紬
捨て犬みたいな目つきだって言われたこともあるけど、あたしは全然気にしなかった でもある日、その男の人、急にいなくなったの どこかへ引っ越しちゃったみたい そしたら、別の女の人に変わっちゃってたの その人もね、いつも不機嫌そうな顔してて、あたしのことなんか見向きもしなくて、 ただね、たまーに、ほんとにごくたまーに、笑いかけてくれることがあったんだ それが嬉しくてね だからかなぁ、すごく悲しかったなぁ……
うふふ、おかしいよね ねぇ、なんでそんな悲しいことばかり起こると思う? それはね、みんなが望んでいないからだよ みんなが望むことが起こればいいのにって願っているからだよ じゃあ、どうすれば望み通りの世界ができるの? 君ならできるかもしれない だって、君は特別だもの 特別な人間がいるとすれば、それは君のような人間のことだ 君は何をすべきだと思う? ぼくはね、何もしない方がいいんじゃないかなって思う 何かするたびに傷つくなんてバカらしいじゃない それに、傷ついたとしても、痛みを感じなければいいんだよ 痛くないフリをするんだ そうすれば、いつか本当に忘れてしまうだろう ほら、見てごらん 君の目の前にいるのは誰だい? これはぼくじゃない
うふふ、おかしいよね ねぇ、なんでそんな悲しいことばかり起こると思う? それはね、みんなが望んでいないからだよ みんなが望むことが起こればいいのにって願っているからだよ じゃあ、どうすれば望み通りの世界ができるの? 君ならできるかもしれない だって、君は特別だもの 特別な人間がいるとすれば、それは君のような人間のことだ 君は何をすべきだと思う? ぼくはね、何もしない方がいいんじゃないかなって思う 何かするたびに傷つくなんてバカらしいじゃない それに、傷ついたとしても、痛みを感じなければいいんだよ 痛くないフリをするんだ そうすれば、いつか本当に忘れてしまうだろう ほら、見てごらん 君の目の前にいるのは誰だい? これはぼくじゃない
紬
貴方と同じよ その時初めて思ったの 心なんて無い方がいいって だから、あたしは逃げたのよ そして、あの子と出会ったの ぼくはサイの話を聞き終えると、研究所に向かって歩き出した 何する気? サイの声を無視して進む ぼくはぼくの力を知っているつもりだ だから、ぼくはできると信じている それにね、君たちのおかげで、ひとつ思い出したことがあるんだ ぼくは人間じゃなかったかもしれないけれど、それでも、君たちは友達だよ 研究所の前まで来た時、突然後ろの方から爆発音が響いた 振り返ると、発電所のあった方角が火柱を上げていた サイは言った あの子はね、本当はとてもおとなしい子なのよ あの子はいつも泣いてばかりいて、自分が嫌いだって言っていたわ だから、自分の気持ちを伝えられないのよ だから、こんなことになったのよ ぼくは、研究所の中に入って行った 広い部屋に、ベッドのようなものがいくつか並んでいる その一つに彼女は横になっていた 彼女の顔を見る すると、彼女がゆっくりと起き上がった
「来てくれたんですね」
彼女に声をかけようとすると、サイの言葉を思い出した "あの子はね、本当はとてもおとなしい子なのよ" そうだよね、君は泣き虫さんなんだもんね
「ごめんなさい。私のせいで、大変なことに巻き込んでしまって」
そんなこと言わなくてよかったんだよ だって、全然嬉しくなかったもん だから、言っちゃったの こんなもの食べたくないよって そしたらね、その子が言ったの じゃあ、なんで食べるの?って わからなかったから、わからないって答えたら、 その子は泣きそうな顔でこう言ったわ 君にとって食べ物とはなんだい? 心を動かすためのものかい? 違うよね 美味しいと思うことはできるけれど、心を動かそうと思えば思うほど不味く感じるはずだ 君の心に栄養なんて必要ないんだ 君はただ感じればいい 僕はいつも君を感じている 僕たちは繋がっているんだから サイはその男の人の名前を聞いたの? うーん、それが、聞かなかったの だってね、その子、すぐに死んじゃったから サイはどうして泣いているの? ごめんなさい、あたしにも、よくわからないわ そういえば、あの子の名前は……
