これは私が人生のどん底からある人に救われ再び生きる理由を得る話である
これは私が4歳の頃
母
母は320万も減った通帳を父の顔に突き出した
その顔は今でも思い出すほどこれまでに見たこともないほどの形相だった
父
母
父
母
愛菜
この時の私はまだなにも理解していなかった
これから壮絶な人生を送ることを
母
母の口調はいつもより冷たく、そしてどこか悲しそうな声色だった
愛菜
母
愛菜
私は幼いながらに母がいつもと違うことに何となく気づき、すんなりいうことをきいた
母
母は私を愛しそうに優しく包むようにハグをした
私はそれが嬉しくて母の言う通りにすぐに寝た
翌朝、母親の目は赤く腫れていて、みるからに寝不足であった
父親は寝ていた
その日母はいつもより少し冷凍食品の多いお弁当を私に渡し、少し疲れた様子で保育園まで送ってくれた
愛菜
母
そのあとは母が少し疲れている様子で、父はいつも家で部屋に篭るようになった以外は普通の生活だった
しかしある日は違かった
20時 お風呂から上がり、少し母に甘えていた時だった
ドンドン
誰かがドアを叩く音だった
しかし誰も出ようとしなかった
母は少し怯えた様子で、父は相変わらず部屋に篭っていた
その音はだんだん大きくなっていき怒鳴り声もきこえてくるようになった
そのときだけはまるで凍りついたような異様な静かさだった
愛菜
母
その時の母の顔はなにかに極端に恐れていて、私はとっさに口を塞いだ
愛菜
しばらくするとドアから聞こえる音は止んでいた
しかしそこからは私はなにも覚えていない
次に覚えているのは母が必死にどこかに電話をしているところであった
そのすぐあと、私は未開封のストック用の醤油などの調味料を入れる小さな扉のあるところに入れられた
母
母は優しく私を抱きしめてすぐに扉を閉めてしまった
4歳とは侮れないもので私は直感的にもう母とは会えないと悟った
私は息も殺してその場を凌いだ
そのあと私の記憶は山口さんの家で寝させてもらったことしか覚えていない
山口さんの家は3人家族でこの時私が初めに書いた再び生きる理由を与えてくれた“あの人”はその家族の息子である
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