実子
無駄になったわ無駄になったわこれだけの苦労がこの新聞を引き裂いてやりたい…でも引き裂いたところで仕方がないやっぱり世間の人が読むように声を出して面白がって 他人の身の上を読むように読んで聞かせるのがいいんだわ

我が家にばかりは人間の不幸が来ないものだと思い込んでいる母親の前で感心な娘が食後の座興に読んで聴かせるように読んだらいい(あたりに人のある如く)故郷のお金持ちの寛大なお父さんお母さんあなたの感心な娘がシジュウになるまで独り者で絵の勉強だと云ってお金を送らせているこの娘が面白い記事を呼んであげるわ
狂女の悲恋 井ノ頭線 何がし駅の古風なロマンス…何がし駅頭では照る日も降る日も一本の扇を抱きかかえて待合室のべンチにかけている美しい狂女の姿が見られれる駅から下りる男ごとに彼女は顔を覗いて 試しまた失望して電池に腰掛ける記者の質問に答えて云うにはこれは班女の扇であるとあるところで知り合った男がまた会う日の印に扇を交換した 今班女のラッキー 抱えているのは
「狂女の悲恋 井ノ頭線 何がし駅の古風なロマンス…何がし駅頭では照る日も降る日も一本の扇を抱きかかえて待合室のべンチにかけている美しい狂女の姿が見られれる駅から下りる男ごとに彼女は顔を覗いて 試しまた失望して電池に腰掛ける記者の質問に答えて云うにはこれは班女の扇であるとあるところで知り合った男がまた会う日の印に扇を交換した 今班女の抱えているのは雪景色を書いた男の扇不実な男が持っているのは昼顔の花を書いた彼女の扇 男はいっかな現れず待ち焦がれた末に狂ったのだという班女の名は花子といい駅員の話では何がし町三十五番地女流画家本田実子さんの家に同居しているという」…
実子
ふん 本田実子さんの家に同居しているというか 今までの苦労も水の泡だわ花子さんを描いた絵だけは人の目に触れさせまいとして展覧会へ出さなかったのも 無駄になったんだわ あれを次々と出していれば 当選どころか特賞を貰っていたかもしれないのに 花子さんと知り合ってから 力を入れない他の絵ばかりを出していたために いつも落選の憂き目を見ていたんだのに

実子
あぁ そうまでして私は花子さんを手離済まないとした それなのに…でも いつかこうなる運命立ったんだわ 私は花子さんを縛れなかった縛っていたら あの人の命は 虫売りから買ってきて ほんの四、五日龍の中の慰みものにする鈴虫のように とうに消えていたに違いないわ

実子
こうするよりほかなかったんだわいつか扇を抱えた綺麗な狂女が 人の口の端にのぼりもし そうして あの吉雄とかいう不実な男の耳にまで!

実子
そうだわ 旅に出るほかはない一刻も早くここを逃げ出して なるたけ長い間二人きりで身を隠して ほとぼりのさめたころに帰って来るほかはないんだわ もっとも あの男にもともと実がなければ それほど怖れることもないんだけど 虚栄心があの男を呼び戻すかもしれないんだわ 今夜にも旅へ出てしまおう それ以上に方法はないわ 二人きりで どこか遠いところ…そうして追い詰められたら死ねぼいいのよ そうなんだわ それでいいんだわ