ぼくは研究所の前まで来ていた ここまで来る途中、いろんな人とすれ違った 皆、何かを探しているみたいだった 中には必死の形相の人もいて、とても怖かった サイが言うには、あの子が生きていると知ったとき、 あの子を捜し出すために多くの人が立ち上がったそうだ 彼らは、あの子を、取り戻すつもりなのだ ぼくは、この中のどこかにいるはずの彼女を探すことにした ぼくは、建物の中に入っていった 建物の中には誰もいないみたいだ 階段を上がっていく 二階に着いた ここも無人だ 三階に着く 四階は明かりがついているようだ ぼくは慎重に歩を進めた
「来てくれたんですね」
彼女に声をかけようとすると、サイの言葉を思い出した "あの子はね、本当はとてもおとなしい子なのよ" そうだよね、君は泣き虫さんなんだもんね
「ごめんなさい。私のせいで、大変なことに巻き込んでしまって」
そんなこと言わなくてよかったんだよ だって、全然嬉しくなかったもん だから、言っちゃったの こんなもの食べたくないよって そしたらね、その子が言ったの じゃあ、なんで食べるの?って わからなかったから、わからないって答えたら、 その子は泣きそうな顔でこう言ったわ 君にとって食べ物とはなんだい? 心を動かすためのものかい? 違うよね 美味しいと思うことはできるけれど、心を動かそうと思えば思うほど不味く感じるはずだ 君の心に栄養なんて必要ないんだ 君はただ感じればいい 僕はいつも君を感じている 僕たちは繋がっているんだから サイはその男の人の名前を聞いたの? うーん、それが、聞かなかったの だってね、その子、すぐに死んじゃったから サイはどうして泣いているの? ごめんなさい、あたしにも、よくわからないわ そういえば、あの子の名前は……
ぼくは研究所の前まで来ていた ここまで来る途中、いろんな人とすれ違った 皆、何かを探しているみたいだった 中には必死の形相の人もいて、とても怖かった サイが言うには、あの子が生きていると知ったとき、 あの子を捜し出すために多くの人が立ち上がったそうだ 彼らは、あの子を、取り戻すつもりなのだ ぼくは、この中のどこかにいるはずの彼女を探すことにした ぼくは、建物の中に入っていった 建物の中には誰もいないみたいだ 階段を上がっていく 二階に着いた ここも無人だ 三階に着く 四階は明かりがついているようだ ぼくは慎重に歩を進めた
紬
部屋
を出るとき、また明日会おうなって約束してくれたの だから、がんばったんだよ あの子が生きてることだけが、希望だったの でも、ある日、あの子がいなくなっちゃって……
サイはその少年の名前を覚えているか? えーとね、確か、クロウっていったと思う そいつなら知っているぞ どこにいる? 知らん それより、あいつらはどこにいる? さぁ、どこかしらね あんたが殺したんじゃなかったのかい?わからないわ あんたらが殺したんだろう? それは、多分そうだと思う なんで殺さなかったんだ? だって、かわいそうだもの それに……それに、もし、わたしたちが殺す前に殺されていたとしたら、 わたしたちのせいで殺されたことになるじゃない そんなの嫌だわ おい! 待ってくれよ どこへ行くつもりだい? お前さんたちのことは、忘れないぜ さよなら、クロウ さよなら、サイ ぼくたちは、二人きりになってしまったようだね サイ、君がいてくれてよかったと思ってる これからどうしよう? まず、発電所に行ってみるべきだと思うわ わかった じゃあ行こう また、誰かの声が聞こえるかもしれないし 発電所に戻ってみると、確かに声が聞こえてきた 誰か助けてください 誰ですか? ここに閉じ込められています あなたは、誰です? 僕は、クロウです サイ、彼が見えるかい? ええ、見えます 僕を助けてください どうすればいいんですか? お願いします 僕をここから出してください わかりました ちょっと待っていてください
