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某月某日、都内の高級ホテルにて。
その日は有名出版社や人気漫画・ライトノベル等の著者たちが一堂に会するパーティーが開催されており、大いに賑わう中に伊佐家の面々と正之の姿もあった。
遊作
やや不機嫌そうな面持ちで遊作が呟く。
遊作は新進気鋭の漫画家の一人として招待されたものの、初めのうちは行かないと言い張っていた。
正之が「たまには公の場に顔を出して人脈を広げておくことも必要」と懸命に説得し、なんとかかんとか宥めすかして会場まで連れてきたのだった。
遊作が人付き合いを苦手としているのは正之も承知の上だが、創作を生業とする者同士の交流は遊作にとって良い刺激になるはず、コミュニケーション面は担当編集者の自分がサポートすればいい、そう考えていた。
正之
料理が美味しいと聞いて、首に蝶ネクタイを付けた小鉄が遊作の足元で目を輝かせた。
遊作が「みんな一緒なら行く」と条件を出してきたため、正之が開催者側に頼み込んで許可を取り、ジュディと小鉄も同行している。
遊作
ジュディ
小鉄
遊作の愛犬という名目で連れてきているカワウソの小鉄はともかく、遊作とジュディはさすがに普段の服装で来させるわけにはいかず、正之が選んできた服を着用している。
スーツほど堅苦しくはないカジュアルフォーマルでも、いつもスウェットやゆったりしたローブで過ごしている二人にとってはすこぶる着心地が悪いらしい。
遊作には落ち着いたネイビーカラー、ジュディにはマットなブラックを基調にコーディネートしてあり、当人たちは不満げではあるものの、元々の素材がいい二人にはよく似合っていた。
遊作はスラリとした体型で足も長く、整った顔立ちも相俟って周りの目を引く。
一方のジュディも、小柄で痩せぎすではあるものの、顔の良さは遊作に勝るとも劣らない。傍目には性別がわかりづらいところも、かえってミステリアスな魅力を生み出していた。
二人とも恵まれた容姿をしていながら、ファッションにはてんで無頓着なのがもったいなさすぎる。
何を着てみても何故か地味な印象が拭えない正之はそう思ってしまうのだった。
小鉄
遊作
一口大に切り分けられたロブスターのグリルを嬉しそうに頬張る小鉄の姿を見て、それまで不満げにしていた遊作の顔が綻んだ。
小鉄
小鉄は一番の好物を探して辺りをキョロキョロ見回し始めた。
正之
正之
シャンパングラスを傾けるジュディの姿に気付き、咄嗟に声をかける。
ジュディ
正之
念のため、近くにいたボーイを呼び止めて聞いてみる。本当にノンアルコールだと確認が取れて、正之はホッと胸を撫で下ろした。会場内で剣を振り回して暴れられる心配はなさそうだ。
小鉄
すっかりハイテンションになった小鉄が、遊作のズボンをくいくい引っ張る。ケーキと聞いて、甘党のジュディも反応していた。
遊作
今のところ、遊作は他の漫画家やライトノベル作家の存在には興味を示さず、交流する気が全くなさそうだ。
とはいえ、まだパーティーは始まったばかりなのだから、せっつく必要もないだろうと見守るつもりでいたのだが……
男
突然声をかけてきたのは、派手めのジャケットにストールを巻いてアクセサリーをジャラジャラ付けた、あまり柄の良くなさそうな男だった。
顔を合わせるのは初めてでも、職業柄、正之はその男が誰なのかよく知っている。
中高生を中心に絶大な人気を誇るライトノベル作家で、その代表作はTVアニメ化に留まらず劇場版の制作も既に決定しており、パーティー会場でも特に注目を浴びているクリエイターの一人だ。
彼が遊作と面識があるとは、正之も与り知らぬところだった。
友好的な関係であるのなら何も問題はないが、その男の顔を見た途端に遊作の表情が曇ったことがどうにも気にかかる。
正之
遊作
遊作は顔を強張らせて目を伏せ、正之の問いには答えない。
男
遊作
伏し目がちなまま、遊作はなんとか絞り出したような小さな声で答える。
男
男の物言いや人を見下したような態度に何ともいえない不快感を覚え、正之は眉を顰めた。
遊作を見ると、明らかに青ざめた顔をして目線が泳いでいる。
遊作
正之
遊作はもうこの場にいるのが耐えられないといった様子で、逃げるように姿を消してしまった。
男
正之
子供っぽくてワガママで人の好き嫌いが激しい、そんな一面はあるものの、遊作にはいつも元気に笑っている陽気なイメージしかなかった。
男
初対面の正之に対しても、男は不遜な態度を取り続ける。
正之
正之が丁寧に差し出した名刺を、男はチラ見しただけで受け取ろうとはしなかった。
男
正之
男に対して苛立ちが沸き上がってくるのを抑え、極力穏やかな声で窘める。
男
初対面の正之に注意を受けたのが癇に障ったのか、男の口がへの字に歪む。
男
男
男
男の語る学生時代の遊作の姿は、今の遊作からは想像も付かないものだった。
それは遊作にとって思い出したくない、触れられたくないことだったのだろう。
この男から逃げ出さずにはいられないほどに――
