テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
443
4,966
6,801
夢鬱🪐
49
夏の終わりは、思っていたよりも静かにやってきた 朝、窓を開ける 少しだけ涼しくなった風が、カーテンを揺らした 蝉の声は、まだ聞こえる 空には、いつもと変わらない白い雲が浮かんでいる なのに、今日は何もかもが違って見えた 部屋の隅には、荷物を詰め終えた段ボール箱が並んでいる 机の上も、棚の中も、少しずつ空っぽになった ここで過ごした時間が、ひとつずつ箱の中にしまわれていくみたいだった 俺は机の引き出しを開けた 中に入っているのは、一枚の写真 丘の上で、もふくんと並んで笑っている写真だった 写真の裏には、もふくんの字でこう書かれている 『離れても、また一緒に遊ぼうね。約束!』 俺はその文字を指先でなぞった
jp
写真を大切にしまい、引き出しを閉める 今日、俺はこの町を離れる ずっと前から決まっていたことなのに、いざその日が来ると、まだ実感が湧かなかった いつも通りに目が覚めて いつも通りに朝ごはんを食べて いつも通りに窓の外を眺めている ただ、今日が終われば、ここで迎える朝は最後になる そう思ったとき、スマートフォンが震えた
mf
jp
すぐに返事を送る すると、少ししてまたメッセージが届いた
mf
mf
俺は画面を見つめた それから、ゆっくりと文字を打った
jp
最後の日に、行きたい場所はひとつしかなかった
丘へ続く坂道は、何度も歩いた道だった 夏祭りの日も 古いカメラを持って出かけた日も 町を出ることを打ち明けた日も いろんな気持ちを抱えて、俺たちはこの坂を上ってきた 今日も、蝉が鳴いている 道端の草は風に揺れ、遠くの田んぼでは、緑の稲がゆっくりと波打っていた 坂道の先に、もふくんの姿が見えた
jp
俺が声をかけると、もふくんは振り返って笑った
mf
mf
jp
jp
mf
mf
いつもと同じやり取り いつもと同じ笑顔 それだけなのに、胸の奥が少し痛くなった
mf
もふくんが歩き出す 俺もその隣に並んだ ふたりで坂道を上る 今日は、いつもよりゆっくりと まるで、この道の長さを確かめるみたいに
丘の上からは、町が一望できた 赤い屋根の家 小さなお店が並ぶ通り 川沿いの道 遠くに見える駅 俺たちが生まれてから、ずっと見てきた景色 何も変わっていないように見える でも、俺だけが、この景色から離れていく
mf
もふくんが言った
jp
jp
mf
jp
jp
mf
mf
もふくんは、丘の向こうに広がる空を見上げた
mf
jp
mf
mf
その言葉を聞いて、俺は隣を見た もふくんは、穏やかな顔で笑っていた
mf
mf
jp
jp
mf
もふくんは小指を差し出した 俺も小指を絡める 何度も交わしてきた、ふたりだけの約束 最初は、ただの子どもっぽい約束だったのかもしれない 来年も一緒に夏祭りへ行こう いつか遠くへ行こう 離れても、また遊ぼう けれど今は、そのひとつひとつが、これからの俺たちをつないでくれる気がした
mf
jp
mf
jp
思わず笑ってしまった もふくんも、つられて笑う
mf
jp
jp
mf
jp
いつも通りの会話 いつも通りの笑い声 俺は、この時間がずっと続けばいいと思った でも、時間は止まってくれない 空の色は少しずつ変わり、風はゆっくりと丘を吹き抜けていく やがて、もふくんが静かに口を開いた
mf
その言葉に、俺は頷いた
jp
jp
もう、隠さなくてよかった 寂しくないふりをする必要も、平気なふりをする必要もない だって、もふくんだって同じ気持ちなのだから
mf
もふくんは、俺のほうを向いた
mf
mf
jp
mf
優しい声だった 俺を安心させようとしてくれているのが、ちゃんと伝わってきた
jp
mf
もふくんは、少しだけ目を細めた
mf
その瞬間、胸の奥がいっぱいになった 言いたいことは、たくさんあった 一緒にいてくれてありがとう くだらない話で笑ってくれてありがとう 俺の知らない景色を、たくさん見せてくれてありがとう でも、どれも言葉にすると、うまく伝えられない気がした だから俺は、ひとつだけ伝えることにした
jp
もふくんは笑った 俺も笑った それだけで、十分だった
丘を下りるころには、太陽が少し傾いていた 待ち合わせ場所まで戻る道を、ふたりで歩く いつもなら、途中で寄り道をしたり、くだらない話をしたりする 今日も、そうしたかった でも、俺たちはお互いに、少しだけ口数が少なかった 何を話せばいいのかわからなかったわけじゃない 話したいことは、いくらでもあった ただ、話しているうちに、別れの時間が来てしまうのが怖かった それでも、時間は進んでいく 気がつけば、待ち合わせ場所に着いていた ここから先は、それぞれの帰り道 今日だけは、その分かれ道が、いつもよりずっと遠くに感じられた
