あれ?…そういえば、 大麻、どこやったっけ?
ズボンのポッケをまさぐるも 確かに入れておいたはずの大麻が見つからない。
キッチンの床やソファの残骸の周りを 這いつくばって探すも、どこにもない。
昨日、僕、全部吸っちゃったの…? あの量を? まさか、だって…あんなにたくさんあったのに…。
でも、この酷い頭痛に、ぽっかりと抜け落ちている記憶。 それに徐々に感じる胃のむかつき。
昨日の自分は少しおかしくなっていたから、 …やっぱり、大麻、全部使っちゃったのかな。
項垂れるようにしゃがみこむと 左太腿がズキンと傷んだ。
見てみると 太腿の丁度真ん中辺りにガーゼが貼ってある。
…これも、身に覚えがないけど 昨日包丁で切った傷を 自分で手当てしたんだろうか。
ホソク
吐き気で血の気が引いていくのを しゃがんだまま耐えていると さっき電源を入れたスマホに着信が入った。
義父
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通話
00:00
画面には、キム・スンヒョンの名前。
静かなリビングに 着信音がやけに響く。
出たくない。 いつもなら無視する。 でも、なんで…こんなに胸騒ぎがするんだ?
昨日、あの女から電話が来ていたのを思い出す。 異常なほどに。
震える手で、スマホを手に取ると 耳に当てる。
義父
今、どこにいる。
スンヒョンの低い声は、 僕の鼓動を速めていく。
嫌な予感がする。
ホソク
その言葉には返事をせずにいると 小さなため息が聞こえた。
スンヒョンの声のトーン、 そして微かに聞こえる啜り泣くような声。
やめてよ。 こんなの、まるで ジョングギに、何かあったみたいじゃん。
数秒の間が空いた後 意を決したように、スンヒョンが言った。
義父
ジョングクが__
その言葉を聞いた瞬間、 全身の力が抜けたような感覚に陥った。
スマホは僕の手を滑って ガッと鈍い音をたてて床に落ちた。
ホソク
嘘。
残された時間は少ないと分かっていた。 でもそれが、今日までだったとか、 そんなの受け入れられない。
だって昨日、ジョングギ、息してたじゃん。 ナムジュンと僕を見て、グガ、笑ってたじゃん。 ヒョンって、ホソギヒョンって…僕の事、呼んでくれてたじゃん。
ホソク
ジョングギは僕の たったひとりの…家族だったのに。
アッパも、ジョングギも なんで僕を置いて、いっちゃうの…?
ジョングギがいないなら 僕の色んなもので汚れたこの体は どうしよう。
僕の生きる意味って まだ、あるのかな。
ナム
目の前のジョングギは笑っている。
こんな笑顔、久しぶりに見た。
棺の中にいたグガとは別人みたい。
遺影なんて、いつの間に撮っていたんだろう。
知らなかった。
ナム
僕、グガの最期 そばにいてあげられなかった。
ジョングギの一言に傷つき ナムジュンから逃げ ジミンに体を売り ジンヒョンを傷つけ それで、現実から目を背けたくなって 大麻に溺れてた。
スンヒョンも、母親も、ナムジュンも グガの最期を そばで見送ってあげていたんだ。
なのに、僕は…。
『ホソギヒョン、ここにいて…。』
グガが、逝ってしまう前に もし…僕に会いたいと望んでいたらと考えると 胸が、押し潰されそうだ。
ホソク
遺族が泊まる、毛布が畳んで置いてあるだけの小さな控室。 その中でひとり、呟いた。
ナム
ホソク
僕の背中をさする、誰かの手。 この声は、ナムジュンだろうか。
いつもなら、話しかけるなと言って その手を振り解くだろう。
でも今は そんな気力は無かった。
ナム
ホソク
ナム
そう言って ナムジュンは僕が持っているジョングギの遺影をそっと取り上げると 部屋の隅にある小さな台の上に戻した。
ナム
皆待ってるから。
僕の手を取って 立ち上がるように促す。
僕は素直に従った。
ゆっくり立ち上がると ナムジュンは僕の着ている制服の皺を綺麗に整えてから 手を引いて歩き出した。
車の中でも 火葬場でも 小さくなって帰ってきたジョングギを見ても
不思議と涙は出なかった。
悲しいとか、辛いとか そんなのは無くて
ただ、虚しい。
そんな気持ちだった。
アッパが亡くなった時は ひたすら悲しくて ずっと、ずっと泣いていた覚えがあるけど その時の感覚とは、全然違う。
なんかもう 全部が、どうでもいい。
ナム
戻ってこなかったでしょ。
ホソク
ナム
ずっと待ってたよ。
納骨堂に納められたジョングギを見ながら 僕の隣に立つナムジュンが言った。
この男は、僕を責めている。 でも、今ではなんの感情もわかない。
ホソク
一言、そう答えると ナムジュンが僕の顔をちらりと見たような気がした。
ジョングギ、遅くなってごめんね。
ジョングクと刻まれた位牌に問いかけた。
ずっと待ってたのなら 今からでも 僕が…ジョングギの元へ行けば良いだけの話だ。
ジョングギが死んでから1週間が経った。
僕は学校にも行かず ずっと部屋に篭り 抜け殻のような日々を送っていた。
母
私、今日から仕事だから…。
行ってくるわね。
控えめに部屋のドアをノックする音と ドアの向こうから母親の声が聞こえる。
あぁ、もう朝なんだ。
のろのろと立ち上がって 徐にカーテンを開けると、 眩しすぎるぐらいの陽射しが僕を照らした。
窓を開けると 夏の香りのする風が部屋の中に入り込んでくる。
雲ひとつない青空。
アッパとジョングギは今 この空の向こう側にいるのだろうか。
ふと、そう思った。
ずっと塞ぎ込んでいたから 久しぶりに浴びた日光が やけに気持ちよく感じた。
思いっきり腕を伸ばして伸びをすると 固くなった関節からぽきりと音が鳴る。
ホソク
この空を見てたら なぜか心が軽くなった。
なんでか、今日は旅立つ日にぴったりだと思って そう呟くと 僕の足は勝手に動き出した。
上下黒のラフな部屋着のまま 僕はバスに乗って、 ソウル郊外のとある場所にやってきた。
ジョングギとは違う所に 僕のアッパは眠っている。
沢山並べられている ガラス張りのロッカーの中のひとつを開錠して 扉を開く。
写真や花が飾ってあるそこから 小さな写真立てをひとつ手に取った。
ホソク
一緒にいて…。
そう言って、その写真を抱き寄せる。
産まれたばかりの僕と その横で笑顔を見せるアッパが写っている写真。
僕は今日、死ぬことにする。
だけど、どうしてもひとりだと心細くて こうやってアッパの力を借りに来た。
方法は考えてない。
どこで死ぬかも考えてない。
だけど、なぜか今日は 勇気を出せそうな気がする。
行く当てもなく 足の向くままにふらふらと歩いていると ある物を見つけて足が止まる。
反対側の車道に 猫が轢かれて死んでいて それを避けるように車が走っていた。
干からびた毛皮のように潰れ 赤黒い血や内臓物がアスファルトに飛び散っている。
それを見て、気づいた。
あぁ、そっか。 自分でやらなくても 他の人にやってもらえば良いんだ、って。
左からはトラックが向かってきている。 近くには信号も横断歩道もない。
トラックの走行する音が 徐々に近づいてくる。
僕は縁石を跨いで 車道の真ん中に立った。
トラックがここを通過するまで 5秒もないだろう。
余計な恐怖心を誤魔化すために 目を瞑った。
最後に耳を劈いたのは けたたましいクラクションの音だった。