男
男
男への苛立ちが明確な怒りへと変わり、胸中に渦を巻く。
正之
冷静になれ、冷静になれ、と自分に言い聞かせ、声を荒らげそうになるのを抑える。
男
正之の手に胸ぐらを掴まれ、ようやく男は言葉を飲み込んだ。正之の腕力が予想外に強いことにも驚いているようだった。
正之
男の目を見据え、震える拳をグッと握り締める。
男
怒りを露わにした正之に一旦は怯んで引きかけたものの、男はすぐに傲然とした態度を取り戻し、逆に詰め寄ってくる。
男
男
正之
男の言うとおり、多くの出版社や有名作家が集う場で大きなトラブルを起こせば、あっという間に業界中へと噂が広まってしまうだろう。
自分の軽率な行動が原因で、今後の遊作の仕事にも悪影響が出るかもしれない。それだけは避けたかった。
ギリっと奥歯を噛み締め、胸ぐらを掴んでいた手を離す。
男は勝ち誇ったような顔でニヤリと笑い、正之の肩を乱暴に突き飛ばして立ち去ろうとした。
そのとき――
男
大声を上げて男は床に尻餅をついた。そのふくらはぎ辺りに、小鉄がかじり付いている。
正之
正之の声も聞こえていない様子で、小鉄は何度も男に引きはがされては噛みついて離れない。
小鉄
カワウソらしくはないが、獣そのものな威嚇と呻り声を発しながら、男の足に噛みつき続ける。
穏和な小鉄がここまで凶暴性を露わにする姿を見たのは初めてで、正之はただ呆気に取られて立ち尽くすことしかできなかった。
男
男は手近なテーブルからステーキナイフを取り、小鉄に向かって振り下ろそうとした。
正之
正之が止めに入るよりも早く、何本ものケーキフォークが男の体を掠めてカーペットに突き刺さり、そのうち一本がステーキナイフを弾き飛ばした。
ケーキフォークが飛んできた方向に目をやると、何事もなかったかのように悠々とミルクレープを食べているジュディの姿があった。
ジュディ
男
激昂した男が新たな武器を求めてテーブルに手を伸ばす。その手の甲にケーキフォークがグサリと突き刺さった。
男
ジュディ
ジュディはケーキ皿をテーブルに置き、ゆらりと男の前に立ちはだかる。
ジュディ
低く抑えた声で呟くジュディ。
一般的な女性と比べても小柄なはずの身体が、凄まじい威圧感により何倍も大きく見えた。
ただそこにいるだけで畏怖の念を抱かせるその姿に、彼が「悪魔」という人知を超えた存在であることを改めて認識させられる。
男
ジュディの迫力に圧倒された男は、凡庸な捨て台詞を残して逃げ去っていった。
ジュディ
ジュディ
ジュディは一旦テーブルに置いたケーキ皿を取り、食べかけのミルクレープをまた口に運び始める。
正之
ジュディ
ジュディ
仕事のアシスタントをしてもらう代償としてジュディに死後の魂を引き渡す契約をしたと、以前、遊作から聞いたことがあった。
何でも願いを叶え、引き替えに魂を奪うという悪魔の話はよく聞く。とはいえ、悪魔にも選ぶ権利はあるようだ。当然といえば当然かもしれないが。
ジュディの足元では、小鉄が未だ鼻息を荒くして憤慨している。
小鉄
正之
小鉄の背中をポンポンと叩き、宥める。
正之
正之
あれだけ騒いだにも関わらず、周囲の誰しもが我関せずといった様相でパーティーを楽しんでいた。
ジュディ
ジュディ
ミルクレープを食べ終わったジュディは、フルーツの乗ったミニタルトを一口かじり、不敵な笑みを浮かべる。
正之
ジュディ
ジュディ
正之
もし知っていたら、歯止めが効かずに何発でも殴っていたかもしれない。
結果的には知らなくて良かったのだ。正之は自分にそう言い聞かせ、未だ怒りの残滓が渦巻く胸の内をおさめた。
正之
会場内をくまなく探しまわり、いくつかあるトイレも全て覗いてみると、個室の一つから微かに声が聞こえることに気が付いた。
それは間違いなく遊作の声で、ブツブツと何かを呟いている。
内容までは聞き取れないが、決してポジティブな言葉ではないのは容易に想像がつく。
正之
声をかけても返事はない。
しばらくそのまま待っていると、呟き声に嗚咽が混じり始めた。
正之
もう一度、大きめの声で呼んでみる。
扉の向こうで、遊作が息を呑む音が聞こえた。
遊作
正之
遊作
数秒の後、ガチャリと鍵が開き、ゆっくりドアが開いた。
正之
遊作
日頃の底抜けに明るい笑顔とは違い、無理をしているのが見え見えの不自然な笑顔。
あえてそこに追求はしなかった。
トイレから出ると、廊下の壁に寄りかかって立つジュディがいた。その足元には小鉄もいる。
ジュディ
ジュディ
遊作
遊作は困惑した様子で、ジュディと正之の顔を交互に見る。
正之
遊作
正之
正之
遊作を無理やりパーティーに連れ出したことを、今更ながら後悔していた。
他者との交流は大事ではあるが、今回は遊作にとって最悪のタイミングだった。
機会はまだまだいくらでもあるのだから、焦る必要もないのだろう。
小鉄
小鉄が大きな紙袋を引きずって、遊作の前までやってきた。
小鉄
小鉄の満面の笑みにつられるように、遊作の表情が和らぎ、いつもの明るい笑顔が戻ってきた。
遊作