不審者の男の襲撃という脅威(きょうい)は去ったけれど、警察が来た後は大変だった。 とにかく、てんやわんや。
現場での状況説明、署に行ってからの長い事情聴取、被害届けの申請…。 俺の方からはスマホで撮った犯人の写真も出して……
警察の人が言うに、俺の撮った写真で暴行の証拠もあるし、バッチリ顔も写ってるし、男は逃げたけどすぐに立件できるだろうということだった。
何より襲撃して来たのは身元不明の人物ではなく、(最悪なことに)卯月さんの知り合いだというので、どこの誰か分かっているのであれば逮捕までは早いだろうと。
虎谷ジュン
顔がわれてるのに
襲いに来るって……)
虎谷ジュン
気にしないってこと…?)
犯行に及んだあとのことを全く考えて無かったのか、それとも何らかの方法で卯月さんを「黙らせる」つもりだったから通報を気にしなくても良かったのか……。
考えただけで恐ろしいけど、 俺が一歩遅ければこの人……卯月さんはどうなっていたか分からない。
警察署から帰って来て、さらなる問題となったのは俺の「配達」のことだ。
人命優先・通報優先ですっかり忘れていたが俺はそもそも配達バイトの途中で……。
虎谷ジュン
そうだ俺、配達…!!!
卯月キョウスケ
卯月さんの家に届けるために持って来たあんかけ焼きそばは、配達予定時間を大幅に過ぎたまま『まだ受け取り確認が済んでいません』のステータスになっているし、そもそも料理がダメになっちゃってるし…。
さらにもっと良くないのは、卯月さんちへの配達の他に2件配達予定があった事だ。
こっちは受け取り予定のお客さんからアプリの方に「配達はまだか」というクレームが何度も入っていて
配達員が事故ったか責任を放棄して失踪したとき用の「原因不明のトラブルです」的なお詫び文が本社からお客さんに送信済みになっていた。
配達できず、本社やお客さんに迷惑がかかった分は当然、俺にペナルティがくだり…… この先何日間かは配達員として働けない扱いにされてしまった。
もし次に何かやらかしたら、たぶん配達員の登録を消されて契約解除されてしまう。
虎谷ジュン
どうしよ…
卯月キョウスケ
僕に付き合って貰って
しまったせいで…
虎谷ジュン
事件だったし、
仕方なかったと思うので…
虎谷ジュン
ぐうぅぅ〜…
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
こんな時にお、おなか……
虎谷ジュン
いや、腹減りましたよね?
俺もです
卯月キョウスケ
昼間の事件からお預けを食らったまま、時刻は16時、すっかり夕方になっていた。そりゃお腹もすくだろう。
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
僕、お金出すので!
虎谷ジュン
おごりだ
卯月キョウスケ
バイトの報酬として
入るはずだった分のも…
卯月キョウスケ
僕のせいなので…
虎谷ジュン
卯月さんのせいって
わけじゃ……
虎谷ジュン
アイツだし、
虎谷ジュン
俺だし……
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
その辺の話もなんか食べてからにしましょうよ
卯月キョウスケ
そう、しましょうか…
虎谷ジュン
大体頭に入ってるん
ですけど……
虎谷ジュン
虎谷ジュン
あんま出歩きたく
ないですよね
虎谷ジュン
また出前とるのは
さすがに…
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
トラウマだし……
虎谷ジュン
この近くの大学に
通ってるって
言いましたけど…
虎谷ジュン
生徒じゃない人も入れる
って知ってました?
卯月キョウスケ
そうなんだ…
虎谷ジュン
わりと近所の人が
ご飯食べに来てたりしてw
虎谷ジュン
けっこう美味いんすよ。
安いし
虎谷ジュン
一旦そこにしません?
