麗美
私はほんの一握りくらいの希望を抱いて、お母さんに声をかけた。
お母さんは、こちらを向いて不思議そうな顔をして──。
ゆっくりと、口を開いた。
お母さん
それは、私の願う奇跡が端から無かったことの証明で、どうしようもなく予想通りの一言だった。
『では、“記憶”でどうじゃ?』とフヘラナミオンさんに提案されてから、数秒後。
フリーズしていた頭が動き出す。
……記憶、か。なかなかにギリギリの所を攻めてくる。
記憶は、その人の人格を形作る上で最も重要な一ピースだ。
それを対価とするということは……考えるのはやめよう。自分はどうなってもいいと言ったのは、他の誰でもない私だ。
麗美
だから、それならどうぞ持っていってください。
そう決意した上での確認だったのだが、フヘラナミオンさんはプッと吹き出して冷笑した。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
私一人では、足りない。
その事実に打ちのめされる。
私以外の人が傷つくのは、絶対に嫌だ。ありえない。
それなら私は、何を捧げればいい?
内臓? 髪? 手? 腕? 足? 胴体? 眼球? 魂?
傷つけるのなら、いくらでも私を傷つけたらいい。
何でもいい。私の体からなら、何だって取っていっていい。
だから……っ。
だからお願いです。お願いします神様。
私から大切なものを、もう奪わないで下さい。
フヘラナミオンさんは懇願する私のおでこを指で弾いた。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
名前を呼ばれて、ビクッと肩が跳ねた。
フヘラナミオンさんは眉間に皺を寄せて困ったように微笑んだ。
フヘラナミオン
麗美
麗美
反論しようとした私を、彼女は片手で制した。
その上で、もう一度。
私に言い聞かせるように。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
……暴論だ、と思った。
こんなのは、こんなのは違う。
私は……私は、罰が欲しかった。
一人だけ、生き残ってしまったことへの。
たいして苦労するすることなく、異世界でも生活していたことへの。
それを──その望みさえも封じられたのなら、私はどうすればいいのか分からなくなってしまうから。
それさえなくなってしまったら、何もかもを忘れて、誰かに助けを求めてしまう気がしたから。
だから……酷いよ。酷いよ神様。
何でそんなことを言うの?
視界が歪む。
溢れてきたのは、何が込められた涙だったのか。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
────どうする、と彼女は問うた。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
────ねぇ、私。
震える手をきつく握りしめる。
────答えなんか、もうとっくの昔に決まってるはずでしょう?
今更揺らぐなんてことは、あってはならないのだ。
麗美
麗美
いい、とまでは言えなかった。
身体が恐怖で、震えていた。
フヘラナミオンさんは私の顔を覗き込む。
フヘラナミオン
あぁ、これが最終確認だと頭の隅の方で理解した。
麗美
大丈夫なんかじゃない。
麗美
今度こそ、何とかならないんじゃないかって思ってる。
────それでも。
私の大好きな人たちが、生きていて欲しかった。また変わらない笑顔を見せて欲しかった。
ならばそれで十分じゃないか。
フヘラナミオン
ふとこぼれた彼女の微笑は、どこか悲し気だった。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオンさんの足元に、煌めく温かな光が現れる。
初めは点だった光は、だんだんと大きくなり、枝分かれして幾何学模様を描いていく。
どこまでも、どこまでも。
空間一面にこれが広がった時、フヘラナミオンさんは私を呼び寄せた。
フヘラナミオン
フヘラナミオンさんの近くには、一際細やかで美しい紋様がある。
そこへ一歩足を踏み入れると、春風のような何かが私の頬を掠めた。
くすくす、くすくすと誰かが笑う。
小さな子供がはしゃぐ声がする。
誰かが泣いている。
誰かが喜んでいる。
いつかの時。失われてしまった時間軸。
その中に、『今』、私は立っている。
フヘラナミオン
放心状態の私に、フヘラナミオンさんが声を掛けた。
フヘラナミオン
麗美
フヘラナミオン
へぇ、これ、そんな名前がついてたんだ。
……ディテフさんは薬って言ってたけど。
飲み薬とか塗り薬とかは聞いたことあるけど嵌めるタイプの薬って何です?
