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夏休みが始まって一週間が経った頃、ぼくたち家族は、⚫︎⚫︎にある従兄弟の家に泊まりに来ていた。 築50年だという従兄弟の家は、風情のある旅館のように大きくて古く、家の周りには緑で生い茂った空き地が広がっていた。 都内で育ったぼくにとっては、全部が新鮮に思えてならなかったけど、もちろん従兄弟はこの土地によく慣れていた。 彼のよく焼けた小麦色の肌も、健康的に痩せた体型も、この場所で遊び回っていれば無理もないという気がした。
昨夜、従兄弟がぼくの叔父にあたる、彼の父の部屋へ連れて行ってくれた。 そこには様々な種類の昆虫が入った飼育ケースが置かれていた。 聞けば彼の父は大学の教授で、昆虫の採集をしたり、標本を作ったりしているらしい。 幼いぼくは一つ一つによく魅入った。 そうしている内に、不思議な虫がいることに気づいた。 それは普通のカマキリとそっくり同じ形をしているのに、淡いピンク色で、足のところに丸い膨らみがあって、まるで花のように見える虫だった。 カマキリというと凶暴なイメージがあったから、そんな可憐な姿をした虫に驚いたのを覚えている。 従兄弟によると、その虫は「ハナカマキリ」というらしい。 やっぱりカマキリの一種なんだ、と思っていると、ハナカマキリがぼくをじっと見ていることに気づいた。 焦点の合わないような目で見つめられると、少し怖い気がしたけど、ぼくはどの虫の中でも、ハナカマキリが一番好きだった。
従兄弟の家に滞在する最後の日。 布団が敷かれたままの部屋で、荷物を片付けていたところ、ふともう一度ハナカマキリを見たいと思った。 ハナカマキリなんて今までに見たこともなかったし、もうお目にかかることは出来ないかもしれないと思ったからだ。 見るだけなら許可は要らないだろうと思い、そのまま叔父の部屋へ向かう。 建付けの悪い木製の扉が、軋みながら奥へ開いた。
むわっとした暑い空気が押し寄せてきて、思わず瞬きをする。 前の時は感じなかったのに、ケースの中の虫が自分の方をじっと見ているからか、監視されているように感じた。 悪いことをしている気分になるけど、見るだけだからと心の中で言い訳して、ハナカマキリの元へ向かう。
点のように小さい黒目が、相変わらずこちらをじぃっと見ていた。 目を合わせたくなくて、ハナカマキリの体に視線を逸らす。 ピンク色をしていると思ったけど、半透明の体は白にも近い。 閉じられた前足から覗く鋭そうな細かい刃を見て、身の毛がよだつのを感じた。
意識がぼうっとする。 触れてみたい。 ケースに手が伸びて、蓋を開ける。 今までじっと動かなかったのが嘘のように、ハナカマキリがケースから飛び出した。 目で追うことが出来なくて、どこに行ったのかが分からなくなる。 途端に意識が戻ってきた。 逃がしてしまったら何と言われるだろう。 ふらふらと後退りしたところで、ぐちゃ、という音がした。 つぶす、というよりもっと重たい感触を靴下越しに感じて、直感で「あ、ヤバい」と思う。 逃げ出したハナカマキリ。 恐る恐る足を退ける。 心臓が凍りついた。 白い何かが居る。 細い足が有り得ない方向に折れていた。 蚊を潰した時、手に赤い血がつくことがあるけど、そんなものはなかった。 白一色で、潰された形跡だけ。 どっと汗が噴き出した。 従兄弟の父のハナカマキリを、殺してしまった。 痕が残らないようにハナカマキリの残骸を手に寄せて、部屋の窓から落とす。 手に残るハナカマキリが落ちていない気がして、意味もないのに夢中で両手を擦りつける。
バレませんように。 バレませんように。 殺したものが、バレませんように。
カーテンを閉じる。 冷えたぼくの体温が、背後からじっとりとした暑さを取り戻していく。
うづき
うづき
うづき
うづき