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ゆり@🫧💜 低浮上です
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あかね
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第3話、読み終えました。柊馬がひまりの元彼だったっていう展開、確かに衝撃的でしたね。でもそれで彼が心春の思考を先読みできた理由や、初対面の時のあの違和感のある態度が全部腑に落ちました。それと同時に、彼の視線の先にまだ陽葵がいることにも気づいてしまった心春の複雑な心境が、すごく丁寧に描かれていて切なかったです。 千歳の焦りも見え隠れし始めて、三人の関係がどう動くのか、続きが気になります。会話のテンポが良くて、キャラクター同士の掛け合いが自然で読みやすかったです。
翌日
白瀬心春は、教壇に立つ教師の声が全く耳に入らないほど、授業中もずっと上の空だった。
周囲の空気に合わせる習性だけで、ノートを取る右手だけは機械的に動いている。でも、頭の中には昨日廊下で残された、あの男のぶっきらぼうな言葉だけが重く残っている。
『あいつもそうだった』
誰なの……
どうしてあんな言い方……
まるで以前から心春のすべてを知っているかのような、引っかかる口ぶり。
思考を振り切るように、ふと窓際へと視線を向ける。
進藤柊馬は、いつものように机に頬杖をついたまま、退屈そうに外の景色を眺めていた。まるで昨日の緊迫した会話なんて、最初から綺麗さっぱり忘れてしまったかのように。
その横顔があまりにも自然体で、余計に心春の心をかき乱す。
__________
昼休み
柔らかな木漏れ日と静かな風が通り抜ける中庭。ベンチにぽつんと座る心春。その隣には、いつもと変わらないおっとりとしたマイペースな空気を纏った千歳。
優しく包み込んでくれるような、静かな時間。小学校の頃からずっと変わらない、二人の心地いい距離感。
千歳が少し伏し目がちな涼しげな瞳を心春に向け、上品な声で静かに呟いた。
いつものように、波風を立てないための満点の笑顔で笑う。
優しく、けれど6年間ずっと隣で見守り続けてくれた親友だからこその、確信を持った静かな指摘。
まただ
遥斗も。 柊馬も。 千歳も。 みんな、私の剥き出しの本質を突くように、まったく同じことを言う。
心春の小さな変化を気遣うように、千歳はどこか脆さを秘めた優しい目で覗き込んでくる。
千歳はそれ以上は何も聞いてこない。6年間の付き合いの中で、昔からずっとそうだった。
これ以上は踏み込まない、傷つけないための優しい境界線。だからこそ、心春にとって千歳はいつでも息をつける最高の「避難所」だった。
ふと、胸の奥で燻っていた疑問が、衝動的に口をついて出た。
0歳からずっと一緒に育ってきた、心春にとって何でも分かってしまう大好きな従姉妹の名前。
ドクン、と心春の心臓が大きく跳ねる。
柊馬の言っていた「あいつもそうだった」という言葉のパズルが、千歳の何気ない一言によって、恐ろしいほどの速度で噛み合っていく。
放課後の賑やかな喧騒が響く昇降口。早く家に帰らなければと、焦る手つきで靴を履き替えようとしたその時。
すぐ後ろから、あの低くて肩の力の抜けた不器用な声がする。
本気で心臓が止まるかと思った動揺を隠すように、少し怒ったような顔をして振り返る。
ぶっきらぼうで、初対面は最悪だったはずの男。なのに、飾らない彼の等身大の言葉のノリに、心春の強張っていた頬が緩み、思わず少しだけ小さく笑ってしまう。
また思考を先回りされたような、けれどどこか温かい感覚に、あたりに少しの沈黙が流れる。
夕闇が差し込む昇降口で、心春は意を決して、ずっと聞きたかった核心を口にした。
その質問が飛んだ瞬間、柊馬の表情が一瞬だけ、完全に動きを止めた。
その瞳の奥に、言葉にできない複雑な陰が走る。
柊馬は、何かを懐かしむように、あるいは胸の奥の痛みに耐えるように、少しだけ切なげに視線を落とす。
そして、ゆっくりと唇を開いた。
自分の耳を疑った。
なんで今私の大好きな従姉妹の名前がこの男の口から出てくるのか。
脳内を完全に支配されるような、言いようのない衝撃と不気味さで全身が震える。
しかし、柊馬はその問いには答えない。
ただ、胸の奥にある断ち切れない未練を噛み締めるように、少しだけ苦そうに、愛おしそうに目を細める。
ぶっきらぼうにそう言い残し、彼は長い影を引きずりながら、心春に背を向けて歩き出す。
だが、柊馬は一度も振り返らない。静かに取り残された心春の胸の中だけが、今までにない激しさで不穏にざわついていた。
ひまりと
柊馬くんって、一体どんな関係なの?