よく分からない。これも突っ込んだらいけないやつか。そうかなるほど。
麗美
麗美
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
麗美
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
麗美
少なくとも一回は外部から接続できるのだ。
それを応用すれば、残りの二つも接続できるのでは?
私が思ったことをそのまま訊ねてみると、フヘラナミオンさんはバツが悪そうに明後日の方向を向いた。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
その一言で察する。
神様にも得意不得意があるのだ、と。
………………うん。
そんな私の表情を見てフヘラナミオンさんは何を思ったのか、とんでもないスピードで話し始めた。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
麗美
ちょっと待って。
今の話をどう考察すれば今から筋トレしようっていう結論にたどり着くんです?
私が突っ込んでもフヘラナミオンさんの妄想は止まらない。
……さっきまでの神様らしい態度はどこへやら。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオンさんの体が透けてきている。
この流れは何だか不味くないか……?
このまま彼女に消えられたら地球再生も何もできなくなってしまう……!
それだけは避けなければならない!
私は無我夢中で"念いの指輪"に願う。
フヘラナミオンさんを生き長らえさせて下さい、と。
すると、ふわふわと胞子のようなものが漂い、彼女に付着。
それが消えると、フヘラナミオンさんはすっかり元通りになっていた。
……使い方間違えなくて良かったけれど"念いの指輪"の使い方、簡単すぎない?
誰かに悪用されたりしないのかなぁ……。
麗美
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
えー……。
もしかして記憶ぶっ飛んでしまいましたか?
フヘラナミオン
訂正、記憶は飛んでいなかったみたいだ。
フヘラナミオン
露骨な話題転換に、苦笑してしまう。
フヘラナミオンさんは笑っている私を見て、目元を和らげた。
…………あぁ、なんだそういうことか。
これらはきっと、彼女なりの謝罪だ。
贖罪ともいうのかもしれない。
それか……私への最後の祝福か。
彼女は泣いていた私に笑顔を贈ってくれた。
だとすれば、どこまでが嘘でどこからか本当か分からなくなるけれど……。
この優しい神様でも犠牲なしには再生できないのだ。
ならば、もう、諦めもつく。
────本当に?
……うん。本当。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
最後の祝詞は聞こえなかった。
きっと、人間には聞き取れない言語で話されたのだ。
祝詞が終わると同時に、私の意識の糸はプツンと、切れた。
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
フヘラナミオン
────そうして。
気がつけば、私はよく知る近所の公園に一人座っていた。
少し歩いてみると、友達ともすれ違った。
地球が元に戻ったのだという実感。嬉しさ。
それから……喪失感。
本当に、誰も私のことなんて憶えていなかった。
もしかしたら、なんて淡い希望は泡となって弾け飛んでしまった。
麗美
麗美
これから、どうしようか。
お金もないし、食べ物もない。
下手をすればあっちの世界に行った時よりも状況悪くないか?
今なら取調室のカツ丼欲しさに万引きした人の気持ち、分かる気がする。
名誉や尊厳より命の補償をってね。
────ぐぅぅぅぅ!
麗美
お腹からの大音量。
周囲の視線が突き刺さる。
ううう……人間って水だけで何日生きれるっけ……?
今の私には身分証明書がないから、どこに行っても保護してもらえないだろうしなぁ……。
私が持っているものといえば体と服と……。
────ころん。
まるで存在を主張するかのように、異世界守が足元に転がり落ちた。
こんなもの、今は何の役にも立たない────
麗美
再び周囲の視線が私に突き刺さったが、気にしない。
そういえばこの中に、異世界遊覧記あったよね。
もしかして、アロミネルさんの役に立つ知恵が、書いてあるのでは……⁉︎
私は藁にも縋る思いで、異世界遊覧記をパッと開いた。
────この隠されたページを見つけた、あなたへ
あなたは今、深ーいふかーい、悲しみに包まれていますよね?
