ここは不思議なアンティークショップ。 街の端の、一晩中ほんのりと灯りがともる、三角屋根のその店は、主に剥製や標本などの雑貨を取り扱っている。大きな木の扉の向こうでは、どこか人間離れした、まるで蝶のように美しい青年が出迎えてくれるのだ。 ここは、人体標本、剥製専門の店。 お客様自身が自ら標本になることを選んだものだけを取り扱っている。 その理由は様々で、もちろんそれらのコレクターも訪れるという。 そんなアンティークショップに訪れた、 世界に許されることのなかった青年達のお話。 『僕ら2人、ずっと一緒に歌っていよう』 ♢♤♢ ずうっと憧れで、大好きで仕方なかった彼と、 気づけば同じ道に立って、手を繋いで、時には少しだけ離して、だけどとにかくどこか何かで繋がり続けて走っていた。 僕の作った曲を聴いて、『いいね』と言う低い気の抜けた声とか、笑う時にほんの少し体を引くくせが好き。彼の声で再生しながら作った曲も数え切れないほどにある。 それらを全部、彼は眠たげなその目をきらきらさせて歌ってくれた。ライブの時も、ギターを持って、マイクを持って隣に立てていることが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。 そしてだんだんと、その好きがなんだか違うものに変わっていっている気がした。なんだかこう、そらるさん!好き!かっこいい!なんてそんな安っぽいものじゃなくて、胸の真ん中に、すとんと落ちる、小さい苦しみを伴った死ぬほど暖かい何か、みたいな、とにかくわかりづらい感情が僕の中にぐるぐる溜まり始めたのだ。 それに気づいたのは確か、徹夜で作業を済ませて朝に眠りについて、夕方、寝ぼけまなこでキッチンにおいてあったカップやきそばを食べようとした時。 シンクにお湯ごと麺を盛大にぶちまけて、絶望してた時だったかな。 そんな間抜けな気づきだったこともあって、最初は知らないふりをした。考えはじめてから、『やっと気づいたの?』とでも言いたげにぽんぽん生まれるそんな感情を、慌てて箱の中にしまい込んで、急ごしらえの鍵をかけて見えない所に置いたはずだったのに。 それはもう手がつかないほどに、気が付かないふりなんて、知らないふりなんてできないほどに大きく重くなっていって。 そんなものに圧迫されてしまった僕は苦しくて苦しくて、遂に体調を盛大に崩して寝込んでしまった。 ついこの間まで暖かかったのが急に寒くなるような、そんな季節の変わり目だったことも一因であったことは確かだけど、大半は、考えすぎたりすると未だに知恵熱のようなものを出してしまう僕の身体の脆弱さのせいだ。 もうやだありえないとか、そんな頭の弱い思考のままにベッドで小さくなって過ごしていると、玄関の開く音がした。 鍵は閉めてある。合鍵を渡しているのはひとりだけ。きっと僕のツイートでも見たのだろう。1日1ツイート以上。そう決めたのはいいけれどネタが無さすぎて、体調を崩したと正直に言ったところだ。 がさがさとコンビニの袋を揺らして見舞いに来てくれたそらるさんは、高熱でうんうん魘されていた僕にほんの少しだけ驚く素振りを見せて、それでもすぐに手馴れた様子で看病してくれた。 ゼリーを食べさせられて、薬も飲まされて、何故かよしよしさすさす頭を混ぜ撫でられた。 小学生の頃、同じように熱にうなされたぼくを、兄が心配して傍で頭をずっと撫でていてくれたこと、それがとてもきもちよくて嬉しかったことを思い出した。それのような、ほとんど家族愛みたいな包容力を、たしかに彼から感じていた。 懐かしい感覚と安心感にふありと欠伸をして、そらるさんがおやすみと言ったのを最後まで聞いたか、聞かないかのところで眠りにおちた。 目が覚めたらそらるさんはいないものだとおもっていた。だけどぼんやりと浮上する意識の中、まだ頭にはふわふわと撫でられる感覚があった。もう随分と眠っていたように思っていたけど、本当はそんなに経っていないのかもしれない。