仮面を被って生きてきた心春の世界に、大好きな従姉妹を媒介にした「進藤柊馬」という存在が、もう引き返せないレベルで深く、深く刻み込まれた瞬間だった。
翌日
白瀬心春は、もはや授業どころではなかった。
黒板に書き殴られていく数式も、教科書をめくる周囲の音も、すべてが遠い世界の出来事のようにぼやけている。
ひまり
なんで柊馬くんが知ってるの…
何度考えても答えが出ない。
絡み合った思考の糸は、手繰り寄せるほどに強固に絡まり合い、心春の胸をじわじわと締め付けていく。
___________
昼休みの喧騒から完全に隔離された、冷たいコンクリートの空間。ここには誰もいない。
ただ、冷たい風だけが、心春の乱れた前髪を容赦なく吹き抜けている。
静寂を破って、古びた鉄製の屋上の扉が、重い音を立てて開く。
驚きに目を見開いた心春の視線の先、現れたのは、いつもと変わらない少し無骨な佇まいの柊馬だった。
いつもの、肩の力の抜けた、でもどこか心春の行動をすべて分かっているかのような低い声。
ぶっきらぼうなトゲのある言葉。だけど、そこには不思議と嫌な冷たさはなくて、心春の唇からふっと、少しだけ自然な笑みが零れる。
何気なく、他意もなく、柊馬はその優しげな瞳の奥の光で心春を見つめながら、ポツリと呟い
急にフラットな言葉を投げかけられて、心春は照れ隠しのように視線を逸らす。
沈黙。
乾いた風の音だけが、二人の間に流れる。
意を決して、胸に刺さったままの棘を抜き去るように、心春は声を絞り出した。
ビュウ、と一段と強い風が吹き抜ける。
柊馬はすぐには答えず、しばらく黙ったまま、遠い空を眺めていた。
その横顔には、触れてはいけないような、寂しさが滲んでいる。
逃げようとする柊馬を、心春は真っ直ぐな視線で執拗に追い詰める。
完璧に演じてきた「良い子」の仮面を脱ぎ捨てて、剥き出しの感情で彼にぶつかっていた。
その、引かない心春の真っ直ぐな言葉に。柊馬の鉄面皮のような表情が、ほんの少しだけ、降伏するように優しく崩れる。
ドクン、と心春の胸が激しくざわつく。
まただ。またこの人は「陽葵」の影を、私に重ねて見ている。
なぜ私と陽葵が重なるのか、なぜそこまで私たちの思考回路を知っているのか。パニックになる心春の言葉を遮るように、柊馬はあまりにも淡々と、決定的な言葉を口にした。
頭を殴られたような衝撃。世界からすべての音が消え去り、時間が完全に止まる。
思考回路がショートして、頭の中が完全に真っ白になる。
陽葵。
優しくて。
綺麗で。
誰からも好かれて。
心春にとって、ずっと0歳から一緒に育ってきた、何でも分かってしまう自慢の従姉妹。
その陽葵の元彼が。今、自分の目の前にいる。
だからこの人は、私の思考も、無理をして笑う癖も、すべてを先回りして「理解」できていたんだ。心春の心に、言いようのない寒気が走る。
あまりの現実に、ただ呆然と呟くことしかできない。
その不意打ちの一言に、心春の心臓が激しく、壊れそうなほどに跳ね上がる。
私を見て、陽葵だと思った。
柊馬の瞳が、初めて自分と目が合ったあの瞬間の熱を帯びて、心春の脳裏にフラッシュバックする。
ふっと、少しだけ皮肉げに、けれど優しく笑う柊馬。
だが、その少しだけ緩んだ彼の横顔は。どこか遠くを見つめるように、寂しそうだった。
まだ好きなんだ……
胸の奥が、ズキリと不快に痛む。