隠しったて無駄ですよ? というかここで嘘をつかないで下さい?
実はですね……このページは大きな悲しみを抱えながら開かないと見つからないようにしているんです!
ふっふっふ……凄いでしょう?
……え? そんなことは今どうでもいい?
さっさとここに書き込め?
むぅ……分かったからあっち行ってて!
…………………………。
……よし。邪魔者はいなくなりましたね。
さて、あなたは今、どんな悲しみに包まれているのですか?
大好きな食事でも盗まれました?
それとも自分以外みーんな記憶を失った?
お気に入りの玩具を潰されましたか?
あなたがどんな悲しみを抱えているのか、私には分かりかねますが、そんな“旅の一族”であるあなたに、一つアドバイスを贈ります。
────ランドールにいるクロトを頼りなさい。
このページが開かれたということは、きっとあいつも転生してるわ。
私の子孫だと言えば一晩ぐらいは無償で泊めてくれる……はずよ。
泊めてくれなければ私みたいにクロトの記憶をちょいちょいっと改竄しちゃいなさい。
だけど一つ、クロトに伝えてね。
あなたは、私ではないと。
ほら、あの子色々と引きずっちゃうタイプだからさ。
もしかしたらあなたが、私と同じくらい仕事に使えるかも、とか勘違いしちゃうかもしれないでしょ?
そんなことになったら、あなたも嫌でしょうし……。
だからきちんと伝えるのよ。
“あなた”は“私”ではないと。
……ああ、そうそう。
クロトのところへ行くんだったらもう一つ伝えておいてくれるかしら?
あれの解除パスワードは“フワラ・パドネ”って。
あぁ、ごめんなさい!
私の用事ばっかり頼んでしまって。
最後に…………最後に、そうね。
あなたに言葉の贈り物を。
────“悲しみは雪のように溶け、喜びは春のように訪れる”。
これは何処かの世界の、なんとかっていう部族に伝わる言葉よ。細かいところは忘れたわ。
まぁ、無理せず頑張りなさいな。
──“メシア”に、気をつけてね。
p.s.この文章はまもなく消えます。ご了承ください。
麗美
最後に書いてあったとうり、私が今見ていたページは空気に溶けるようにしてすっと消えていってしまった。
いつかの、地球しか知らない私だったら『信じられない』と思っていたのだろうか。
あるいはこれを不気味だと思い、その辺に捨てていたのだろうか。
地球以外を知ってしまった私には、分からないけれど。
麗美
どこへ?
……ううん。
考える前に、行動しなきゃ。
……まるで自分らしくない。
でもそうしないと、私は今進めない。
だから……行かなきゃ。
伝えなきゃ。
感謝と、アロミネルさんから頼まれたメッセージを。
彼に────クロトに。
“念いの指輪”を使い、私は異世界ランドールに帰ってきた。
一応、クロトのいる所まで転移させて下さいって願ったんだけど……。
流石に間、五センチメートルくらいしかないって酷くない⁉︎
距離感おかしいよ!
────ユリちゃん、ラン君。それからクロト。
皆、誰もいないところに急に私が現れるもんだからびっくりしている。
すみません現在進行形でご迷惑をお掛けしてます……。
目を真ん丸にして驚いていたクロトは、数秒経つと深刻そうな顔に早変わり。
失敗したと思ってどう言葉をかけようか迷ってるのだろうか。
失礼な。私を何だと思っているのか。
麗美
……今、あなたから見て私は、どんな顔をしている?
泣きはらした顔とか、してるのかな。
そうだとしたら、嫌だな。
作戦は成功したのに。泣くことなんて、ないはずなのに。
────大丈夫だ、自分。
失うものは、もう何も残されていないのだ。
だから────笑え。笑ってしまえ。
己の境遇も、不運も全て笑ってしまえ。
真夏の向日葵とまではいかなくても、せめて道端に咲く、タンポポのように。
笑え、私。
麗美
麗美