昨日はとても素敵な殿方が店を訪ねてきてくれた。 無償でものを受け取れることに皆喜んでくれる。 実際店は繁盛していないにも関わらず稼ぎがあるが、
実際は更に金銭と縁深くなりたいと言ったところだ。 朝早くから仕込みを始め、丁寧に手作りを始める。 女将さんが開店準備をしてくれているので、安心だ。
ふと、あの御仁のことを思いつつ心をこめて作る。 朗らかな春の空の木漏れ日と澄んだ空気が窓から差し込み、 数十分程経って、開店支度を終わらせ、障子を開くと、
──お早う。開店早々に申し訳ないのだが⋯。 昨日の約束を果たしに参った。⋯⋯これを。
──お早うございます。わあ、こんな綺麗なお花⋯! 本当にいいのですか、いただいても⋯。
──構わぬ。お主の作る饅頭があまりにも 滋味だったゆえ。⋯⋯それに、お主によく似合う。
──あ、ありがとうございます⋯! わたし、こんな素敵なもの⋯いただいたことなくて⋯ 大切にします!本当に⋯ありがとうございます!
──奇遇だな、吾輩もこれほど喜んでもらえたことはない。 今日も饅頭をいただきたいのだが、よいか。
──ふふっ⋯もちろんです。そちらの座布団にお座りに なってください。少しお時間いただきますね。
嬉しそうに笑う表情も、聞いているだけで心地よい声も、 華奢で抱きしめたくなるような身体も⋯そして、 年下とは思えぬ心遣いも他の何より愛しく思えた。
それでいて手先は器用だ。これほど饅頭も美味なのだから 料理も絶品に違いない。これが花嫁修業なら完璧だろう。 これほど美人で器量良しならきっと嫁ぐのではないだろうか。
──お待たせ致しました。こちらがお饅頭になります。 お抹茶もおつけしましたので、どうぞ!
軽く会釈をして口に含むと、皮がしっとりしている。粒餡の 食感や皮の厚さまで理想だった。上品且つ控えめな甘さは 苦味のある抹茶によく合い、息抜きするには最高だった。
──実に風味豊かで味わい深い。 お雪殿よ、お主の調理の腕前こそ天晴れだな。
──お褒めに預かり、光栄です。 いつでもお客様のためにお作り致しますからね!
少し照れ、時折視線を外したり合わせたりする仕草が いかにも乙女らしくて可愛らしい。雪の愛嬌たっぷりの 笑顔にはまさに商売上手だなと思い知らされる。
──よお、雪お嬢ちゃん。聞いてくれよ〜〜! あと、俺にいつものヤツ持ってきてくれ。
──大ガマ様!今日もいらしてくださるのですね では⋯そちらの座布団でお待ちになってください!
男と、雪の二人しかいなかった店内に、茶髪の美少年が 立ち入った。その少年は、雪を見るなり一目散に駆け寄り 雪に注文を伝える。すると、座っていた男と目が合った。
──あ!土蜘蛛じゃねーか!ったく⋯ 今日俺たちで平釜平原行こうっつってたのによ、 急に断った挙句、菓子食ってるなんてな⋯!
──すまない、大ガマよ。早く行かねばその花が萎れて しまうと思ってな⋯朝一で出ていき、彼女に渡しに 行っていたのだ。彼女には恩があるゆえ。
──チッ⋯まぁいいぜ。俺は優しいから許してやる。 でも次は絶対急に断ったりすんなよ。 今度はココ来るとき、俺も誘え!いいな?
やれやれ、といった具合の〝土蜘蛛〟と呼ばれた男と、 〝大ガマ〟と呼ばれた男は、正反対の方向に座っていた。 その後、店の奥から雪が姿を現して、大ガマに品を届けた。
──お待たせ致しました。抹茶もおつけしましたので ご一緒に。それで、今日のお話は何でしょうか!
