死に瀕した時、人は何を思い、死んでいくのか、ずっと気になってた。
自分の死に際に思い浮かんだのは、悔恨の念。
そして、悔恨の念と同時に、長年の謎も解けた。
長年の謎、それは俺が繰り返しみていた、おとんの夢の事だ。
見る夢の内容は、毎回同じ。
おとんの代わりに、俺が組長になるって、おとんに伝えるだけのもの。
おとんなら、喜んでくれるって思ってた。でも、その言葉を口にすると、今まで笑ってたおとんが、悲壮な表情を浮かべるのだ。
何であんな浮かん顔するんか、ずっと不思議やったけど、今なら分かる。
おとんは、おとんの人生のやり直しを、俺にさせたかった訳じゃない。
城戸丈一郎、個人としての人生を生きるように願ってた。
どうりで、良い顔をせんはずやわ 。
こんなん、あっちでおとんに顔会わされへんやん。とんだ親不孝もんやん。
しかも、おとんだけやない。浅倉も道連れにしてしもうた。
こんな馬鹿な男に付き合わせてもうて、ごめんな。
浅倉潤
城戸丈一郎
浅倉潤
城戸丈一郎
浅倉潤
浅倉潤
城戸丈一郎
城戸丈一郎
浅倉潤
城戸丈一郎
浅倉潤
城戸丈一郎
浅倉潤
城戸丈一郎
浅倉潤
城戸丈一郎
浅倉潤
二人は、光の差す方に向いて歩き出す。
やがて、光に辿り着いた時、二人もまた光の粒子となり消えていった。
さて、彼らは待ち人とは再会出来たのだろか。
気が向けば、冥福の住人を捕まえて聞いてみるのも、これまた一興かもしれぬ。
おわり
あとがき 城戸のおとんの夢は、組長になる事と、貧しい思いをさせた分、息子を幸せにしたいという父親としての想いを持ってたけど、子供にどう生きて欲しいかは、また別の話だと思う。 自分(父親)を踏襲するのではなく、丈一郎としての夢を見つけて、生きて欲しいと願ってたと思う。 大体の親は、自分のした苦労を子供に味わせたくないという気持ちが根幹にある。時に行きすぎて、過度の期待から子供を潰したりもする。 稀に、自分が叶えられなかった子供の頃の夢を、子供の人生で、自分の代わりに叶えて貰おうとする人もいる。そういう人の場合、見方を変えれば、自分の人生のやり直しをしているって、言葉がしっくりくるのかなと思う。 あの世でくらいは、二人とも報われて欲しいなと思う。
コメント
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ひなひなの作る作品はいつまでもいいもんや