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その日は、植物採集の手伝いで村の南の小道へ行っていた。
森を抜けた先にある崖沿いの道は細く、足元も不安定だったが、村の子どもたちはお構いなしに駆けていた。
柚
柚が静かな声で注意をするが、子どもたちは「大丈夫ー!」と笑ってはしゃぐ。
——そのときだった。
〇〇ちゃん
滑る音と、短い悲鳴。 一人の子が足を滑らせて、崖の縁に転がり落ちかけた。
柚
頭が真っ白になった。 でも、気づけば身体は動いていた。
柚
走り出し、落ちかけた子の腕を掴む。 そのまま勢いで、柚の身体も崖の方へと引き寄せられて——
ガラガラッ……!!
柚
足元の地面が崩れる。 子どもを抱きかかえるようにして、一緒に落ちそうになる——その瞬間。
柚の目に、わずかに出っ張った岩場が映った。
柚
咄嗟に、片手を伸ばす。
ガッ!!
手のひらが、岩場の角をつかんだ。
柚
手が痛い。指が滑る。 けど、絶対に離せなかった。
助けを呼ぼうとしたが、声が震えて出ない。
それでも柚は、必死に、崖の縁にぶら下がったまま子どもを腕の中に抱えた。
柚
〇〇ちゃん
子どもは泣いていた。 でも柚の目は、必死に上を見ていた。
柚
その願いは届いた。
大樹
走ってくる音。誰かの声。複数人の足音。
そして次の瞬間——
大樹
伸ばされた手が、柚の腕を掴む。 そして、もう一人が子どもを引き上げ、ようやく、柚も引っ張り上げられた。
地面に背中がついた瞬間、柚は力が抜けて動けなかった。
柚
顔も手も泥だらけ、手のひらには血が出ている。 けれど、助けた子どもは無事だった。
柚
誰もそんなことを言っていないのに、反射的に謝っていた。
だが——
クロム
そう言ったのは、駆けつけてきたクロムだった。
驚いた顔のまま、ぽつりとつぶやく。
クロム
クロム
柚は目を見開いた。
自分が? あのとき、かっこよかった?
そんな言葉を、自分が言われるなんて思ってもみなかった。
けれど胸の奥で、何かが——微かに震えていた。
それが、最初の“誇り”の芽だったのかもしれない。
柚
自分の息遣いがうるさい。
崖から戻った後、柚はそのまま人目を避けて、人気のない作業小屋に隠れるように入っていた。
指の関節が、じんじんと熱い。 でもそれ以上に、心臓の鼓動がずっと、バクバクと鳴り続けていた。
柚
そう自分に言い聞かせながら、柚は誰にも見つからないよう、服の裾で手のひらの傷を隠した。
——血は止まってる。 ——誰にも迷惑かけてない。 ——だから、言わなくていい。
いつものようにそう思っていた。
けれど、その考えは——すぐに、崩されることになる。
千空
不意に扉が開き、低い声が飛び込んできた。
千空
——千空だった。
柚はビクリと肩を揺らし、反射的に後ろ手に隠す。
柚
千空
千空はズカズカと近寄ってきて、強引に柚の手を取った。
柚
千空
見た瞬間、千空の目が明らかに鋭くなる。
手のひらの皮は擦り切れ、関節は赤く腫れ、細かな砂利が入り込んでいた。
千空
怒鳴られた。
あの千空に、真正面から、怒鳴られた。
柚
千空
その一言が、突き刺さった。
千空
千空
柚
千空
ドン、と机を叩く音に、柚は思わず目をつむった。
声も、態度も、どこまでも真っ直ぐで、まるで柚の中の“逃げ場”を全部塞ぐようだった。
千空
柚
千空
千空
柚は震えながら、ぽたぽたと涙を落とした。
言葉が、痛いくらいに胸に突き刺さって、何も言い返せなかった。
でもそれは、冷たさじゃなかった。
“自分が見捨てた自分”を、千空は決して投げ出さなかった。
柚
声にならない声で、ようやく絞り出すと、千空は一瞬だけ息をつき、絆創膏を手に取った。
千空
柚
ぐすぐすと鼻をすすりながら、柚はおとなしく手を差し出した。
千空の手は少し荒っぽくて、でも、優しかった。
それはまるで—— 「お前は、ここにいていい」と無言で言われているようで、 柚の涙は止まらなかった。