みなさーん!こーんにーちはー!
私、椎奈は現在ペルーのクスコに来ておりまーす!
え!?ペルーってどこって?
まあまあそういう時もある
この、黄色く塗ったところがペルーです
それで私はクスコから移動して、マチュピチュという遺跡に向かっているのです
椎奈
凸凹とした道に、タイヤのゴムが適応しながら進んでいく
酔いそうな程揺れるバスの中で、私は心が踊る程マチュピチュが楽しみで仕方がなかった
私が12の頃から行きたかった場所!
文字を持たない南米文明の華の都のようなものだ
マチュピチュというものをとても簡単に説明すると
まず、ペルーという国が出来る前はペルーはスペインという国に支配されていたんだ
しかし、ペルーの人々はスペインの人が来るよりも前から生活をしていてね
その時の人々の生活をアンデス文明って呼ぶんだ
そしてアンデス文明は成長して、やがてインカ帝国というクスコを首都とする国を作ったの!
で、そのインカ帝国が作り出した空中庭園のような都市
それがマチュピチュなのさ
椎奈
話してる間にいつの間にかマチュピチュが見えてきていた
これから生マチュピチュが見れるんだ!
私は既に喜びで死んでしまいそうだった
椎奈
バスを降りて、私は眼前にインカ帝国最大の謎となっている遺跡を目にした
マチュピチュを題材にしている番組は全て録画して腐るほど観ていたが、やはり生マチュピチュに叶うものは無い
椎奈
椎奈
私は周囲の目も気にせず写真を撮り走り回る
椎奈
椎奈
椎奈
私は20世紀で最高の出来事という歌詞を思い出しながら走っていると、他の観光客の方にぶつかってしまった
椎奈
???
椎奈
椎奈
ぶつかったのは、インカ帝国の王みたいな格好をした若い青年だ
見た目的にペルー人だろう
???
椎奈
???
???
椎奈
???
???
???
観光ガイドさんってよりもこいつ学者かな?って少し思った
椎奈
???
16世紀、チンボラソの戦いで兄弟のワスカルを破り
インカ帝国にはトゥパク・アマルというサパ・インカ(皇帝)が即位した
彼はキトという都市を第二の首都にし、インカの繁栄を築いていた
しかしその頃、スペインをはじめとするヨーロッパ諸国は大航海時代を迎えており
コンスタンキドールのスペイン人、フランシスコ・ピサロは
1532年、ペルーに植民市を作り
ペルー侵略を開始していた
同年九月
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
トゥパクはそれだけ言うと、ピサロから背を向けて立ち去ってしまった
彼の背中が見えなくなったのをピサロは確認すると
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
インカ帝国の都市カマハルカにて、輿の上でトゥパクはそう声を上げた
イスパニア人の乗る動物の音が聞こえてくる
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
眼下には武装したインカの兵とピサロと名乗ったイスパニア人と彼の軍勢が見える
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
ピサロは何も言わず、一冊の本を腰につけている袋から取り出す
フランシスコ・ピサロ
ピサロはトゥパクに本を渡すと、トゥパクは中を見る
その本は何も“言わなかった”
ただインクがぼちぼちと塗られているだけだった
こんな物に意味はない
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
トゥパクはそう言うと、詰まらないという顔をして本を放り投げた
その行動は、ピサロを怒らせるのに充分だった
いや、その行動はこの時代の大半の西洋人を怒らせる
それほどの悪行だ
今ならば、「文化の違い」で片付けられるのかもしれないが
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
トゥパクはピサロをそう挑発した
それがイスパニアのインカ攻撃を正当化させるのには、充分すぎるほどのものだった
フランシスコ・ピサロ
騎兵は銃に火薬を入れる
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
当時のヨーロッパ1の大国と、鉄すら持たない隔絶された文明
その差は確実だった
トゥパク・アマル
輿から引きずり下ろされたトゥパクは、ピサロに剣を向けられていた
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
数ヶ月後
トゥパク・アマル
フランシスコ・ピサロ
捕らえられたトゥパクは形だけの宗教裁判にかけられ、罪を告げられんとしていた
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
火刑
ただの火あぶりではないかと思ったかもしれない
確かに火刑は煙による窒息や焼かれることのショックで死ぬことの方が多い
しかしキリスト教における火刑は
世界の終焉後の世界で永遠を生きる事が出来ないという
最も残酷な刑であった
フランシスコ・ピサロ
トゥパク・アマル
トゥパクは、声を震わせながらも、一国の統治者であるかのように強く頷いた
アタワルパ
アタワルパ
アタワルパ
椎奈
椎奈
アタワルパ
椎奈
アタワルパ
椎奈
アタワルパ
アタワルパ
アタワルパ
アタワルパ
アタワルパ
アタワルパ
アタワルパ
椎奈
そういえばアタワルパってどこかで聞いたような気がする
というかインカ帝国の皇帝の別名だった筈だ
アタワルパ
アタワルパ
椎奈
椎奈
たしかにさっきまでそこに居たはずの観光ガイドのような人はいなくなっていた
アタワルパ
第11代サパ・インカのトゥパク・アマルの別名だ
もしもあれが死んだインカ皇帝なら、火刑ですら人の魂を完全に殺せないことになる
まあ、生きてくれてた方が私は嬉しいけどね!
コメント
2件
アタワルパ……皇帝の別名……初めて知った! 歴史好きなので、とても楽しく読めました!面白かったです!