丘を降りると、街の喧騒が少しずつ戻ってきた。
制服の袖口を風に揺らしながら、杏果は学校へと歩く。
まぶしい朝の光の中で、先ほどまでの青い花畑が夢だったように遠ざかっていった。
昇降口に入ると、いつもの声が飛んできた。
田口 美柚
杏果!おはよー!
駆け寄ってきたのは、田口美柚。小柄で元気いっぱいの彼女は、いつも一番に杏果を見つけて声をかけてくれる。
その後ろからは、富山梨生奈が少し遅れて歩いてくる。
落ち着いた笑顔で、手をひらひらと振った。
綾海 杏果
おはよう、美柚、梨生奈
富山 梨生奈
今日も早いねー!また寄り道してきたんでしょ?
綾海 杏果
……うん、ちょっとね
笑顔で返すけれど、その「寄り道」がどこなのかを知る者はいない。
杏果は靴を履き替え、廊下に出ると、すぐ前から背の高い男子が現れた。
藤田 葵羽
おはよう、杏果
柔らかい声でそう言ったのは、藤田葵羽だった。
いつも爽やかな笑みを絶やさないクラスの人気者。
彼の隣には、内山朝晄が教科書を抱えて立っている。
落ち着いた眼差しで杏果を見て、静かに会釈した。
綾海 杏果
おはよう、葵羽くん、朝晄くん
藤田 葵羽
杏果ってさ、毎朝なんか考え事してない?ボーッとしてるっていうか
綾海 杏果
……そう?
田口 美柚
そうそう!この前も信号渡りかけて、危なかったじゃん!
美柚が横から茶化すように言って、葵羽が「気をつけなきゃな」と軽く笑う。
その何気ない会話の中で、杏果は少しだけ救われるような気がした。
──だけど。
視線の先に、廊下の奥に立っていた男子の姿に、胸が強く締め付けられる。
橋本泰桔。
祐紫と仲が良かった、もう一人のクラスメイト。
彼と目が合った瞬間、杏果は小さく息は呑んだ。
泰桔もまた、何か言いたげに視線を逸らす。
花畑で誓った「ごめんなさい」が、ふたたび胸の奥で疼いていた。