心春は、残酷なほど明確に気付いてしまう。
柊馬の視線の先には私ではなく、陽葵という眩しくて手の届かない存在がいることに。
自分がただの「身代わり」のように、彼の瞳の奥の未練に囚われていることに、心春はまだ気づいていなかった。
夕暮れ。街全体を鮮やかに染め上げる、オレンジ色の光が差し込む歩道。
長い影を引きずりながら歩く心春の頭の中は、昨日からずっと、信じられないほどのパニックで満たされていた。
ひまりの元彼……
昨日から頭が追いつかない。
死んだわけでも、遠くへ行ったわけでもない。今も生きていて、自分にとって一番身近で大好きなあの従姉妹の元カレが、目の前の柊馬だなんて。
急に狭い世界で人間関係が繋がってしまった衝撃と、その圧倒的な情報量の多さに、胸のざわつきが止まらない。
突然、自販機の前で足が止まる。
鈍い音と共に、すぐ横から聞き慣れたぶっきらぼうな声が降ってきた。
いつの間にか。 こうして気取らずに、お互い素のままで言い返せるくらいには、二人の距離は縮まっていた。
ガタゴトと落ちてきた缶ジュースを受け取る。
少しの沈黙。
心春は、今も現役で自分の身近にいる大好きな人の、まだ自分の知らない一面を知りたくて、そっと問いかけた。
その名前が出た瞬間、柊馬の動きがピタッと止まる。
そう言うくせに。 その目は少しだけ遠くを見るように泳ぐ。
誰からも好かれる完璧で自慢の従姉妹。その彼女を「面倒」と称する柊馬の言葉に、心春は新鮮な驚きを覚える。
確かに。千歳が言っていた『抱え込むところとか、無理して笑うところとか、同じタイプ』という言葉が重なる。
陽葵の身近な生身の人間らしさを聞いて、少し分かる気がした。初めて共通の知人である陽葵の話で、二人の会話が自然に盛り上がっていく。
その瞬間だけ。 柊馬の声が少し柔らかくなる。
沈黙。
心春は気付く。
陽葵のことを、この人は今でも、特別な存在として頭の中に残している。
今も好きなんだ……
今でも、あの人に未練があるのかな。そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ苦しくなる。
その理由は、今の心春には分からない。
数秒。夕暮れの風だけが、二人の間を通り抜けていく。
図星を突かれたかのように、珍しく困ったような顔を見せる柊馬。
柊馬は眉をひそめる。
でも。
少しだけ。
本当に少しだけ。
笑ったようにも見えた。
二人の間に、確かに穏やかで等身大な空気が流れていた。
その時。
現実を無理やり引き戻すように、心春のスマホが重く震える。
画面に表示された名前。
『母』
一瞬にして血の気が引き、心春の表情が固まる。あの生き地獄のような家庭の呪縛が、一時に脳裏を支配する。
柊馬は何も言わない。ただ、その瞳の奥の真っ直ぐな光で、急変した心春の様子を静かに見つめている。
慌てて立ち上がる。早く帰って、お母さんを支えなきゃ。私が良い子にしていなきゃ、あの家は壊れてしまうから。
笑顔の仮面を必死に取り繕うとする心春の背中に、低い声が突き刺さる。
心春の顔から、貼り付けたはずの笑顔が消え去る。
他人の目を欺くための仮面も、私の被っている家庭の檻も、この男にはすべてお見通しだった。
心春の脳内を先回りしていながらも、柊馬はそれ以上は踏み込まず、歩き出す。
夕闇の中、心春だけが立ち尽くす。
なんで
なんでこの人
そこまで分かるの?
