建さん
おい、庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、
建さん
急に熱が出てどっと、床に就ついているぜ
語り手
と云って健さんが知らせに来た。
語り手
庄太郎は町内一の好男子で、至極善良な正直者である。
語り手
ただ一つの道楽がある。
語り手
パナマの帽子を被って、
語り手
夕方になると水菓子屋の店先へ腰をかけて、
語り手
往来の女の顔を眺めている。
語り手
そうしてしきりに感心している。
語り手
そのほかにはこれと云うほどの特色もない。
語り手
あまり女が通らない時は、
語り手
往来を見ないで水菓子を見ている。
語り手
水菓子にはいろいろある。
語り手
水蜜桃や、林檎や、枇杷や、バナナを綺麗に籠に盛って、
語り手
すぐ見舞物に持って行けるように二列に並べてある。
語り手
庄太郎はこの籠を見ては
庄太郎
綺麗だ
語り手
と云っている
庄太郎
商売をするなら水菓子屋に限る
語り手
と云っている。
語り手
そのくせ自分はパナマの帽子を被ってぶらぶら遊んでいる。
庄太郎
この色がいい
語り手
と云って、夏蜜柑などを品評する事もある。
語り手
けれども、かつて銭を出して水菓子を買った事がない。
語り手
ただでは無論食わない。
語り手
色ばかり賞めている。
語り手
ある夕方一人の女が、不意に店先に立った。
語り手
身分のある人と見えて立派な服装をしている。
語り手
その着物の色がひどく庄太郎の気に入った。
語り手
その上庄太郎は大変女の顔に感心してしまった。
語り手
そこで大事なパナマの帽子を脱って丁寧に挨拶をしたら、
語り手
女は籠詰の一番大きいのを指さして、
女
これを下さい
語り手
と云うんで、庄太郎はすぐその籠を取って渡した。
語り手
すると女はそれをちょっと提げて見て、
女
まあ、大変重い事
語り手
と云った。
語り手
庄太郎は元来閑人の上に、すこぶる気作な男だから、
庄太郎
ではお宅まで持って参りましょう
語り手
と云って、女といっしょに水菓子屋を出た。
語り手
それぎり帰って来なかった。
続く







