テラーノベル
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ハッとして画面から顔を遠ざける。ふと手を見ると透明な汗が肌から染み出していた。いくつかは無情にも黒い床に落ちていく。呼吸も荒く苦しい。『恐怖』…………彼の頭の中にはそんな感情が多くを占めていた。頬を強く叩いて震える手と思考を無理矢理引き戻す。
三日月 乃愛
再び画面に視線を戻して狂った王子様を確認する。彼はもう既にカメラから視線を逸らしており、変態探偵おじさんと話していた。きっと死体関連だろう。…狂人ほど健常者よりも『健常者』として振る舞うというのは迷信ではないらしい。だって彼は今も死体を一瞥して悲しそうに振る舞っているのだから!!
三日月 乃愛
気を紛らわせるために独り言を零し、画面を見ないようにして頭を抱える。そう、これは『そういうゲーム』だ。弱いものが殺され強いものが生き残る弱肉強食の具現化。これは競馬とかパチンコとかいうギャンブル、言い換えるなら「賭け事」であり上流階級の嗜好品。それが合法化したならば自分の役目はただ監視をするだけ、無感情の歯車。問題があれば報告、削除、監視、監視、監視…………
そういえば誰かから聞いたことがあった。この死亡遊戯は監視員の精神実験でもあり、狂った人間を量産して死亡遊戯を肯定するためのモルモットなのだと。そして……自分もその一人だ。いや、もはや人間ですらない。『あんな絵』を描いてしまったのだから。
三日月 乃愛
無意識の内に目から透明の粒を流していた。思わず顔を両手で隠す。誰かに見られているという不信感と気持ち悪さが拭えなかった。おかしいだろ、自分が監視する側なのに。霧のように視界を歪ませて白く包み込んだ目から流れ出たそれが涙なのか血なのかすら分からない。少し塩っぽい味がするが鉄臭く、熱湯のように熱い何かだ。それ以上でも以下でもない。
三日月 乃愛
記憶が混濁している。何も分からない。頭の中に黒の絵の具と白の絵の具を混ぜられたような気持ち悪さと吐き気、頭痛。ふと机を見るとそこには『あの絵』が転がっていた
……そうだ。絵を描こうとしていたんだ。綺麗な花を手に持った向日葵の少女を。黒ペンを手に取り、紙の隙間に描き込んだ。露が落ちた輝きのある髪、優しい太陽の微笑み、そしていつものように着ていた薄茶色のカーディガンと藍色のスカート、俺の高校の女子制服だった。彼女は………死んでいる。思考が空を仰ぐ。焼き焦げた脳は使い物にならなかった。
と、そのとき古い扉が悲鳴のような軋みを立てて開かれた。彼女は監視そっちのけで絵を描く彼の肩を強く叩いて拍子抜けするほど明るい無機質な声を上げた。死人のように冷たい不気味な感触だった。
ジュリエ・シュガー
???
肩を叩かれ、短く悲鳴を上げた彼は化け物を見るような目でジュリエを睨んだ。胸元ほどの長さに整えられた茶髪と赤いリボンが目立つ黒スーツ、傷一つ無い手には銀色の指輪が光っていた。おかしい。交代まではまだ時間があったはず………混乱して時間感覚が狂っていたのだろうか。彼女は、机の上に乗った絵を見て、どこか楽しそうに一言。
ジュリエ・シュガー
三日月 乃愛
刹那、とてつもない安心感に襲われた。この絵が描かれたときに感じた自分への恐怖と狂い、それはこの会社では「普通」なのだ。つまり、自分は狂ってなどいない。自分は狂っていないんだ!!
ジュリエ・シュガー
三日月 乃愛
心地よい。自分への恐怖が一気に解放され、狂いは正常に変わった。帳が落ちて心地よい空想の風が吹き抜ける。自分は狂っていないのだと、このゲームが、黒子が、参加者が狂っているのだと信じられた。扉を開けようとドアノブに手を伸ばす。しかし、誰かが彼より先にドアノブを回して扉を開けた。黒子だ。
三日月 乃愛
目に浮かんだ粒を拭わずに片手を挙げて黒子に笑って見せた。裏方で、しかも自分を縛り付ける側の黒子に笑顔なんて、見せようと思ったことは今まで無かったし、これからも無いと思っていた。しかし彼が見せたのは心から幸福な笑顔だった。友人のように黒子の肩に手を置いた。黒子は少し驚いたように静止して、不躾な手を退けて小声で一言。
黒子
黒子は何か言いかけたが、唇をギュッと結んだ。いつもとは違う人間味を帯びた声色だった。
黒子
キッチリ90°のお辞儀をして黒子は去っていった。意味が分からない。機械にも感情なんてあるんだな。そう思いつつ、浮かれた足取りで数年ぶりの廊下へ一歩踏み出した
……明るい、社会の光。薄暗い監視室から解放された嬉しさで胸がいっぱいになった。数年ぶりに出た監視室の外は光で溢れていた。…気がした。先ほど彼女が言っていた『食堂』とやらに向かってみようと道中にある案内板を見ながら軽い足取りで食堂へと向かった。
人工的なブルーライトが目に刺さったが不思議と悪い感じはしなかった。地獄にも天国というものはあるらしい。そこにあったのは自分が狂う前の社会を見て信じていた「普通」だった。クマのある監視員が楽しそうに食事を頬張り、楽しそうに雑談していた。会話に混じりたい欲を押さえてズボンの裾を掴む。
三日月 乃愛
席に座った死者のような監視員と名前も知らないゲームマスターの顔が怖く、靴を見つめながら歩いた。天国の順番待ちの列に並んで注文をする。彼女の言っていたシュガートーストと店主にサービスされた砂糖たっぷりの紅茶。甘いものは好きだったため苦ではなかった。二つを乗せた重いトレイを持ちながら席を探す。空いているのは2人掛けの窓際の席しかなかった。2人掛けの席を1人で独占するということに背徳感を感じながら席につく。薄茶色の長机には誰かが描いた雑な猫の落書きが堂々と佇んでいた。今まで自分がいた地獄と対照的なここに少しの嫌悪感を感じながらも、不思議と幸せだった。
そのとき、誰かに肩を叩かれて声を掛けられた。デジャヴを感じつつ振り返るとそこにはコーヒーとサンドイッチが乗ったトレイを持った童顔の少年がいた。彼は白いシャツと黒ズボン、茶色のチェック柄のコートとどこか『探偵』を感じる格好だった。
???
警戒心が無さそうなその透き通った目は、どこか灰色に曇りかけていた。
コメント
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そういえば、今日は🐱の日らしいですね。うちの可愛い乃愛くんに猫耳を………とも思いましたがやめておきました。