私の隠したい頭の中も、あの家の異常性も。なんでこの人は、言葉にする前に全部知っているみたいに、私の心の一番深い場所に届いてしまうの。
恐怖と、それ以上に激しい心のざわつきに襲われながら、心春はただ遠ざかる彼の広い背中を、見つめることしかできなかった。
心春は立ち尽くしていた。
鮮やかなオレンジ色から、じわじわと夜の帳(とばり)が下りようとしている夕暮れの歩道。
『家の事、いつまで続けるつもり』という柊馬のあまりにも核心を突いた言葉の衝撃に、心春の足は地面に縫い付けられたように一歩も動かなかった。
震える声をどうにか絞り出し、遠ざかろうとする柊馬の背中に投げかける。
柊馬は足を止め、ポケットに手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに振り返った。
誰にも言わず、笑顔の仮面で必死に隠し通してきた、あの生き地獄のような家庭の異常性。
初めて会ったはずの男が、なぜその檻を知っているのか。問い詰める心春の瞳に、隠しきれない焦燥と恐怖が滲む。
心春の真っ直ぐな視線を受け止めながら、柊馬が少し黙る。夕暮れの静寂が二人の間を通り抜けたあと、彼は小さく息を吐いて口を開いた。
胸がざわつく。ドクン、と心臓が大きな音を立てた。また、あの大好きな従姉妹の名前が彼の口から放たれる。
嘘ではない。
でも全部でもない。
柊馬のその声音は、どこか大切な真実を濁しているかのような、そんな曖昧な言い方だった。
けれど、いまもこの世界にいる陽葵と、目の前の柊馬が、確かに自分の知らない時間と記憶を共有していたのだという事実が、心春の心を冷たく揺らす。
家庭の噂を聞いていたからといって、なぜ私の思考回路や、笑って誤魔化すタイミングまで先回りできるのか。
子供のように意地を張り合う、他愛もないテンポの良いやり取り。
少しだけ。
本当に少しだけ。
誰の顔色を窺うでもなく、相手に合わせるためでもない、いつもより自然に会話している自分にふと気付く。仮面を被る必要のないこの時間が、頑なだった心春の心を少しずつ解きほぐしていく。
すると。
あまりの言い草に、心春は思わず声を荒らげる。
思わず、いつものお淑やかな優等生のトーンを忘れて、大声を上げる。身近な共通の知人である陽葵への、親しみと文句が混ざった感情が爆発する。
久しぶりに。本当に、いつからか忘れてしまうほど久しぶりに。
心春は誰かのために取り繕った笑顔ではなく、自分の感情のままに、少しだけ本気で笑った。
夕闇に溶けていくような、その心春の生身の笑顔を見て。柊馬が一瞬だけ、愛おしそうに、けれど何かを確かめるように静かに目を細める。
まただ。
どうしてこの人は、私が一番欲しい言葉を、いつもこんなにフラットに届けてくれるんだろう。
不器用だけど、どこまでも真っ直ぐに自分を肯定してくれる柊馬の言葉。
ドクン、と心春の心臓が嫌な音を立てて激しく脈打つ。
これ以上ここにいたら、自分の心が完全に彼に奪われてしまいそうな、そんな心地いい恐怖が全身を駆け巡る。
パニックを隠すように、ぶっきらぼうに告げて背を向ける。
もう振り返らずに、早足で歩き出す心春。スマホの『母』という通知が待つ、あの暗い家へと帰らなければならない現実は変わらない。
でも。
また明日……か
いつもなら義務でしかないはずの「明日」という言葉が。なぜか彼のぶっきらぼうな響きのまま、少しだけ温かく、心春の胸の奥深くに残っていた。
夕方の気怠い光が差し込む放課後の教室で、授業の終わりを告げる号令と共に、クラスメイト達が次々と荷物をまとめて帰っていく。
周囲の賑やかな声に紛れるように小さく呟き、自分のノートを鞄にしまう。
一日の義務を終え、仮面を被り直してあの重い家へと帰ろうとした、その時。
