それが聞こえるようになったのは、いつからだっただろうか。
おばあちゃん
おばあちゃん
おばあちゃん
遊びに行った時には、必ずおこづかいをくれていた優しいおばあちゃん。
おばあちゃん
おばあちゃん
…でも、いつの日にか私がお小遣いをせびる為におばあちゃんの家に来ている…
と、思われているのではないかという考えが消えなくなってしまい
それから、おばあちゃんの家に足を向ける機会は無くなった。
おかあさん
おかあさん
おかあさん
おかあさん
おかあさん
それからどんどん、人の言葉のもう一つの意味が聞こえるような気がして堪らなくなってしまった。
お店の人
お店の人
美容師さん
美容師さん
自己啓発系アカウント
自己啓発系アカウント
自己啓発系アカウント
SNSを流し読みしているとこんな書き込みを見つけた。
…そうか、わざわざ生きづらい方法を選択しなくてもいいのか。
でも私が素直に受け取った言葉に限って嫌味だったりして
みんな
みんな
みんな
…みんなの嘲る声が
みんなが笑うに決まってる、という 『声』が
私の耳元でがなり立てて仕方ない。
…『声』を消すには、もう自分で自分を消すしか無いの?
…ああ、でもそうしたら…
みんな
みんな
みんな
みんな
私の死なんて、きっと中心グループのごく軽いトチりより深刻度の浅いもので
弁当の時間の軽い話題で茶化されて
大人になったみんな
大人になったみんな
それ以降は、至る所で雑談ついでのネタとして茶化されるのだろう。
私の決死の決断が穢されるのはごめんだ。
今日も、逃げる術を失い続けて
この『声』と共に生きていくしか道を私は知らない。
コメント
8件
深いです。。。
劣等感があればあるほどよく聞こえちゃうんでしょうね… でも、主人公さんのように共に生きていくことさえ出来たなら障害にはなりませんが… なんとも言いがたいです… とても考えさせられます…
褒められた時ほど、自分を責める「声」が気になりますね。自分が本当にそんな立場の人間なのか?なんて。 「前向きに生きる」のは難しい事ですが「その『声』と生きる」決意をした主人公は、強い人だと思います。