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昔
私は小学生まで
明るくて
元気で
友達がいっぱいで、
そんな子"だった"。
でも、
小5になって間もない頃
"お母さんが死んだ"。
お母さんの最期のコトバは
「いってくるね。」
だった。
そのコトバが
天国に逝くと言う意味だったのかも知れない。
お母さんが亡くなったと分かったのは
お母さんが死んでから1週間後のコトだった。
"その日"
お母さんは仕事の都合で
「5日間家を空けるね。いってきます。」
と言い、私はお父さんと一緒にお母さんを見送った。
お母さんが帰ってきて数日後は私の誕生日だった。
本当は7日間だったけど
仕事場の人達が2日間早めてくれたらしい。
それが、良かったのか悪かったのかは分からない。
もしも7日間家を空けてたら
お母さんは死ななかったのかもしれない。
私の誕生日は6.21
誕生日を楽しみにしていた。
でも
今日お母さんが帰ってくるはずだったのに
深夜になっても帰ってこなかった。
もしかしたら仕事が遅くなったのかもしれないと
思い、その日はお父さんと寝た。
そして、お母さんが帰って来ない日から
"1週間後"
ニュースで私のお母さんの名前と写真が写った。
一瞬理解出来なかった。
でも、隣でお父さんが絶望してるのを見て
一瞬で理解出来てしまった。
"その日"
"お母さんが死んだ日"でもあり、
"お父さんが変わり果てた日"でもあり、
"私の誕生日"でもあった。
その日からお父さんは
アル中になり
浮気し放題
毎日違う女、知らない女を部屋にあげては
騒いで
たまに静かになり
毎日女の喘ぎ声が聞こえた。
そして私を呼び
暴力を受け
酒を買わされ
毎日辛かった
毎日
毎日
毎日
毎日、同じことの繰り返し。
私は毎日我慢だった。
ボロボロの容姿は
学校に行けるような姿じゃなかった。
だから毎日毎日部屋に隠れていた。
そんな日が4年続くと
お父さんは遂に出ていった。
私はやっとあの辛さから解放されるんだ
毎日毎日暴力を受けることもない
毎日毎日お酒を買わされることもない
毎日毎日平凡で平和な毎日が送れる
そう思い
"笑った"
私は傷跡が少し回復してから
バイトをして
生活費をコツコツ貯めていた。
そして、中学校へ行くと
"また"
暴力を振るわれ、 悪口を言われた
でも、何故か痛くなかった
そんな毎日が平和のようだった。
そして、中学最後の春
私は中学を卒業。
私はニコニコで帰ってたつもりだった。
でも、笑えてなかった。
理由は大体わかる。
"暴力"だ。
5年間暴力を受けていたら慣れてしまい
それと同時に愛情を忘れてしまった。
高校へ入り、
また虐められるのだろうと思いながら行った。
だけど、高校は皆優しかった。
でも、そんなんで
愛情を取り戻せる訳もなく
皆に冷たく接している
今は少し優しく接することもできるが
冷たいヤツが急に
やっほー☆おはぽよ〜!!
え、てか聞いて?!
とかテンション高く接したら 皆ビックリするだろうと思いやめている
これが私の過去でありトラウマだ。
コメント
3件
お昼過ぎにもう1個投稿しようと思います!
日向~😭 続き待ってますね!