すぐ後ろから、あまりにも当たり前のように、ごく自然な響きで名前を呼ばれる。
不意を突かれた驚きに、鞄を握る指先がピクッと跳ね上がった。
動揺を隠すように、少し引きつった声で振り返る。
いつものように少し無骨な仕草でカバンを肩にかけ、柊馬はフラットに言い放った。
ぐうの音も出ない正論に、心春は笑顔の仮面を貼り付ける暇もなく黙り込む。
そう、ここ最近の放課後は、いつの間にかこの男と一緒に下校することが、文字通り二人の日常になりつつあった。
完全に言い返せないまま、心春は彼の少し広い背中に並ぶようにして歩き出す。
オレンジ色の夕闇が街を包み込んでいく中、並んで歩く二人。
お互いの肩が触れ合いそうなほど近い距離。歩く度に、ローファーの軽い音がアスファルトに優しく響く。
気負う風でもなく、柊馬は歩調を崩さないまま、ぶっきらぼうに首を傾げる。
ぶっきらぼうで、本当に不器用な彼のその物言いに呆れながらも。胸の奥の、一番柔らかい場所がじんわりと温かくなるような、少しだけ嬉しい自分がいることに気づいてしまう。
誰かの求める『理想の白瀬心春』ではなく、ただの『心春』として、彼にその名前を呼ばれることが、心地よくて仕方がなかった。
下校路の途中にある、小さな公園。
夕焼けの光に照らされた、古びた木製のベンチに腰掛ける二人。缶ジュースの冷たさを手のひらに感じながら、静かな時間が流れる。
柊馬がふと、前を向いたまま、ボソッと静かに問いかけてきた。
その、私の最深部を素通りしてくる不意打ちの言葉に、心春の少しだけ表情が曇る。
スマホに眠る『母』の文字、あの息苦しいリビングの空気が脳裏をよぎり、反射的に仮面を被り直そうとする。
一切の迷いもない、圧倒的な即答だった。
心春と同じ景色が見えてしまっているかのような、あの真っ直ぐな瞳が、心春の外面の抵抗を綺麗に打ち砕く。
夕暮れの公園で、まるで小さな子供みたいな言い合い。
意地を張って、意地悪に言い返して、でも、そうやって彼に子供っぽくぶつかっているうちに。胸に詰まっていた重苦しい塊が、ふっと消えていくのを感じて。
気付けば。
仮面の下に隠していた本物の感情が零れ落ちるように、心春は声を出して笑っていた。
その声を聞いて、柊馬が少しだけ満足そうに、けれど真剣な目を心春に向ける。
何気なく、けれどあまりにも真っ直ぐに放たれた、進藤柊馬だけの言葉。
嘘の笑顔を暴いて、本物の笑顔を真っ直ぐに肯定してくれる。その優しさに、心春の思考が完全にフリーズする。
心春の沈黙に慌てたのか、柊馬がバツが悪そうに、不器用そうにパッと視線を逸らした。
図星を突かれて焦る心春を見て、柊馬が低く、楽しそうに笑う。
初めて見る。 いつもクールでぶっきらぼうな彼が見せた、瞳の奥まで優しく細められた、心の底から楽しそうな笑顔。
その瞬間。
あ……
ドクン、と胸が少しだけ、今までにない妙なテンポでうるさく騒ぎ出す。
夕焼けの光のせいだけじゃない。彼の笑顔を見た瞬間に、視界が急激に熱を帯びていくような錯覚。
でも私の心に芽生え始めた、この温かくて少しだけ苦しい感情が何なのかは。 今の心春には、まだ分からなかった。
帰り道。 二人の影が長く伸びる、いつもの別れ際。
支配するわけでもなく、ただ当然のように、心春の明日を気にかけてくれる、超不器用な彼なりの最大の優しさ。
ぶっきらぼうにそう言って、片手を振って歩き出す柊馬。
なんなの……
この人といると調子狂う……
私の完璧だったはずの仮面を、こんなにも簡単に、優しく調子狂わせてしまう男。
遠ざかる彼の広い背中を追いかけながら、夕焼け空を見上げる。その少しだけ、愛おしそうに緩んだ自分の口元に。
恋という感情を深く知らない心春自身は、まだ気付いていなかった。