目を開けるにはまだ意識がはっきりしなくて、頭にある温もりにしばらく目を閉じたまま甘えていた。そのとき。 『すきだよ。』 ぽそりと呟くような、噛み締めるような、聞いたことのない大事な響きで聞こえた。僕の大好きな彼の深い声で。 誰に向けて言ったのか、目を開けていないから分からなくて、早合点しそうになる頭を必死に落ち着けた。もしかしたら誰かと連絡を取っていたのかもしれないなんて自己完結で、そのまま、曖昧なまま、何事も無かったことにしたかったのに。 『まふまふ。』 その柔らかい響きは、僕を起こすために紡がれたそれじゃない。ああ、僕に言っているのかと自覚せざるをえなかった。 せめてそのまま聞いていないふりが出来たらよかったのに、熱に蒸された頭では、気持ちが随分と素直に出てくるようで。それらは涙となって、ばっちり目を開けてしまった僕は、そらるさんの顔を見た途端に、えぐえぐ子供のように泣き始めてしまったのだ。 いつになく慌てた様子のそらるさんが、何を思ったのか『ごめんな』と謝りながら背中をさするので、ちがう、ちがうとうわ言のように呟きながら、ずりずりと這うようにベッドを移動して、そらるさんの胸元にすり寄った。 ぼくもすきなの、すきになってごめんなさいってやっとのことで言って、想い合っていたことが嬉しいのと、これから縛り続けてしまうであろう事実が悲しいのとで、ぐちゃぐちゃになって泣いているぼくのことを、そらるさんは 『大丈夫、謝ることなんかなんにもないよ。俺も大好きだから、ね。』 なんていつもの5倍くらい甘ったるいやさしい声と言葉で、どこか嬉しそうな色を含ませながら背中を撫でてあやしてくれた。 あのあとぐずる僕をひとしきり世話して、1人が寂しいと熱を口実に我儘を言うと、彼は僕のゲームのモニターやらコントローラーやらの一切合切を寝室に持ってきてさっさと接続して、僕のすぐ側で一日中ゲームをしていた。 今思えば監視をされていたようでもあった。 体調が悪いままに、少し治ったからとすぐ作業をしようとする僕を、なるべくベッドから出すまいとしていたのかもしれない。 ぼうっとゲーム画面を見続ける僕に気づいていたかいなかったか、それでも彼が鮮やかなインクが飛び散るあのゲームを開くことはなかった。 2、3日ベッドでごろごろして、すっかり回復してからは、自分でも驚く程にとんとん拍子だった。付き合う付き合わないの会話も何もなく、当たり前に僕らの関係は繋いでいた手をもっと固く繋ぎなおしたような、強く深いものになった。周りのみんなは言うまでもなく気がついたようで、『やっとかよ~』なんて声が色々なところからあがっていた。 異質なはずの関係が、こんなにすんなりと受け入れられてしまったのに拍子抜けして、泣きそうだったことを強く覚えている。 半年も経たないうちに同じ部屋で生活を始めた。それ以前からずっと頻繁に会っていたのもあって、特に変わったことも困ったこともなかったのだけれど。強いて言うならそらるさんのスキンシップに遠慮という文字がきれいさっぱり取り払われたくらいだ。ソファに座ればぴたりと身を寄せてくるし、朝起きたらそらるさんの腕の中だった、なんてことも珍しくない。 初めのうちはこんな人なのかとびっくりしたし、心臓がうるさくて仕方なかったけど、それもすぐに慣れてしまって、友人たちにもよく騒がれた。控えた方がいいのかと思ったのにそらるさんがあまりにも平然とそのままでいるから、僕も特に何も変えずに過ごすことにした。ほとんど諦めみたいなものだ。 でも天月くんに『君らゼロ距離すぎるよ!!』ってしばらく喚かれた。天月くん達だって、あんまり人の事言えないと思うんだけど。 そうして一緒に暮らすようになって、大体2年くらい経った。 ついこの間まで、暑い暑いとどこもかしこも嘆いていたのに、もう温かい上着や飲み物が手放せなくなる時期か、と鍋で温めた牛乳をマグカップに注ぎながら考えた。 まだ夕飯時でもないというのに窓の外は暗い。 