うつ伏せの状態から、上半身を起こし、重い瞼を上げる。ご無沙汰していた光の刺激に目を細めつつ、俺は硬くなった体をほぐすように大きく伸びをした。 整然と並んだ机、そよ風に揺られるカーテン、チョークの跡で少し白っぽくなった黒板。辺りを見渡し、寝ぼけた脳内のモヤを徐々に晴らしていく。
???
不意に後ろから声を掛けられた。 銀色の短髪で中分けの前髪に、角張った眼鏡を通して見える碧眼。きっちり首元まで留めた学ランから、いかにも真面目そうな雰囲気を出すこの少年は——『リド』だ。同級生のリド。きっと彼が起こしてくれたのだろう。 なぜ気付くのが遅れてしまったのか。よくつるむ友達だと言うのに……。 俺はまだ、寝惚けているのかもしれない。
リド
ホレ、とリドが後ろの男女を指差した。 緩めに二つ、耳よりも下側で結ばれた橙色の髪。見るからに活発そうな赤目の少女は『スティ』。 そして、薄桃色の髪をうなじ辺りで丸く結んだ、チャラい緑眼の少年は『イン』だ。
スティ
イン
イン
スティ
リド
真顔で言い訳をする俺。 同意を示し頷くスティ。 額に手を当てため息を吐くリド。 それらを見て笑いを溢すイン。
リド
イン
スティ
スティ
よく見れば三人とも自身の鞄を持っており、既に準備万端といった様子だ。 いつの間に……とも思ったが、そんなの俺の寝ている間しかないだろう、と自己完結した。
リド
イン
勢い良く廊下へ駆け出すスティに続き、リドとインが教室から出ていく。 突然付け足された不利な条件を前に、俺は荒々しく荷物をまとめ、負けじと走り出した。 すると、足元に何か転がっている事に気付く。
咄嗟に足を横へ逸らした。固そうな物だった上で何かを踏んだ感触はないから、きっと大丈夫だろう。 一応、足元に目をやると、そこにはネックレスが落ちていた。 そのネックレスには、ビー玉が一つ括り(くくり)付けられているだけ。他にこれと言った装飾は施されておらず、既製品というよりかはハンドメイドに近い印象だ。粗末な物と言われても仕方が無いような出来栄えだが、それとは別にある一点は美しく輝いて見えた。 深い青が真っ赤に染まる——まるで夕焼けのようなグラデーション。それは、存在そのものを疑う程に綺麗なビー玉だった。
確かに見覚えがあった。しかし、どこで見たのか全く思い出せない。 妙に気になって様々な記憶を掘り起こしていると、代わりと言わんばかりに現在自身に時間が無い事を思い出す。
どうも釈然としない俺は一言謝ってネックレスを拾い上げると、そのままダッシュで昇降口へ向かった。
リド
帰り道、隣を歩くリドに俺は叱られていた。 『叱られた』と言っても別に怒鳴られるワケじゃない。それなりの声量と冷静さを持って、それこそ子供を躾ける親のように——何て現実逃避をするようになる程、俺も慣れたもんだ。
リド
リド
彼の強い口調に気圧され、とりあえず頷いてみせる。 ここ何週間かの付き合いで、この男には宛ら(さながら)教師のような怒りのツボがある事を知った。しかも不思議な事に、対象はこの場にいるメンバーだけとかなり限定的である。当の本人は、『自らの影が薄いのではないか』と心配していたが、全くの杞憂だろう。
イン
スティ
リド
リド
彼はさも当然のように言い放った。 リド君って、そういえば天然人たらしだったね! こんなの善処せざるを得ないでしょ……こうしてまた一つ、俺の自由が縛られるのであった。
スティ
リド
スティ
リド
イン
スティ
スティの言葉に、俺を含んだ他三人の表情が曇る。 昨日の誘拐常習迷惑ババアが言っていた事に関係あるのだが……少し長いので割愛すると、俺らが探している物の在処を教えてくれるかもしれない人物の話だ。 とても重要で、かつ何よりも欲していた情報。しかし、その人物の元へ行く条件が容易ではなく、またその低い信憑性から、少々俺達の頭を悩ませていた。
イン
リド
スティ
スティ
リド
イン
インは俺の肩を軽く叩き、そのまま追い越していった。気付けば、前方に三人の背が並んでいる。 俺は立ち止まり、それを眺めた。すると、俺の脳内にとある疑問が浮かぶ。
三人が振り返る。不思議そうな彼らをそのままに、俺は続けた。