昼休みの賑やかな喧騒が響く教室の片隅。心春は自分の机で、上の空のままノートの文字をじっと見つめていた。
頭の中を占めるのは、最近当たり前になりつつある、あの不器用な男との放課後の記憶ばかり。
スッと耳に心地よく入る、上品でおっとりとした声が心春の思考を現実へと引き戻す。
トントン、と心春の机の上に静かに置かれる、紙パックのミルクティー。
何を考えているか読めない涼しげな目元を少し伏せながら、千歳はどこか切なげに微笑む。
小学校時代から、私の人生の一番暗かった時期をずっと横で見守り、支え続けてくれた6年間の親友。
昔から何も変わらない。千歳は、心春のこういう小さな好みの所だけ、妙にずっと覚えている。かつて4年間片想いをしていた、私にとっての唯一無二の「避難所」。
いつもの完璧な笑顔を千歳に向ける。
教室の後ろのほうから、少し乱暴に椅子を引く鋭い音が静かに響き渡る。
ふと振り返ると、いつの間にか席についていた進藤柊馬が、その少し無骨でクールな瞳を向け、何故かじっとこっちを見ている。
悪意はないはずなのに、その真っ直ぐな視線に、心春の胸がトクンと小さく跳ねた。
あまりの視線に、小首を傾げて無言で問いかける。
バツが悪そうにフイと視線を逸らし、ぶっきらぼうに呟く。
相変わらず、私が心の中で突っ込もうとした思考を先回りして言い当ててくる。
そんな二人の、どこかお互いの考えていることがお見通しなテンポの良いやり取りを見て、千歳が隣で小さく笑う。
けれど、その涼しげな目元の奥には、どこか寂しげな陰が混ざっていた。
柊馬は不機嫌そうに、ぶっきらぼうに即答する。
そうは言うものの、柊馬の眉間にはうっすらと皺が寄っていて、どう見ても妙に機嫌が悪そうだった。
そんな彼の様子に、心春の胸がまた奇妙にざわつき始める。
夕焼けが街をオレンジ色に染め上げていく。
今日もまた、並んで歩く二人。長くなった二人の影が、アスファルトの上に寄り添うように伸びている。
ずっと気になっていた昼休みの態度を、歩調を合わせながらそっと問い詰める。
いつもの、子供みたいな言い合いのあとに、少しだけの沈黙。
柊馬は前を向いたままポケットに手を突っ込み、少しの躊躇のあと、低い声を落とした。
いつもは心春の思考を先回りしてくる癖に、自分のことになると、どこまでも不器用で、言葉足らず。
どう見ても別にじゃない。その、分かりやすく嫉妬しているかのような彼の横顔を見つめながら、心春の胸だけが妙に甘酸っぱく騒いでいた。
その頃_____
放課後。夕暮れの光が静かに差し込む、誰もいなくなった教室。
一人残ってカバンを持った千歳が、ぽつんと立ち尽くしていた。
教室の入り口から、クラスの友人がひょっこりと声をかけてくる。
いつも一緒だった2人、心春にとっての6年間の避難所。その日常が、最近少しずつ変わりつつあることを誰もが察していた。
少しだけ。本当に、見落としてしまいそうなくらい少しだけ。
千歳の上品な表情がピキッと固まる。何を考えているか読めない涼しげな目元が、一瞬だけ揺れた。
千歳は視線を落とし、物静かなトーンのまま、少しだけ声を低くして言い返す。
内面に繊細な不安症を抱えている千歳へ、友人がからかうように、核心を突く言葉を投げかけた。
それは、あまりにも速い即答だった。
傷つくことも、お互いの関係が壊れることも怖くて、心春の暗闇を知りながらも踏み込めない千歳。
それ以上の言い訳は、千歳の唇からは出てこなかった。
千歳は否定しない。心春への消えない好意も、柊馬への焦りも、本当は胸の中で渦巻いているからこそ、それ以上は否定できなかった。
一歩引いてしまう自分を呪うように、千歳はただ、静かにカバンを強く握りしめるしかなかった。
