テラーノベル
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動画で傷の位置を撮影し終えて、浴室を出た。 狭いアパートだから脱衣所なんてなくて、洗濯機の上に置いてあるバスタオルで腹の傷を押さえて、震える指で動画を送信した。 驚くほどすぐにあいつから受け取りの返信がきて、泣きそうになりながら笑ってしまった。 部屋の大半を占めるベッドに背中を預けると、今まで忘れていた寒さを思い出して毛布を引きずり下ろして包まり、スマホの画面に指を滑らせる。 自分の入力の遅さがもどかしい。 たった二行なのに。 『あしたくる/にげろ』 送信してすぐに、あいつの解析結果が出ていたことを知る。 「やっぱり、はやいなぁ」 わたしが信頼するヤツの仕事の早さに、頬が緩む。 スマホを開いたまま、いつもは見ない他の返信をぼんやりしたまま眺めていたら、いくつもの反論が目に付いた。 いつもならばどうでもいいと切り捨てるコメントに、涙が勝手にあふれてくる。 指が、信じてと、繰り返し文字を綴っていた。 送信を押してから、すこしだけ後悔してアプリを閉じ、ゆっくりと横に倒れる。 「寒い……な」 最低限の暖房しかつけていないせいなのか、それとも血が流れすぎたからだろうか。 腹にできた一文字の傷は、もうあまり痛くない――ただ、寒い。 ポン 軽快な音が、スマホから聞こえて目を開けた。 眠っていたのか。 スマホを開けば、あいつからいくつものDMがきていた。 寒さに震える指先で、一つ一つスクロールさせて読んでいると、なんだかあいつとの思い出をたどっているような気分になる。 だから、最後に一言だけ、お礼を言いたくなった。 食い下がるあいつに、ちょっとだけイラッとしながら別れを告げて、もう一度目を閉じた。 寒いだけで痛みはない、もしかしたら、もう目を覚ませないかも知れないけれど、不思議と怖くはなかった。
目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。 そして、ベッドの横に憔悴したサラリーマンが座っていて無茶苦茶ビビった。 「ええと……どちら様ですか?」 困惑しているわたしを余所に、彼はナースコールを押して看護師を呼んでいる。 なんだか分からないが、とても怒っているようだ。 右手は点滴に繋がっていて、点滴のパックはまだ半分以上残っている。 ナースステーションが近いのか、すぐにやってきた看護師と医師が言うには、部屋で気を失っているところを、サラリーマンの彼が救急車を呼んで助けてくれたということだ。 腹は既に治療が終わっており、数日の安静と入院が必要であることを告げられた。 入院に掛かる費用を考えてゾッとしている間に、サラリーマンが医師と看護師を部屋のドアの前まで見送る。 そういえばここは個室だ。個室って確か、高いんだよね……っ!? 青ざめているわたしのところへ戻ってきた彼は、どかっと音を立てて丸椅子に座ると、内ポケットから取り出した革の名刺入れから名刺を取り出して、ベッドに横になったままのわたしに渡してきた。 見たことあるようなないような企業名と氏名に戸惑う。 「解析班、だ」 「は?」 不機嫌そうな彼の言葉に思考が停止する。 「え、なんで? 解析班? 本当に? なんで? だって、北海道民じゃないよね?」 「出張でこっちにきてた。それよりも、お前さぁ、マジでなんなの」 サラリーマン改め解析班に、なじり、怒られた。 さっさと救急車を呼べとか、死ぬ気だったのかとか。 「だって……あれだよ、別に死ぬつもりはなかったけど、頭が回らなくて……」 ちいさくなって言い訳をするわたしに、彼は盛大な溜め息を吐きだした。 肺の酸素を全部出し切るような溜め息のあと、ベッドの上で身動きの取れないわたしの手を両手で掴んで、自分の額に押し当てた。 「悪い、本当に言いたいのはそうじゃなかった。ありがとう……君のおかげで、みんな、死なずにすんだ。本当に、ありがとう」 彼の言葉で、病院に運ばれる前になにがあったかをまざまざと思い出し、一気に緊張が緩んだ。 「――そっか、みんな……よかった、ホント、よかった……っ」 あふれ出す安堵に止まらなくなった涙を彼が拭ってくれたが、はたと気づく。 「みんな、無事? え、わたし、一体何日寝てたの!?」 丸三日だと教えられ、どうりで体が重いと納得した。
自衛隊まで出動しての大移動が行われた大災害の全容を聞き、青くなったものの、死者が出なかったという快挙に、思わずガッツポーズしてしまった。 「あー、よかった! ホッとしたらお腹が空いてきたー!」 「ゼリーならあるぞ」 備え付けの冷蔵庫から取り出された、デパ地下の高級ゼリーに釘付けになる。 「食うか?」 「食います」 一も二もなく答えたわたしに、彼はすこし笑って手ずからゼリーを食べさせてくれる。 点滴が終わるまでは身動きできないこの身が恨めしいが、腹の傷はいつも通り皮一枚で、内臓に損傷はないので食事ができるのはありがたい。 ゼリーを食べさせてくれる彼から、実はわたしの救出に政府の人間も関係していたと聞いてドン引いた。 「行きずりのサラリーマンが、面識のない女性の家に、入れるわけないんだよな……」 彼が家の特定までしたのに、家の前で手をこまねいていたところにやってきた政府の人間が上手いことやってくれて、無事入院となったそうだ。 なにがどうなってるのかよくわからないけど、とにかく無事を喜べばいいと彼が言ってくれたので、喜んでおく。 その後、その政府の人間という人と会って、問答の末に公費ではなく有志からのお見舞いというのだけを受け取ることにした。 その有志からのお見舞いっていうのが七桁だったのは計算違いだったけど、正直言って入院費とか色々助かった。 「今日はあの人来ないの? あんたの命の恩人」 下着やタオルを持ってきてくれた母が、棚にそれらをしまいながら聞いてくる。 陸の孤島と呼べる実家からこの病院へ母が来るまでの間、わたしの世話をしてくれた彼に、母は大きな信頼を寄せているのだ。 「本社の復旧がはじまったし、今日は一日仕事になりそうだって言ってた」 「そうなの? まだ、あの地震から一週間も経ってないのに、凄いわねぇ。それにしても、やっぱり神様っているのね、あんな大きな地震だったのに、誰も犠牲にならなかったんだもの」 わたしの予知だとは知らない母の言葉に頷く。 わたしの体を裂く以外の方法で予知してくれたらもっとよかったのに、と思わなくもないけれど。 けれど、あの予知以降、わたしの体が裂けることはなかった。 予知を失った、だからもう『解析班』も不要になる。 わたしと彼の接点も、失せてしまう。 体が裂けるなんて異常な現象を発狂せずに受け止められたのは、その傷を嬉々として解析する彼がいたからだろう。 彼の無邪気さに、救われていた。 正直に言って、あんなに真っ当な社会人だなんて思ってなかった。 政府の人と会ったときも一緒に居てわたしの意向を通す手伝いをしてくれたし、お見舞いには欠かさず美味しいお菓子を持ってきてくれるし、実はお勤め先が有名なIT企業だっていうのも最近知った。 優しいと思ったら意地悪も言うし、だけど一緒に居ても全然嫌じゃない。 でも、出張でこっちに来てるって言ってたから、きっともう向こうに帰ってしまうんだろうな。 この入院生活で長時間一緒にいたせいか、彼がいなくなることを考えると寂しさを感じる――なんて感傷はほんの数時間後に、彼が転勤でこっちに住むことになると知らされたことで霧散してしまうのだった。
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