蘭side
桃瀬らん
拘束の緩くなった奈唯心くんの腕から 脱出し、重たい足で振り返った。
夕陽を背負った威榴真の表情は 陰になってよく見えない。
でも不思議と相手が静かに 怒っているのが伝わってくる。
びりびりと空気が震え、 そこに立っているのも辛いくらいだ。
紫龍いるま
威榴真は私が見えないかのように 奈唯心くんだけを睨んでいた。
対する奈唯心くんは 怯むことなく微笑みを 浮かべて「なに?」と答える。
否応なく緊張感が増すのを感じ 私はぎゅっとスカートの裾を掴んだ。
紫龍いるま
紫龍いるま
紫龍いるま
乾ないこ
本当に分からないのか それともあえてなのか。
すかさず奈唯心くんが問いかけた。
威榴真は珍しく舌打ちをして 勢いに任せて近づいてくる。
紫龍いるま
乾ないこ
紫龍いるま
即答した威榴真に奈唯心くんの 顔から笑みが消えた。
驚いたように目を丸くして それから睨むようにスッと細められる
急展開についていけない私は 黙って2人を見つめるしかない。
乾ないこ
紫龍いるま
ご近所さんにも公認なんだよ
乾ないこ
鼻で笑う奈唯心くんに威榴真は あからさまにムッとした顔になる。
私の目にもそれは 挑発のように映った。
桃瀬らん
2人の間に割って入らなきゃと 思うのに足がすくんで動けなかった。
せめて呼びかけようとしても 肝心の声が出ない。
なんとかしなければと焦るほど 喉が締まっていくようだった。
桃瀬らん
紫龍いるま
祈るように視線を送るとすぐに 威榴真が気付いてくれた。
目が合うとハッとしたような 顔になり見る見るうちに 眉間の皺が増えていく。
桃瀬らん
もしかして一方的に 奈唯心くんを庇っているように 受け取られてしまったのだろうか。
あたふたする私をよそに 威榴真がまた一歩、前に出る。
紫龍いるま
淡々とした声に威榴真が挑発に 乗らなかったのだと分かった。
張り詰めていた息を吐くと ぽたっと鎖骨の辺りに 冷たいものが落ちてきた。
桃瀬らん
ふっと空を仰ぐけれど 雲を見つける前に視界が滲んだ。
力の入らない腕を持ち上げ 目を擦ると指先に濡れた 感触が残った。
桃瀬らん
紫龍いるま
威榴真は私の返事を待たずに 問答無用で腕を取り、歩き出した。
ちょっと待って、と 抗議しようとしてぐすっと鼻が鳴る。
桃瀬らん
奈唯心くんに謝らなきゃ。
威榴真の誤解も解かないと。
そう思うのに後から後から 涙が溢れて声にならない。
乾ないこ
背中に投げかけられた 奈唯心くんの声は 制止を呼びかけるものではなかった。
おまけにどちらに向けられた ものか分からない。
一歩前を歩く幼馴染を 見上げると憮然とした 表情を浮かべている。
桃瀬らん
だが本人は無反応を決め込み 口を硬く結んだままだ。
奈唯心くんもそれ以上は 何も言わずに走り去っていく 足音が遠くに聞こえてきた。
桃瀬らん
嗚咽を堪え私は答えの 出ない問いを繰り返す。
その日の夕焼けも酷く目に染みた。