を出るとき、また明日会おうなって約束してくれたの だから、がんばったんだよ あの子が生きてることだけが、希望だったの でも、ある日、あの子がいなくなっちゃって……
サイはその少年の名前を覚えているか? えーとね、確か、クロウっていったと思う そいつなら知っているぞ どこにいる? 知らん それより、あいつらはどこにいる? さぁ、どこかしらね あんたが殺したんじゃなかったのかい?わからないわ あんたらが殺したんだろう? それは、多分そうだと思う なんで殺さなかったんだ? だって、かわいそうだもの それに……それに、もし、わたしたちが殺す前に殺されていたとしたら、 わたしたちのせいで殺されたことになるじゃない そんなの嫌だわ おい! 待ってくれよ どこへ行くつもりだい? お前さんたちのことは、忘れないぜ さよなら、クロウ さよなら、サイ ぼくたちは、二人きりになってしまったようだね サイ、君がいてくれてよかったと思ってる これからどうしよう? まず、発電所に行ってみるべきだと思うわ わかった じゃあ行こう また、誰かの声が聞こえるかもしれないし 発電所に戻ってみると、確かに声が聞こえてきた 誰か助けてください 誰ですか? ここに閉じ込められています あなたは、誰です? 僕は、クロウです サイ、彼が見えるかい? ええ、見えます 僕を助けてください どうすればいいんですか? お願いします 僕をここから出してください わかりました ちょっと待っていてください
紬
部屋に戻って、ひとりになるとすごく悲しくなって泣いたりするのよね ある日、その子が急に来なくなって、それから一度も会わなかった しばらくして、あたしは、また実験室に戻された 今度は、すごい注射されて、頭がガンガン痛くなって、気が遠くなっていった 気がついたときには、ベッドの上で寝ていた 隣を見ると、あの子が座っていて、心配そうな顔をしていた 君の名前はなんていうの? 僕はイトウユウスケです そう、じゃぁユゥくんね あたしはサイよ よろしくね サイさんはいくつですか? うーん、忘れちゃった 何歳だと思う? 僕より少し年上かな そんな感じしないけどね サイさんはここで何をしているんですか? わからない ここに閉じ込められているみたい ここはどこなんだろう? 窓もないから外の様子もよく見えない 何か思い出せない? そうだ! 今日、変なものを見たんですよ どんなもの? えぇと、真っ白な光みたいなものです それが空いっぱいに浮かんでいたのです あれは何だったんでしょう? それはね、天使だよ へっ? 天使 見た人の前に現れるんだよ 天使が現れたら、お願い事をすると叶うんだって 願い事? たとえば? そうだな、空を飛びたいとか、なんでも思い通りになるとかさ ふーん ねぇ、あなたもお願いすればいいじゃない そしたら外に出られるかもしれないよ 僕は……無理です そう? じゃぁ、一緒にお祈りしよう うぅ~ん、どうかここから出られますように 出られませんように えっ、どっちかしかダメですよ どっちもダメよ ダメですか? ダメだよね。じゃぁ、天使が現れますように 現れますように あっ、ほら、出てきた 来たでしょ 白い光が近付いてくる ちょっと待ってください、まだ心の準備が 白い光の塊が僕たちを包み込んだ ねぇ、何か聞こえる? 何も聞こえないですけど そう、私にもわからないわ 何だろう? 声みたいね 誰の声なんでしょう? わからないけど、とても懐かしくて、温かい感じがする これかな? これがそうなのかな? よくわからないけど、なんだか涙が出てきちゃった はらはらと涙を流しながら少女は言った 私はここに来たかったんだ ここは私の場所なんだ やっと来れたんだ これでまた暮らせるんだ よかったね、おかえりなさい 少女は微笑むと消えていった そして、辺りは何もなかったかのように静まり返った サイさんはどこに行ったんですかね? そういえば見かけていないね 発電所のほうに行ってみたけど、やっぱりいない あとはダムしかないぞ あそこって入れるの?
