷つけられないために、笑顔のまま謝る。それしか、この家での生き方を知らない心春にはできなかった。
嵐が去ったように家族が寝静まり、死んだような静寂が家を支配した頃。
心春は一人、あの檻のような家を抜け出し、吸い込まれるようにして近くの公園へと向かっていた。
冷たい夜の公園。誰もいない空間。ぽつんと佇むブランコに、疲れ果てた身体を預けるようにして腰を下ろす。
キィ、と微かに鎖の鳴る音が響き、冷たい夜風が、涙すら忘れて強張った心春の白い頬を冷酷に撫でる。
ポケットの中で、スマートフォンが短いバイブ音と共に青白く光って震える。
液晶画面を見つめる心春の瞳に、その名前が映り込んだ。
柊馬 『まだ起きてる?』
不器用だけど、いつも一番欲しいタイミングで自分の思考を先読みしてくれる、あの男からのメッセージ。
心春はしばらくの間、ただじっとその冷たい光の画面を見つめ、震える指先で静かに文字を打ち込んだ。
『うん。』
数秒後。 まるでスマホを握りしめて待っていたかのように、即座に新しい通知が跳ね上がる。
『どこ?』
『公園。』
『動かないで。』
それから、わずか十分後。静まり返った夜の公園に、激しい足音と荒い呼吸が近づいてくる。
肩を大きく揺らし、息を切らした柊馬が、暗闇を切り裂くようにして心春の元へと走ってくる。
いつもなら、完璧な仮面を被って笑う。「なんで来たの?」って、ノリ良く楽しそうに誤魔化す。
でも、今日の心春には、もうそんな嘘の皮膚を貼り付けるだけの力は、どこにも残っていなかった。
心春はゆっくり顔を上げる。
街灯の冷たい光に照らされたその瞳は、限界を迎えて、痛々しいほど真っ赤に腫れ上がっていた。
柊馬はその姿を見て、理由を問い詰めたり、何があったのかを無理に聞き出そうとは一切しなかった。
ただ、当然のように心春の隣へと静かに座り、その大きな手を膝の上に置いて、並んで夜空を見上げるだけ。
それだけで、心春に彼の優しさが、痛いくらいに伝わってくる。
どうにか言葉を紡ごうとするけれど、喉の奥がひきつれて、言葉が固まって止まる。
あの真っ暗な家での出来事を思い出して、口角を持ち上げることもできず、ただ唇がガタガタと細かく震える。
それ以上、言葉は続かない。
柊馬は、何も言わずにただ静かに待つ。 早く話せと急かすことも、仮面を剥がそうとすることもしない。ただ一番近い場所で、心春の心の準備が整うのを、守るように寄り添っている。
誰にも言えなかった、優等生の仮面の裏に隠されていた本当の、生身の叫び。その一言を言葉にして口から吐き出した瞬間。
心春の瞳から、堰を切ったように大粒の涙が、ボロボロと溢れ落ちて止まらなくなった。
自分の呼吸すらままならないほど、胸を激しく上下させ、嗚咽(おえつ)を必死に堪えながらバラバラに話す。
あの廊下の暗闇で待ち受ける義理兄のこと。
リビングで暴れる父親のこと。
あの暗い過去の日、誰に泣きついても、誰にも信じてもらえずに絶望したこと。
心春は、その具体的な事実を何一つ口にはしない。
でも。 激しく震える細い肩と、とめどなく溢れるその涙だけで、柊馬にはすべて、十分過ぎるほど伝わってしまっていた。
心春はゆっくり、涙で視界がにじむ中で柊馬の顔を見る。
今にも壊れてしまいそうな、泣きそうな瞳。プライドが、仮面が邪魔をして、自分から「助けて」と縋(すが)ることが出来ない。自分がどうしたいのかすら、「苦しい」とも言えない。
ただ。
私を理解してくれる、彼の名前を震える声で呼ぶことしか、今の心春にはできなかった。
柊馬は、そんな心春の全てを受け止めるように、そっと優しく、心春の頭へと大きな手を乗せる。
その手の温かさが、心春の凍りついた心の檻を、内側から完全に溶かしていく。
これからは、俺が心春の思考も、その苦しみも、すべて一緒に背負ってやるから。
言葉はぶっきらぼうだけど、世界で一番近い場所から紡がれた、柊馬の嘘偽りのない真っ直ぐな誓い。
その、自分がずっと求めていた救いの言葉を聞いた瞬間。
心春は張り詰めていた糸が完全に切れ、両手で顔を覆いながら、声を押し殺して彼の胸元で激しく泣き崩れた。
生身の、白瀬心春の感情が、夜の公園に溢れ出していく。
柊馬は何も聞かない。
なぜ泣いているのか、心春の優しさは病気だなんて、決して言わず何も責めない。
ただ隣で、大きな手で優しく彼女の頭を撫でながら、その涙が、痛みが、泣き止むまで、夜の静寂の中でただ静かに寄り添い続けた。