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その日は妻の一周忌だった。
車の荷台に柄杓、バケツ、花、 線香、ライターを積んで
私は妻の墓へと向かう。
私は墓に水を掛けて花を挿し、 最後に線香を供えた。
帰ろうと思い車へ乗り込んで アクセルを踏んだ瞬間
耳を突く音がした。
ピー、ピー、ピー……
この音は、シートベルトを していないときに鳴る音だ。
私はシートベルトに手を掛ける。
しかし
ピンと張ったそれは、しっかりと バックルに装着されている。
私は戸惑いながらも装着し直し
再び発進する。
ピー、ピー、ピー……
その音は止まらなかった。
モニターを確認すると
どうやら装着されていない座席は 後部座席の1番左であるようだ。
私は恐る恐る後方を確認する。
何も無い。
背筋をひんやりと冷たい汗が這う。
私には、気にせずに車を 走らせることしかできなかった。
気付くと、私の頬を涙が伝っていた。
私は妻の死をしばらく 受け入れられなかった。
けじめを付けようとしても
妻の笑顔が脳裏に焼き付いて
私を、深い悲しみの底へと 飲み込んでしまうのだ。
今でも
朝起きると隣で妻が寝ていない ことに対して驚いてしまう。
ピー、ピー、ピー……
悲観に浸っている私を 正気に戻したのは
あの無機質な音だった。
ふと私は思い立ち、 近くのコンビニへ立ち寄る。
私が買ってきたものは、 缶ビールとセブンスター。
それらを例の席の上に置く。
酒と煙草は、妻の好物だ。
もし後部座席に乗っているのが 妻だとしたら
きっと喜んで 成仏してくれるはずだ。
しかし
その音は止むことなく 家に着いてしまった。
私は仕方なく
ゴミ屋敷へと足を踏み入れる。
『私たちの家』は 『私の家』となった途端に 汚くなっていった。
鏡は白く曇り、机上には物が散乱し、 居間の四隅にはゴミ袋が積み 上がっている。
とりあえず
私は墓参りの道具一式を片付け 洗面所へ向かう。
顔を洗って鏡を見上げた時 違和感があった。
まじまじと自分を見つめて、 ようやく気付いた事実に 思わず後ずさる。
鏡が見違える程綺麗に 磨かれていたのだ。
しかし……
もう一つ、気付いたことがある。
それは、私の顔が酷くやつれ、 髪も髭もボサボサに 伸び切っていることだった。
妻がいなくなってからずっと、 食事をインスタントフードだけで 済ませていたからだろうか。
それとも
しばらく眠りにつくことができず、 できても悪夢にうなされるような 夜が続いたからだろうか。
……
おそらく、どちらも 影響していると思う。
私はまず ハサミとバリカンを手に取った。
居間に入ろうとした矢先、 私は驚いて足を止めた。
机上が整理整頓され、物を置ける 場所すらできていたからだ。
テーブルの美しさが目立ち過ぎて、 他がより汚れているように 見えてくる。
気付いた頃には日が沈んでいて
掃除も、残りは ゴミ出しだけとなった。
それからは、以前よりもずっと 仕事がはかどり
自立した毎日の中で 趣味もできた。
週に一度の
妻とのドライブデートだ。
ピー、ピー、ピー……
ピー、ピー、ピー……
繰り返されるその音はまるで
実体のない妻と私を繋いで くれているようだった。
そして妻の命日を迎えた。
車の荷台に柄杓、バケツ、花、 線香、ライターを積んで
私は妻の墓へと向かう。
私は墓に水を掛けて花を挿し、 最後に線香を供えた。
帰ろうと思い車へ乗り込んで アクセルを踏んだ瞬間
耳を突く音がしなかった。
私はそれでも車を発進させる。
自分は変わった。
妻はきっと、安心して 離れていったのだろう。
妻を心配させないよう
あの音がまた鳴らないよう
私は今日も、 頑張って生きています。