紬
闇の中で目が覚めた 辺りを見回しても真っ暗闇 何も見えない ただひとつ光っているものがあった それは僕の胸の中にある心臓だ 僕は心臓に向かって話しかける 君の心の声を聞いているんだよ だから君にも僕の言葉を伝えてほしい お願いだよ 君の名前は何というの? 私はあなたの名前を知っているわ 私の名前を呼んでみて そうしたら私のことを思い出してくれるかもしれない 私の名前は……
彼女は誰だろう? 知っているような気がするけれど、どうしても思い出せない 彼女の名前を呼びたかった 何度も呼びかけようとした でも、言葉が出なかった そのうち喉の奥が熱くなって、涙が出てきた 泣いている場合じゃないと思った 早く彼女を見つけなくちゃいけないのに 泣くんじゃなくて笑わないといけなかった でも無理だった 涙は次々溢れてきた ごめんなさい 彼女が謝った なぜ彼女が謝るんだろう 謝るのは自分の方なのに 自分が彼女をこんなところに連れてきておきながら 自分は彼女に何もできなかったのだ やがて息苦しくなった 肺の中が空っぽになっていたからだ 苦しい 助けてくれ 誰でもいいから このままでは死んでしまう すると、目の前にほんの小さな光が見えた それがだんだん大きくなっていく もう少しだ あと少し頑張ればいい そうすれば助かるんだ しかし、いくら頑張ってもダメだった 光は遠ざかっていくばかり ついに限界が来た 意識が遠のきそうになる だが、まだ諦めたくはなかった 必死に手を伸ばしたが届かない とうとう指先が何かに触れた感触があった それと同時に呼吸が楽になり、身体が軽くなっていった誰かの手が自分の腕に触れている それはとても温かく感じられた
「おはよう」
耳元で声がした
「気分はどうかしら?」
ゆっくりと目を開くと、そこには女性が立っていた 歳はよくわからないが二十代後半くらいだろうか 髪は長く茶色で、目は青かった 白いワンピースを着ていた 顔立ちはとても整っていて美しかった ただ、表情からは何を考えているかよくわからなかった
「ここは……どこですか?」
かすれた声で尋ねた 頭がぼんやりしていて、思考がよくまとまらない ベッドの上に寝ていたようだ 身体を起こして周囲を見回したが、まったく見覚えがなかった 窓はなく、薄暗い照明がついているだけだ 狭い部屋の中だった 壁に時計があり、今は午前十時を指している
「あなたの名前は?」
質問されて答えようとしたが、なぜか口を動かせなかった 唇だけがわずかに震えるだけだった 女性はじっと見つめていたが、やがて小さくうなずいて言った
「名前は言えないみたいね。じゃあ、なんて呼べばいいかな?」
僕は戸惑ってしまった 自分の名前すら口に出せないとはどういうことなのか しばらく考えてから、思いついて言った
「あなたのことは何とお呼びしたらいいでしょうか?」
「私は……そうね、リリスと呼んでもらえるかしら」
彼女は一瞬考え込んでから答えた どこかぎこちなさを感じた まるで言い慣れていない台詞を口にしているかのように 僕はまだ混乱していた 記憶を整理しようと努めたが、なかなかうまくいかない
彼女は誰だろう? 知っているような気がするけれど、どうしても思い出せない 彼女の名前を呼びたかった 何度も呼びかけようとした でも、言葉が出なかった そのうち喉の奥が熱くなって、涙が出てきた 泣いている場合じゃないと思った 早く彼女を見つけなくちゃいけないのに 泣くんじゃなくて笑わないといけなかった でも無理だった 涙は次々溢れてきた ごめんなさい 彼女が謝った なぜ彼女が謝るんだろう 謝るのは自分の方なのに 自分が彼女をこんなところに連れてきておきながら 自分は彼女に何もできなかったのだ やがて息苦しくなった 肺の中が空っぽになっていたからだ 苦しい 助けてくれ 誰でもいいから このままでは死んでしまう すると、目の前にほんの小さな光が見えた それがだんだん大きくなっていく もう少しだ あと少し頑張ればいい そうすれば助かるんだ しかし、いくら頑張ってもダメだった 光は遠ざかっていくばかり ついに限界が来た 意識が遠のきそうになる だが、まだ諦めたくはなかった 必死に手を伸ばしたが届かない とうとう指先が何かに触れた感触があった それと同時に呼吸が楽になり、身体が軽くなっていった誰かの手が自分の腕に触れている それはとても温かく感じられた