——静寂。 道路を走る自動車も、電線に留まった小鳥も、すれ違ったばかりの老婆も……全てが消えてしまったように、何も聞こえなくなった。 本当に消えたのか、それとも俺の脳が勝手にシャットアウトしているのか、そんな事はどうでも良い。どうしても、視界に映るそれから目を離せなかった。 彼らは何も言わず、無表情で、ただ俺を見つめていた。
リド
俺の言葉を遮るように、リド——いや、『何か』が声をあげた。 冷たくて空虚なそれは、耳のずっと奥の方まで入り込んでくるようだった。
イン
スティ
確かにそうだ。元の世界へ戻ったところで、良い事なんて一つも無い。ここにいた方が良い。この甘い夢に、いつまでも心酔していたい。 もう良いじゃないか。随分と頑張ったじゃないか。信用して良いかも分からない希望にすがり、一心不乱で見えないゴールを目指すだけの人生。その過程すらも、まるで印刷ミスをした紙を細断するように、何の気無しに消されてしまう。俺がどれだけ頑張ったところで、結局何も残らない。 その苦痛に囚われ続けるくらいなら、いっそこのまま……。
ピン、ピン、ピン。ネックレスのビー玉が俺の足元で跳ねている。 しっかりとズボンのポケットに入れておいたはずなのに何故? いや、それ以上にこの状況、どこかで——
『私、頑張るから』 別れの時に、スティから聴いた言葉。 彼女もこんな気持ちだったのだろうか……『彼女の』ネックレスを優しく握り込みながら、俺はかつて目にした眩しい笑顔を想起する。 当時の俺には理解できなかったそれを、今初めて理解できた気がした。 そして、それに打ち勝った彼女の強い心に敬意を抱いた。 彼女を励ます為に放った俺の言葉を、いくつか思い返す。ははっ、全く恥ずかしくて堪らない。
胸を反らし、両腕を突き上げて思いっきり伸びをした。今度は、凝り固まった体をほぐす為ではない。 吸って、吐いて、覚悟はできた。
スティ
『何か』の無機質な訴えに、俺は揚々と答える。 目を覚ましてからここまで、一度も出てこなかった言葉。 そんでもって、俺がこの世界に存在している証となる言葉。
「…………」 誰も口を開かない。完璧な沈黙であった。予想通りの解答で、俺は思わず笑みを溢す。
ピシッ。はっきりと聞こえた。 瞬間、目の前の景色にヒビが入り、その割れ目からボロボロと、『世界』の破片が落ちていく。 握り込んだ手を開くと、元はネックレスなのだろう小さな破片らが風に吹かれ宙へ舞った。快晴を背景に、太陽光を反射したそれがキラキラと輝いている。
崩れていく視界の中で最後に見えたものは、心底楽しそうに笑い合う三人の姿だった
目を覚ます。寝起きとは思えない程、頭は冴え切っていた。 とりあえず、辺りを見渡し状況を確認する。先程の夢と同じく、ここは教室であるらしい。しかし、それにしては異様な点がいくつもあった。 複数の板が打ち付けられた窓、多数の引っ掻き傷が残る黒板、水だけが入った水槽、椅子が無い机……教卓も無いようだ。
影林 凛
教室にしてはかなり異常な室内に戸惑うが、このままじっとしているワケにもいかないだろう。何より尻の耐久度が限界だ。 痛覚を失いつつある己の尻を労り立ち上がると、俺はそのまま探索を始めた。
影林 凛
真っ先に目に着いた板張りの窓に近づくと、思い違いをしていた事に気付く。板の状態などを調べる為、俺は窓を開けようとするが、指を引っ掛ける窪みも、窓の鍵となる締め金具も見当たらない。それもそのはず、この窓は窓枠に硝子が嵌められているだけなのだから。 発砲してしまえば容易く壊せるかもしれないが、完璧に状況を掴めていない今、無闇に発砲するのは避けるべきだろう。
影林 凛
探索を続行しつつ、俺は自らの状況を推測する。 ただ昔の夢を見たってワケじゃないよな。それに何と無く、現実よりも夢の中にいたいと思わせる、意志のようなものを感じた。本人に都合が良い夢……何らかの攻撃、と考えるべきだろうか。 まぁ、何であろうと、可能性があるとしたら——。
影林 凛
続く↓ ※以降はノベル版となります
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
PM≠AM
コメント
7件
す、好きだぞぉぉぉぉぉぉぉ!
りんくんが生きててよかったです。(*^^*) でもどうして、森から学校に移動されているのだろう? 次回が楽しみです!