卯月キョウスケ
もちろん僕は、
それで構わないです
虎谷ジュン
ー東京●●芸術大学 学生食堂ー
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
学食、あなどれせんね
卯月キョウスケ
色んなメニューがあって
良いですね
虎谷ジュン
けっこう種類もあるんですよねー
卯月キョウスケ
やってるんですね。
もう夕方なのに
虎谷ジュン
全然やってますよ
虎谷ジュン
学生も多いし
卯月キョウスケ
賑やかな学生食堂の雰囲気は、昼間の事件の時の緊迫感や警察署での深刻な空気の残り香を消して、ここが安全な場所だと思わせてくれる。
緊張がほぐれたのか、目の前の卯月さんの表情も少なからず和らいだと思ったけど、食堂を眺める横顔を盗み見れば、まだどこか影が落ちているようにも思えた。
あんな事があった後じゃ、やっぱりまだ不安なんだろう。
現場に出くわした俺でさえ、襲われた本人ではないのに怖くて心臓がバクバクした。
この人の事をよく知らないのに、この後、別れを告げて他人に戻っていくことを考えると何故かソワソワする。
彼を一人にして大丈夫なのか。
脳裏に焼きついた昼間のこと、俺に助けを求めた時の表情や声がフラッシュバックする。
「ひとりにしないで」と…。
虎谷ジュン
あいつ、早く捕まると
良いですね
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
虎谷ジュン
不安だろうし…
夜とかだって…
卯月キョウスケ
今は無いから大丈夫
なんですけど…。
僕、リモートワークで
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
あの人、前に辞めた会社の上司なんですよね
虎谷ジュン
虎谷ジュン
じょ、上司??
虎谷ジュン
感じですね…
虎谷ジュン
…みたいなやつ?
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
色々聞いちゃって…!
卯月キョウスケ
そういうのが原因で
辞めたんです、
前に勤めてたところ
卯月キョウスケ
普通に尊敬できる先輩
っていうか、上司…
だったんですけどね…
卯月キョウスケ
仕事の能力を
高く評価して、
卯月キョウスケ
可愛がってくれている
んだと思っていたら
卯月キョウスケ
違ったみたいで…
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
呼び出されたり、
二人きりになろうって
誘われたり、
卯月キョウスケ
変な風に触られたりして、
卯月キョウスケ
無かったから、
怖くて……
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
んで、なんで家知ってんだ
って話っすよね
卯月キョウスケ
個人情報を盗み見た
のかも…
虎谷ジュン
ぜんぶ犯罪じゃん!!
虎谷ジュン
虎谷ジュン
あの家引っ越した方が
良くないですか!?
虎谷ジュン
虎谷ジュン
古そうなとこ…
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
部屋の中は
リノベーションしてて
綺麗だったし、
卯月キョウスケ
家賃が安かったので……
虎谷ジュン
古いマンションにしては
部屋の中は新しい感じで
キレイな内装だったな…)
卯月キョウスケ
あの部屋には最近
引っ越してきたばかりで…
卯月キョウスケ
引っ越しできないんです
契約上…
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
まさかあんな事が
起きるなんて…
卯月キョウスケ
その配達だと思って
ドアを開けてしまった…
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
配達員だったおかげで
助かりました。
本当にありがとう
虎谷ジュン
無事で良かったですよ、
ほんとに…
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
しまったお詫びと…
卯月キョウスケ
したいので…
卯月さんが財布を取り出そうとするのを見て、俺は慌てて止める。
虎谷ジュン
良いですってお金は!
ほんとに…!
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
どうしよっかな…
虎谷ジュン
虎谷ジュン
たまに夕飯おごって
くれませんか?
学食で良いんで
卯月キョウスケ
そんなんで良いんですか?
虎谷ジュン
ごはん代浮いたら
嬉しいし…
虎谷ジュン
ちゃんと無事かも、
確認できるし…
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
良くしてくれるんですか…
虎谷ジュン
ふつーに心配ですよ!