「おはよう」
耳元で声がした
「気分はどうかしら?」
ゆっくりと目を開くと、そこには女性が立っていた 歳はよくわからないが二十代後半くらいだろうか 髪は長く茶色で、目は青かった 白いワンピースを着ていた 顔立ちはとても整っていて美しかった ただ、表情からは何を考えているかよくわからなかった
「ここは……どこですか?」
かすれた声で尋ねた 頭がぼんやりしていて、思考がよくまとまらない ベッドの上に寝ていたようだ 身体を起こして周囲を見回したが、まったく見覚えがなかった 窓はなく、薄暗い照明がついているだけだ 狭い部屋の中だった 壁に時計があり、今は午前十時を指している
「あなたの名前は?」
質問されて答えようとしたが、なぜか口を動かせなかった 唇だけがわずかに震えるだけだった 女性はじっと見つめていたが、やがて小さくうなずいて言った
「名前は言えないみたいね。じゃあ、なんて呼べばいいかな?」
僕は戸惑ってしまった 自分の名前すら口に出せないとはどういうことなのか しばらく考えてから、思いついて言った
「あなたのことは何とお呼びしたらいいでしょうか?」
「私は……そうね、リリスと呼んでもらえるかしら」
彼女は一瞬考え込んでから答えた どこかぎこちなさを感じた まるで言い慣れていない台詞を口にしているかのように 僕はまだ混乱していた 記憶を整理しようと努めたが、なかなかうまくいかない
紬
闇の中で、ぼくは立ちすくむ 目の前には、あの子が眠っている ガラスケースの中に閉じ込められている 君なのか? そう問いかけても、答えるはずはない だって彼女は眠っているのだ ぼくの声なんて聞こえるわけがない それでもぼくは語りかける 君は誰なんだい? 君はどこから来たんだい? 君は何をしようとしているんだい? 君は……
ぼくは彼女のそばに近づく 透明な壁がある これがぼくたちを隔てるものだ ぼくたちは隔てられてしまうものなんだ ぼくはガラス越しに手を合わせる 君は何者なんだい? 君はなぜこんなところにいるんだい? 君が何者か知りたかったんだ 君のことが好きだったんだ だから知りたかったんだ 君は何者で、どんな顔をしていて、どんなふうにして笑うんだろう そんなことを考えていたんだ それは叶ったよ こうして会えたんだ 君の顔を見ることができた 君の声を聞くこともできた それが嬉しかった 君は、ぼくのことをどう思っているんだろう ぼくは、ぼくは、ぼくは、ぼくは……
そのときだった ぼくの手がガラスに触れた瞬間だった 突然、ぼくの中から何かが飛び出してきたような気がした まるで風船みたいだった 空気みたいなものが飛び出て、ぼくはそれをつかまえようとするけれど間に合わない 空気はどんどん膨れ上がっていく すると今度は、真っ白な霧のようなものが現れた あっというまにあたり一面に立ち込めてしまった 何も見えない 音もない ただひとつ確かなことは、ぼくはどこか遠くへ飛ばされていくということだけだった ここはどこだろう ぼくは辺りを見回している ここは研究所の外だ あの女の子がいる部屋の外で、ぼくは立っている ぼくは透明の壁の向こう側にいたはずだ なのに今は、こちら側にいる じゃあ、あの子は? 壁の向こう側なのか 違うと思う だって彼女はいないもの 彼女はどこにいったのだろうか ぼくはまだここにいるのだから、彼女もここに留まっているはずなのだけれども ふと気づくと、目の前に人影がある 女の子だった
「こんにちは」
彼女が言った。とても可愛らしい声だった ぼくは彼女の目を見た 綺麗な青い瞳をしていた
「あなたの名前は?」
「名前なんてないよ」
ぼくは答える
「そうなの……私と同じね」
「同じ?」
どういう意味かよくわからない
「私は名前がないの」