夜。部屋の明かりもつけない、静まり返った空間。
ベッドの上で、心春のスマホが冷たいバイブ音と共に青白く震える。
『明日も一緒に帰る?』
画面に浮かび上がった、シンプルで、でも確かに自分を求めてくれている言葉。
送り主 進藤柊馬
不器用な彼からの直球のメッセージを見つめながら、心春は少しだけ考える。どう返信しようか、スマホを両手で包み込む。
考える間も与えないように、スマホがまた、立て続けに震えて通知を知らせる。
『返事遅い』
『寝た?』
『生きてる?』
私の返信の遅さに対して、まるで子供みたいに焦って追撃してくる彼の姿が脳裏に浮かび、心春は思わず、声を出して優しく笑ってしまう。
仮面を被る必要なんてない、心春をただの心春として扱ってくれる、愛おしい時間。
『生きてる』 トントン、と短い返事を送信する。
数秒後。 すぐさま画面に新しいメッセージが跳ね上がる。
『ならよかった』
ぶっきらぼうだけど、そこには確かに心春を心配する真っ直ぐな想いが込められていて。その短い言葉に、少しだけ、胸の奥の冷え切っていた場所がポカポカと温かくなるのを感じた。
しかし。その満たされた気持ちのまま、画面を閉じる直前。
ふと、昼休みの中庭で見せた、千歳の顔が脳裏に浮かび上がる。
今日の。 私の境界線を守るために一歩引いて、遠くからこちらを見つめていた、あの少し寂しそうな横顔が。
誰よりも自分を理解して先回りしてくる柊馬への芽生え始めた恋心と、6年間自分を優しく守り続けてくれた千歳への言えない感情。
二人の少年の間で、心春の心は、夕闇のグラデーションのように複雑に揺れ動いていた。
昼休みの賑やかな喧騒が響く教室内。
心春は周りのグループの輪から少し離れ、自分の机で一人、ノートのまとめ作業に集中していた。
いつものように「完璧な白瀬心春」として午前中をやり過ごし、少しだけ息をついていた、その時。
白瀬ちゃーん
スッと目の前に、クラスの男子の影が落ちる。
不意に名前を呼ばれて顔を上げると、目の前に立っていたのは、千歳の友人である高橋悠真(たかはし ゆうま)だった。
柔らかく、いつも人懐っこい笑みを浮かべている悠真は、とにかく明るくて誰に対しても距離感が近いタイプ。 女子にも男子にも人気があり、クラスの中心にいるような男の子だ。
突然のことに、心春はいつもの反射的な愛想笑いを浮かべる。
あまりにも突然の、そして遠慮のないストレートな誘いに、心春の笑顔の仮面の下で思考が困惑する。どう断るのが正解か、瞬時に脳内がパニックを起こしそうになった。
悠真はそんな心春の迷いなどお構いなしに、距離の近い笑顔のまま、ぐいっと話を進めてしまう。
その瞬間__
二人のすぐ近くの席から、激しく椅子が引かれる鋭い音が教室内の一角に響き渡る。
いつものおっとりした物静かなトーンとは明らかに違う、どこか冷たく制するような上品な声。
千歳がスッと二人の間に割って入り、何を考えているか読めない涼しげな目元で、悠真を正面から見据えた。
「そんなことないだろ」と笑い飛ばそうとする悠真を、千歳は静かに見つめ返す。千歳の顔は、いつものように穏やかに笑っている。
でも、その瞳の奥は、まったく、全然笑っていなかった。
6年間の親友として心春を守ろうとする、千歳の「避難所」としての絶対的な拒絶のオーラがそこに宿っていた。
あまりの千歳の剣幕に、心春は戸惑う。
少し伏し目がちに、けれど一歩も引かない強い眼差しで、千歳は自分の友人を真っ直ぐに見つめた。
俺と白瀬の飯に、なんでお前が必死になって付いてくるんだよ、と悠真が呆れたように眉をひそめる。
緊迫した空気が三人の間に流れた、その時。
低いけれど、圧倒的に拒絶を許さない不器用な低音が、すぐ真横から降ってきた。
