親は産む子を選べない
子は産まれる親を選べない
何時の時代もそれは同じ
生まれた子は親から たくさんの愛情を受け 学び育つ
否、そんな幸せな 育ちの子供だけでは無い
望まれず産まれ 親に愛されぬ子 望まれて産まれたのに 『デキソコナイ』と 能力の低さに目も くれられなくなった子 産まれる前に 親の意思で世に産声を あげることすら許されない子
愛されて育ったから 愛されない子供を哀れむ大人
愛され方を知らないから 子供の愛し方を 知らない大人
私はどんな子供で どんな大人になったのか
過去を綴るには どれだけのページが 必要でしょうか
幼い子供は どんな些細なことですら 信じる純粋な 心を持っている
その純粋な心を 大人は意図も簡単に 壊すことが出来る
いずれ大人になるに連れて 人間の汚い心に触れ 悪意や憎悪 哀れみや慈悲 子供の時には無かった 感情を少しずつ 覚えるようになる
私は5歳という年齢で 人に対する 『殺意』 という物を覚えた
『親に対する殺意』
それが後に どのような影響を 与えるかは その子供の意思次第
私は心の中で 今でも 親を憎んでいるのか 少しずつ 麻痺してきて 分からなくなっている
現在の私が 過去の私を 全て書きます
これを読んだ時 あなたは 何を思いますか?
純粋な子供は 親の 『教育』 とやらで それを普通として育つ
199✕年7月✕日 私が産声を上げたのは この日 今どきの子が 住むには 少し不便な田舎に 生まれた
幼い頃の記憶など 私には 残っていない
子供というものは 不思議なもので それもひと握りの 子供にしかない 記憶がある
『前世の記憶』
これを話せは 何を言っているんだろうと 思う人もいるだろうが 物心着く前に それを見る子供は いるらしい
私もその1人
前世で私は 母親に殺され 私を助けようとした 父親も 命を落としている
ひまわり柄のワンピース 麦わら帽子の 幼い女の子 手を繋ぐ父と母の手 そして 海に私を突き落とした 母の冷たい目 溺れる私を助けようと もがき一緒に沈んでいく 父の顔
そのおぞましい光景が 目に焼き付くように 物心付き目覚めたのは4歳の頃
母と義父が 目の前にいた
私の本当の父親は 相当な暴力旦那だったらしく 当時新聞にも のる程だった
だから私が物心ついた頃には 既に母は再婚しており 義父と共に居た
母は夜頃スナックで働き 義父は鳶(とび)いわゆる建設現場の 仕事をしていた
その3人で 幸せに暮らしていたのか
いいえ
私の地獄は 生まれた時から 始まっていた
私はご飯を食べるのが 嫌いだった
ご飯を決まった量 決まった時間内に 食べなければ ベルトやハンガーやものさしで 叩かれていたから 好き嫌いなど もってのほか 『いただきます』 『ごちそうさまでした』 挨拶がなければ もちろん叩かれていた 顔が腫れ上がるほど なぐられることもあった
いいえ お風呂に入るのは好きだった 4歳から シャンプーハットをつけて 頭をあらったり 1人でお風呂に入ることが 出来たから
私はお風呂が怖かった
私が嫌いだったのは 親を怒らせた時 風呂釜に入れられ 沈められたり シャワーを顔に浴びせられ 息が出来なかったり 冷たい石畳の 寒いお風呂に 真っ暗な中で 裸で正座させられたり この頃は私には 怖かった
私は義父と2人きりの 時間が嫌いだった
母が働きに行っているなか 義父と2人きりのとき 『パパのお手伝い』 という言葉で 義父の性処理の 手伝いをさせられた この頃 何もわからなかった 私に義父は そんなことをさせていた 今思い出しても 吐き気がする
私は母と二人の時間が嫌いだった
義父に対する ストレスが溜まっていたのか 私への当たりは 強かった 言うこと聞かない あなたが悪いと 幼い私に 教えられた
私は学校が嫌いだった
父と母の事を 先生に話した 助けを求めた なのに 助けてはくれなかった それどころか その事が 親に伝わり 学校から帰った私は 酷く親に叩かれた
もちろん子供だ 日頃家での食事の ストレスで 太った私は いじめられていた 親にいじめられていることを 話しても 『甘えるな』 と、相手には してくれなかった
幼かった私は ○○ちゃんの所に 生まれたら 幸せだったかな 私が生まれなければ パパとママは 幸せだったかも しれない そう思った
けれどいつしか パパとママなんか 事故にあって死んじゃえばいい このまま寝て 朝には心臓が止まって 二度と起きなくなれば 何も苦しくないのに 消えたい そんなことを 思うようになっていた
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