ぼくは彼女のそばに近づく 透明な壁がある これがぼくたちを隔てるものだ ぼくたちは隔てられてしまうものなんだ ぼくはガラス越しに手を合わせる 君は何者なんだい? 君はなぜこんなところにいるんだい? 君が何者か知りたかったんだ 君のことが好きだったんだ だから知りたかったんだ 君は何者で、どんな顔をしていて、どんなふうにして笑うんだろう そんなことを考えていたんだ それは叶ったよ こうして会えたんだ 君の顔を見ることができた 君の声を聞くこともできた それが嬉しかった 君は、ぼくのことをどう思っているんだろう ぼくは、ぼくは、ぼくは、ぼくは……
そのときだった ぼくの手がガラスに触れた瞬間だった 突然、ぼくの中から何かが飛び出してきたような気がした まるで風船みたいだった 空気みたいなものが飛び出て、ぼくはそれをつかまえようとするけれど間に合わない 空気はどんどん膨れ上がっていく すると今度は、真っ白な霧のようなものが現れた あっというまにあたり一面に立ち込めてしまった 何も見えない 音もない ただひとつ確かなことは、ぼくはどこか遠くへ飛ばされていくということだけだった ここはどこだろう ぼくは辺りを見回している ここは研究所の外だ あの女の子がいる部屋の外で、ぼくは立っている ぼくは透明の壁の向こう側にいたはずだ なのに今は、こちら側にいる じゃあ、あの子は? 壁の向こう側なのか 違うと思う だって彼女はいないもの 彼女はどこにいったのだろうか ぼくはまだここにいるのだから、彼女もここに留まっているはずなのだけれども ふと気づくと、目の前に人影がある 女の子だった
「こんにちは」
彼女が言った。とても可愛らしい声だった ぼくは彼女の目を見た 綺麗な青い瞳をしていた
「あなたの名前は?」
「名前なんてないよ」
ぼくは答える
「そうなの……私と同じね」
「同じ?」
どういう意味かよくわからない
「私は名前がないの」
紬
泥団子をプレゼントしてくれたこともあったかなぁ ちょっと待って! じゃあ、その男の人の名前は? 名前なんて聞いたこともないよ だって、実験室の中に閉じ込められてたもん うーん、それは残念だな 会えないのかなぁ 多分無理だと思う ねえ、あの子に会ったら何をするつもりだったの? そうだな、まずは抱きしめてあげたいな それから、頭を撫でてあげたい あとは何にも考えてなかったな ごめんなさい、何もできないかもしれないけど 一緒にいてもいいかしら もちろん、いいとも そろそろ時間みたいだから、これでお別れね またいつか会いましょうね さようなら、サイ さよなら、セト 君とは短い間しかいっしょにいられなかったけど、とても楽しかったよ また会う日まで元気でね さようなら、クロウ さようなら、サイ さようなら、セト こうしてぼくたちは別れた ぼくたちの長い旅は終わったのだ これから何が始まるのかわからないけれど、今はただ疲れ果てていた ぼくたちを乗せた車はゆっくりと加速しながらトンネルに入り、 やがて出口の向こうへと消えていった あれから三ヶ月ほど経つだろうか ぼくは相変わらず研究所の地下深くにある檻の中で暮らしている たまに誰かがやって来て、食事を運んで来てくれるだけだ ここは暗くて寒くて退屈だが、少なくとも外よりはまだましだろう それにしても、ぼくはこの先どうなるのだろう? いつまでこんな生活を続けていかなければならないのだろう? このまま一生を終えることになるのだろうか? そんなことを考えている時、突然部屋の明かりがついた
「おはようございます」
目の前にいたのは、以前見たことのある女の子だった ぼくの記憶が確かならば、彼女はサイと呼ばれていたはずだ どうして彼女がここにやって来たのか、見当もつかん
「あなたを助けに来たのです。ここから出してあげますからね」
助けるだと? 笑わせるな! 誰がお前なんかの助けなど借りるものか
「あら、まだ自分の立場がわかっていないんですね。
では、教えて差し上げます。あなたの命はわたしの手の中にある
「おはようございます」
目の前にいたのは、以前見たことのある女の子だった ぼくの記憶が確かならば、彼女はサイと呼ばれていたはずだ どうして彼女がここにやって来たのか、見当もつかん
「あなたを助けに来たのです。ここから出してあげますからね」
助けるだと? 笑わせるな! 誰がお前なんかの助けなど借りるものか
「あら、まだ自分の立場がわかっていないんですね。
では、教えて差し上げます。あなたの命はわたしの手の中にある