全員 ………
驚いて振り返ると、いつの間にかすぐ後ろに、無骨なオーラを纏った進藤柊馬が立っていた。
心春の思考も状況もすべて先回りして理解してしまう男が、この状況を黙って見過ごすはずがなかった。
柊馬はポケットに手を突っ込んだまま、ぶっきらぼうに視線を逸らす。
柊馬の底の知れないクールな瞳の圧に、悠真も思わず言葉を詰まらせる。 千歳の「笑っていない笑顔」と、柊馬の「ぶっきらぼうな不機嫌」。
二人の少年の強烈な牽制(けんせい)が火花を散らし、教室の空気が妙に張り詰めていく。
耐えかねた心春が、どうにか場を収めようと、引きつる笑顔の仮面を必死にキープしながら提案する。
二人の即答っぷりに、悠真は完全に両手を上げて、お手上げといった風に深くため息をつくしかなかった。
結局、ざわざわと生徒たちが行き交う賑やかな食堂で、四人で並んで昼食を摂る羽目になる。
うどんをすすりながら、悠真がまた、何の気なしに心春の顔を覗き込んできた。
あまりにも直球でサラッと言われた言葉の衝撃に、心春は口に含んだお茶を盛大にむせ返らせる。
真っ赤になって咳き込む心春。完璧な仮面が、彼のチャラい距離感の近さによって一瞬でボロボロに崩れる。
カツン、と箸を置く微かな音がして、千歳が物静かな、けれど有無を言わせない冷たいトーンで悠真を睨んだ。
親友の癖に、白瀬ちゃんに対して一歩も他人に踏み込ませようとしない。その千歳のあまりの過剰な守り方に、悠真が呆れたようにツッコミを入れる。
千歳が黙る。
内面に不安症を抱え、心春との関係が壊れるのを恐れて一歩引いていた千歳が、他人の悠真のせいで自分の「独占欲」を暴かれそうになり、これ以上踏み込めずに静かに唇を噛み締めた。
千歳のそのただならぬ沈黙に、悠真がハッと何かに気づく。
上品でおっとりした千歳の口から飛び出した、冷徹極まりない拒絶の言葉。
珍しく千歳が露骨に機嫌悪く、周囲を氷つかせるようなオーラを放っている。
柊馬が、隣に座る心春の耳元に、そっと低い声を落とした。
悠真のチャラい言葉も、千歳のただならぬ空気も。心春がまた頭の中で『どう笑えばいいんだろう』と必死に思考を先回りして悩んでいるのを、柊馬はすべて理解していた。だからこそ、その脳内のパニックごと、ぶっきらぼうに「全部気にするな」と、彼なりの不器用さで守ろうとする。
いつもの、二人にしか分からないフラットな温度感のやり取り。
しかし。
そんな二人をニヤニヤと観察していた悠真が、今度は柊馬に矛先を向けた。
心春を他の男に近づけたくない、自分だけのものにしておきたいという、全く同じ『嫉妬の表情』を浮かべている。
その悠真の爆弾発言の瞬間、食堂の一角の空気だけがピタッと止まる。
二人の少年は、お互いに目を合わせることすらしないまま、鋭い沈黙で固まっていた。図星を突かれ、隠しきれない独占欲が、二人の背後からドス黒く立ち上っているようだった。
ただ一人。
自分の「仮面」に囚われ、相手に合わせることだけで生きてきた心春だけが、男二人の間で猛烈な嵐が吹き荒れている理由を、何も分かっていなかった。
すっかり夕闇が深まり、オレンジ色と紫色のグラデーションに染まった帰り道。
並んで歩きながら、心春は隣の柊馬にそっと話しかける。
柊馬はぶっきらぼうに前を向いて歩く。
ふと、柊馬の歩調が緩み、低い声が心春を呼び止めた。
心春と同じ景色が見えてしまっているからこそ、彼女の危うさも、誰にでも合わせてしまう優しさも、柊馬には見えてしまう。
そう呟いた柊馬の声は、昼休みの千歳への対抗心をまだ引きずっているかのように、少しだけ、分かりやすく不機嫌だった。
その、自分を独占しようとする彼の不器用な熱に、心春の胸がまた、奇妙にうるさく波打ち始めていた。