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最初は、戦況を楽しむ余裕があった
眼前で戦う リン・ゴメスの剣技も、面白い
……だが 扉を切り裂いて現れた男────
黒い画面を纏った 影のような存在が、視界に入った瞬間…
全ての感覚が…その姿に吸い込まれた
動作は滑らかで無駄が無く
剣筋は空気を斬る音までもが 規則正しい旋律のように耳に響き
黄金色に輝く瞳が 暗闇の中で、異様な存在感を放っていた
最初の興味は 直ぐに吸い込まれるような魅惑に変わり
胸の奥で鼓動が早まり 呼吸は浅くなっていく
恐怖や混乱もある筈なのに……
それを遥かに上回る 圧倒的な美しさから、目を離せなかった
思わず呟く声も、僅かに震えが混じる
視線を外そうとしても 身体が拒むかのように固まり
太刀筋のひとつひとつ…… 流れる様な足捌き、剣先の軌跡……
全てが、“美”の極致として 脳裏に焼き付いた
足元に魔法陣が浮かび 身体の力が抜けていく感覚があっても
視界からその男を追う目を、止められない
人質の姫が掠め取られようとも 全身が沈もうとも
目はただ その“美しさ”に釘付けになっていた
恐怖も、混乱も 目の前の光景の美しさに呑まれ
ただ… 見とれるしか、なかった
黄金の瞳の光 その圧倒的な太刀筋────
─────それは、 長年の封印で忘れていた感覚を呼び戻す
余りにも鮮烈な光景だった
─────結果、私たちは負けた
瓦礫と埃が舞い 戦場のざわめきが、まだ耳に残る中
男は静かに、私へと歩を進める
パキッ、ペキッ、と 瓦礫を踏む音だけが、異様に頭に響いた
悔しさは、勿論ある……
─────だが 不思議と不快感は無かった
『あぁ……これで終わりか…』
─────と 自分でも、不気味な程冷静に考えられた
剣の動き、太刀筋、身のこなし…
それら全てが、光のように滑らかで 草原を駆ける風のように美しく
呼吸も、鼓動も 自然と男へと引き込まれたままだった
───心の底で、思い出す
幼き頃の孤独…失った温もり…… 胸に刻まれた、罪と後悔……
怒りに全てを飲まれ 自暴自棄になっていた己の姿……
……だが 目の前で彼が姫を救った、その瞬間
─────と
幼い頃から抱えてきた 羨望と後悔が、頭をよぎった
あの力があれば…… 母を失う事も……
復讐に囚われる事も なかったかも知れない─────と
男はゆっくりと屈み 私と目線を合わせ、優しく
包み込むように囁いた
その名を耳にした瞬間 私の瞳は大きく見開いた
凍りついていた筈の心に 戸惑いと驚きが滲み出す
長い時を経ても 呼ばれることの無かった、“本当の名”
私自身ですら 忘れかけていたのに……
続けて男は 私の鼻先を軽くツンとつつきながら
柔らかく言った
その言葉が耳に届いた瞬間 私の胸に、驚きと困惑が走る
何故…… どうして……それを知っている…?
誰にも明かしたことの無い 母だけが密かに呼んだ、私の愛称を……
瞳が揺れ、胸の奥に封じた 幼い日々の面影が、ふっと蘇る
陽だまりの中 私に向けられる母の笑顔
眠る前に額に落ちた 柔らかな口付け
「小さなリィ」と呼ばれた夜 安心して目を閉じた、あの感覚……
目の奥に浮かぶ母の面影に 涙がひとすじ、頬を伝う
心の底から、そう思った
気付けば、手を伸ばしていた
触れた先には 彼の手がそっと包む温もりが
戸惑いと懐かしさと共に 胸の奥を満たしていく
黄金色の瞳が柔らかく見つめ 時間がほんの少しだけ、止まった感覚…
光に溶ける前の 短くも静かな瞬間─────
それだけで、心は穏やかに揺れた
目を閉じ 瞼の裏に母の姿を思い浮かべる
暗黒魔道士ラマンダーとしての私は その記憶にそっと心を委ね
光に溶けるように消えていった
光の眩しさは落ち着き 意識が鮮明になっていく
目を開けると
そこは、先程までいた王城でも 黒煙が上がる戦場でもなく
柔らかな光に満ちた 地平線まで続く、小麦畑だった
───突然 名前を呼ばれて振り返れば
そこに居たのは懐かしい、母の姿
………気付けば 頭で理解するよりも早く
まるで……
身体が記憶の中の温もりに 導かれるかの様に駆け出していた
両手をめいっぱい広げ ふわりと笑う母の顔と
柔らかな声が、風に乗って耳に届く
足元の草が風に揺れ 柔らかく空へと舞い上がり
風と共に漂う母の匂いが胸に満ち 記憶の奥底に眠る安心感を呼び覚ました
母の、大好きな 柔らかく温かな胸に飛び込み、抱きつく
長く離れていた時間の痛みや孤独も 霧のように、全て溶けていった
風に舞う小麦の穂が黄金色に輝き 匂い、温もり、風の感覚───────
それらが 五感の全てを引き戻していく
涙は止まらず 胸の奥でずっと凍っていた感情が
一気に解けていくようだった