俺は極道だ。この世界にゲソつけた瞬間から、畳の上で死ねないのは分かっていた。
ただ、今際の際(いまわのきわ)に、俺は何を思うのか、何度か考えた事はあった。
もし、その時が来たら、俺らしく、格好よく退場しょう。それに、立つ鳥跡を濁(にご)さずって言うしな。
そんな短絡的な事を考えていた。
でも、いざ死が迫ると
小峠華太
そんな事、ちっとも思えなかった。
俺の愛して止まない、華太が泣いている。華太の笑った顔が好きなのに、 華太を咽(むせ)び泣かせてしまった、自分の不甲斐(ふがい)なさ、腹がたった。
小峠華太
でも、どんなに腹を立てても、もう指一本も動かせねぇ。華太が泣いているのに。
華太を抱き締めてやれねぇ。
この先、俺じゃない誰かの傍で、華太は笑ったり、泣いたりするのか、俺じゃない誰かに抱かれ、愛の言葉を交わすのか
それは嫌だな。
人は矛盾した生き物だ。命をかけて、華太を守れた事を誇りに思うと同時に、華太を誰かにとられたくない醜い心が、俺を突き動かす。
南雲梗平
南雲梗平
なんて身勝手な願い。華太を道連れにしょうとする自分の狭量さが、嫌になる。
小峠華太
小峠華太
小峠華太
約束だもんな。
小峠華太
俺達は一蓮托生。
死ぬ時も一緒だ。
華太は銃口を口に咥(くわま)え、躊躇(ためら)いなく、引き金を引いた。
パンという小気味い音ともに、糸が切れた操り人形かのように、華太は俺の上に力なく倒れた。
あんなに寒かったのに、今は温かい。
それに、もうこれで安心だ。華太は一生俺のもの。
俺もすぐに逝くから
次、目を覚ます時は、蓮の上。
おわり
あとがき タイトルは、来世はつがい雛でも、比翼連理(ひよくれんり)でも良かったんだけど、やっぱり心中となると、この定番の言葉の方がしっくりくる。実際に、心中で使われていた事があるし、易々、使っていい言葉でないからこその、重みがある。 よく、側頭部に拳銃あてて撃ち抜く表現が多いけど、即死させる面に重きをおいたので、今回は銃口を咥えさせた。正しく書くなら、やや銃口は斜め上に向けないといけませんけどね。ドラマとかで、側頭部打たれて即死しているが、実際は即死はしません。脳に何らかの障害は残るが、生き残る可能性がある。 脳は、大脳、中脳、小脳、脳幹に分かれており、それぞれ別の役目をになっている。そして、生命の維持を司る脳幹を撃ち抜かない限り、即死はしない。 あと首筋にトンって、手刀を当てて気絶させるのは危険な行為。後頭部の奥に小脳、その奥に脳幹がある。小脳は体を動かす機能を司っている、下手すれば、一生手足の動かせない体になっちゃうので、とても危険。