mf
もふくんが俺を呼んだ
jp
mf
jp
jp
mf
mf
もふくんは少し安心したように笑った
mf
jp
それから、少しだけ沈黙が落ちた
いつもなら、ここで「じゃあ、また明日」と言って別れる けれど、今日は違う 明日は、もうこの町にいない そのことを、ふたりとも知っていた
mf
jp
mf
もふくんは、いつもの声でそう言った さようなら、ではなく またね、と 俺はその言葉を聞いて、ゆっくりと笑った
jp
jp
手を振る もふくんも手を振り返してくれた 俺は何度も振り返りそうになりながら、歩き出した 角を曲がる直前、もう一度だけ振り返る もふくんは、まだそこに立っていた 目が合うと、もう一度手を振ってくれた 俺も手を振り返した そして、今度こそ前を向いた ――またね その言葉を、心の中でもう一度繰り返した
新しい町に着いたのは、夕方を少し過ぎたころだった 見慣れない駅 知らない道 初めて見る建物 周りには、俺の知らない景色が広がっていた ここが、これから暮らす町 これから、少しずつ知っていく場所 俺は立ち止まり、空を見上げた 遠くに見える雲は、あの町で見たものと同じように、ゆっくりと流れていた 風の匂いは違う 聞こえてくる音も違う けれど、空はつながっている そう思うと、ほんの少しだけ安心した 鞄の中で、スマートフォンが震えた もふくんからのメッセージだった
mf
俺はすぐに返事を打つ
jp
jp
少し考えてから、もう一通送った
jp
jp
すぐに返事が来た
mf
mf
その文字を見て、俺は笑った 離れてしまった もう、隣にはいない それでも、もふくんはいつも通り、俺のことを気にかけてくれている そのことが、嬉しかった
俺はスマートフォンをしまい、新しい町の道を歩き始めた ここから、また新しい毎日が始まる 知らない景色を見て 知らない人と出会って 今までとは違う時間を過ごしていく きっと、寂しくなる日もあるだろう あの町に帰りたいと思う日も、きっとある そんなときは、あの丘を思い出そう 隣で笑っていた、もふくんを思い出そう そして、また会える日を楽しみにしよう いつか帰ったら、ふたりであの丘へ行こう 今度は、丘の向こう側の話をしよう どんな景色を見たのか どんなことがあったのか どんな毎日を過ごしたのか 話したいことは、きっとたくさん増えている だから、これは終わりじゃない
少しだけ離れた場所から、また始まる物語なんだ
夜 新しい部屋の窓を開けると、涼しい風が入ってきた 遠くから、知らない町の音が聞こえる 俺は鞄から一枚の写真を取り出した 丘の上で、もふくんと並んで笑っている写真 何でもない夏の日に撮った、何でもない一枚 でも、今の俺にとっては、何より大切なものだった 写真の裏には、あの言葉 『離れても、また一緒に遊ぼうね。約束!』
jp
写真を机の上に置く 窓の外には、夜空が広がっていた あの町にも、同じ空が広がっているのだろうか もふくんも、今ごろ同じ空を見ているのだろうか そう考えると、少しだけ寂しくて でも、それ以上に、また会える日が楽しみになった 夏は、もう終わった けれど、あの夏がなくなるわけじゃない 丘の上で交わした約束も 夕焼けの中で笑った時間も 「またね」と手を振った、あの瞬間も 全部、俺の中に残っている いつか大人になって、この夏を思い出したとき きっと俺は、あの丘から見た景色を思い出すだろう どこまでも続く空と、町の向こう側 そして、その隣にいてくれた、もふくんのことを あのとき、俺たちは遠くへ行きたいと願った 知らない景色を見てみたいと、未来に憧れた そして今、俺はその一歩を踏み出した あの丘の向こう側へ ――いつかまた、ふたりであの丘に立つ日まで
俺は、この夏を忘れない
『あの丘の向こう側』――完
?
コメント
1件
みぅ🤍🥀です、読ませていただきました…🌙 「またね」って言える関係、すごく温かい…💧 じゃっぴともふくんの距離の縮め方とか、離れても変わらない信頼感が、言葉のひとつひとつから伝わってきました。 特に「約束」って書かれた写真の裏とか、別れ際にもう一度手を振るところとか、そういう細かい描写が胸に刺さります。 新しい町でも空はつながってるっていう考え方、私も大好きです。 夏の終わりの切なさと、新しい始まりの希望がちゃんと両方あって、すごくバランスのいいお話でした。 作者さん、素敵な時間をありがとうございます🖤