虎谷ジュン
俺でよかったら、その…
虎谷ジュン
一応見ておきますよ
虎谷ジュン
(チャリで)走り回ってるし…
虎谷ジュン
縁っていうか…
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
なぜ泣く…!!
卯月キョウスケ
あまりに良い人なので、
ちょっと感動しちゃい
ました…
卯月キョウスケ
とても心細かったので
助かります
虎谷ジュン
こういうとこ…か?)
虎谷ジュン
なるっていうか…)
虎谷ジュン
男ながらまんざらでもない気分になってしまう)
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
全然これからもお世話に
なっちゃいますね…
虎谷ジュン
あんま、かしこまら
なくって良いっすよ
虎谷ジュン
社会人の知り合いが
出来たの、
何気に嬉しいです
虎谷ジュン
連絡先交換しません?
卯月キョウスケ
スマートフォンにお互いの情報を送り合うと、直後、卯月さんが画面に表示された俺の名前をまじまじと見つめる。
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
「虎」の字だったんですね
虎谷ジュン
ああ、そうっすよ
卯月キョウスケ
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
僕の飼っていた猫……
卯月キョウスケ
人間になって助けて
くれたなんて事は…
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
そんなわけあるかー!w
虎谷ジュン
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
そうですよね!
卯月キョウスケ
僕に都合の良いことばかりなので…
卯月キョウスケ
…一瞬だけ
虎谷ジュン
言わないでくださいよ…ww
虎谷ジュン
笑い取りに来るの
勘弁してください、
まったく…
卯月キョウスケ
ウケてしまうとは…
卯月キョウスケ
虎谷ジュン
全然まだうたがってる…w
虎谷ジュン
人間だってば!!www
出会いこそ深刻な場面でだったけど、この人はけっこう面白い人なのかも知れない。
ギャグか本気か分からないけど……、俺を猫ちゃんかどうか確認する感性の持ち主であることは分かった。
虎谷ジュン
申し訳ないですけど、
俺は人間なので…
虎谷ジュン
虎谷ジュン
ですよね…?
虎谷ジュン
逃げちゃったのかな…
卯月キョウスケ
多分そうなんだと思う
卯月キョウスケ
早めに見つけてあげられると良いんだけど…
虎谷ジュン
早く見つかって
戻って来ると良いですね
虎谷ジュン
卯月キョウスケ
そんなこんなで大学2年の夏、学生の俺と社会人の卯月さんの少し変わった交流は始まった。
俺はというと、最初こそ「何かの縁だし」と人助けくらいの気持ちで付き合っていたのが
次第に「卯月さんに会いたい」気持ちの方が大きな目的になっていって、
例のストーカー野郎が逮捕されたという知らせがあった後も、何かと理由をつけて卯月さんのそばに居ようとした。
もう守ってあげなくても良いのにな。
学食で夕飯をたまに一緒に食べる会が、次第に卯月さんちでゲームしながら・映画観ながら夕飯を食べる会になったり、
何はなくとも卯月さんちに上がり込んで授業の空きコマの時間潰しをさせて貰うようになったりするまで、そう長くかからなかったのと同じように
卯月さんのことが「好きかも知れない」と気付いてから「いやめっちゃ好きだ」の確信に変わるまでも、そうかからなかった。
けれど卯月さんが俺を信用してくれているからこそ、
良い友人として迎え入れてくれたそのポジションに甘んじる傍ら、伝えられないモヤモヤとした気持ちを抱えることになってしまった。
ストーカー野郎がしたような、一方的な好意は卯月さんにとってトラウマなはずだ。
そんな事をしないから、 そんな素振り無いから、 俺は信用されてるんだとしたら…?
虎谷ジュン
一発アウトかも知れん…)
虎谷ジュン
絶対嫌だ……)
良い友人のままでいなきゃ。
伝えられない気持ちを抱えるのはつらい。けれど背に腹は代えられないので…
俺は1年経っても、「何事もなく、一緒に居られる」方を選び続けているのだった。