──ありがとな。実は、街で盗人が出たからよ、俺が とっ捕まえたんだぜ!確か西の方だったな。 最近イヤな事件多いから、お前も気をつけろよ?
──わあ、勇敢で素敵⋯!私のお店の用心棒も してほしいです!そうですね、最近聞きたくないことも 多いですね⋯お気遣いありがとうございます。
──なんせこの大ガマ様だからな!だろだろ? 勇敢な漢ってワケだ。もっと俺のこと褒めてくれ! 実は今日はこれだけじゃなくてよ!実は───
土蜘蛛は歯噛みする思いで二人を見つめていた。 〝誰にでもあの笑顔なのか⋯それが彼女のよいところ なのだろうが⋯つまらぬ〟と、我慢できず席を立った。
──お雪殿、まだ桜が残っているだろう! 共に見にゆくぞ。お主の息抜きにもなるはずだ!
──しかし⋯まだ接客が⋯!大ガマ様もまだ いらっしゃいますし、何より新しいお客様が来たら⋯!
──悪いな、大ガマよ!お主の話し相手はこの 土蜘蛛が攫わせてもらう!お雪殿、たまには羽目を外そう ではないか。店番は女将さんに頼めば問題ないだろう。
──いいのですか?私なんかがお相手しても⋯。 大ガマ様や酒呑童子様の方がよいのでは⋯!
──その者たちと花見をするなどむさ苦しい⋯ 吾輩はお雪殿がよいのだ!どうだ、吾輩では不満か⋯?
──へ、!?あ⋯えと⋯喜んで⋯! 土蜘蛛さま、ぜひご一緒させていただけませんか⋯!
土蜘蛛は雪の手首を引いて、風通しのよく日当たりもよい 東屋へと彼女を導いた。小走りで来たので、雪の束ねた髪が 少し乱れてしまっている。それを受けて土蜘蛛は、
──すまない。このようなものでよければ⋯ 受け取ってくれ。花だけでは味気ないかと思ったゆえ⋯
土蜘蛛がそう言って彼女の髪に簪を差す。 特別に誂えた、瑠璃唐草を象った簪は彼女によく似合う。 これは昨日の夜、花屋の後に雑貨屋で買ったものだ。
──いいのですか、このような代物⋯! 土蜘蛛さま!本当にありがとうございます⋯!
その晴れやかな笑顔を、髪に飾られた簪が引き立てている ような気がした。雪は、流石に真隣に座るのは緊張するので、 土蜘蛛の隣に若干隙間を空けてゆっくりと腰を下ろした。
──無理やり連れてきてしまったこと、非礼を詫びる。 しかし⋯今お主を引き止めなければ、お雪殿が 大ガマのものになってしまうような気がしたのだ。
──わたし、色恋にはとんと疎くて。 今のお仕事にやりがい、生きがいを感じていたので 恋愛とか⋯考えたこともなかったんです。
──嬉しいことに、そんな私でも旦那になりたいと言ってくださる方もいます。大ガマ様も、冗談だと思うんですけど、 「いつか雪を娶るからな」と言ってくださりました。
──わたしはまだ恋愛とかよく分からなくて。 でも、土蜘蛛さまがお花をくださったとき、本当に 嬉しかったんです。少し⋯時間をいただけませんか。
──必ずやお雪殿を、女房と呼べる時が来るまで吾輩は お主を諦めぬ。他の者には申し訳ないが、お雪殿だけは 他の誰にも譲る気はない。お雪殿、覚悟してくれ。
──土蜘蛛さま⋯はい、お待ちしております。 わたし、ひと時の戯れで終わらない方がいいんです。 いつか、貴方様の思いに応えられるように頑張りますね。
土蜘蛛は、その自分の発した言葉を、しっかりと胸に刻んだ。 独占欲で張り裂けそうな胸の内を隠し通さねばならない。 そう思いつつ、二人で目の前を横切る桜の葩を見つめていた。