納期の近い作業をやっと終わらせたのか、ふらふらと部屋から出てきてソファに沈んだまふまふを見て、棚からいつもまふまふが使うカップをもう一つ出した。ココアの入ったそれを持ってリビングに戻り、苦めに作った方をまふまふの前のテーブルに置く。ようやくおれに気がついたのか、こちらを見てほっと息をついたあと、「ありがとうございます。」と小さな声が聞こえた。 隣に座ると、くたりと寄りかかられる。疲れているんだろうと思って、特に話しかけることもせずにスマホゲームをひらいた。 ゲーム特有のしゃんしゃんした音と、2人がココアを飲む音だけがするままにしばらく経って、ぽつり、「今日はね、」と話し始めたまふまふに、返事こそしなかったけどスマホを置いて耳を傾けた。 「今日は……頼まれてたミックス終わらせたでしょ………あと次投稿する音源もできました……あとは…作ってた曲もはんぶんできた。」 聞く人によってはただの確認、独り言に聞こえるかもしれない。俺しか聞く人がいないからなんとも言えないのだけれど。 これは確認でも独り言でもなく、例えるなら、子どもが母親に『お手伝い頑張ったよ!ほめて!』とアピールするのとおんなじようなものなのだ。褒めてほしい、それか頑張ったことを認めてほしい。そんな感じ …だと勝手に俺は思ってる。 頭を撫でてやるには難しい体制だったから、素直に諦めて手の届く範囲にあったまふまふの膝をぽんと叩く。 「めっちゃ頑張ったじゃん。えらいえらい」 「そーでしょー……」 うん、と返事をして、ぬるくなったココアをすする。ココアの粉が底に溜まらないように、くるくるカップを傾けて混ぜた。 「あ、そうだそらるさん。」 俺に体重を預けることで傾いていた体を起こして、もうほとんど中身のないココアを飲み干した後、先ほどよりしゃきっとした声でまふまふが言った。 「僕、近いうちに一度帰省してきます。」 好きにしたらいいと思うけど、なんで今? そんな単純な疑問が脳に浮かんで、言葉として出すか出すまいか考えていると、 「ここしばらく年末年始も帰れてなかったのもあって、いい加減いつでもいいから顔見せに来いって怒られちゃいました。」 少し恥ずかしそうに頬をかくのをみて、ああそうだったかと思い出した。 「お前働きすぎだもん。ちゃんと帰ってゆっくりしてこいよ。」 パソコン持ち出し禁止な、と付け足すと、えー!?とうるさい抗議が響いたが、聞こえなかったことにした。 あの後まふまふは、気が変わらないうちにと言って、土曜の朝の新幹線のチケットを取った。今日は火曜日。帰省までに溜まっていた作業を終わらせなきゃとまたぱたぱた作業部屋に戻っていく背中に、なにか手伝えることがあれば言えよと声をかけて、俺も次に投稿する曲の作業にとりかかるべく、部屋へと戻った。 「まさか本当に終わらせるとはな。」 「パソコン持ち出し禁止って言ったのそらるさんでしょう?」 「まあそうなんだけどさ」 木曜の夕方に本当に作業を終わらせて、出発前日であった昨日はほとんど一日眠っていた。俺も音源の確認を少し手伝ったりはしたけれど、それでも割と大量にあった作業を1人でこなしたのだから、随分頑張ったんだなぁと思う。 昨日の夜に起きてきて、一緒に晩御飯をたべて、2人でまふまふの荷造りをした。 今日の朝も、早めに起きて朝ごはんを作り、ふたりで食べた。これはまふまふが俺に頼んできたことだった。出発前に一緒に朝ごはんが食べたいというまふまふに、長期間離れるわけでもないがまあそれくらいならと、かわいらしい小さな頼みを叶えてやることにしたのだ。 午前八時、小さめのスーツケースを転がして、数日前よりもいくらか顔色が良くなって、いつもより小綺麗な格好をしたまふまふが、玄関で『いってきます』と手を振る。 それにおれも『いってらっしゃい』と手を振り応えて、満足そうな顔をしたまふまふが出ていくのを見送った。 それからは、ゲームしたり、作業したり、生放送したり、時々届くLINEやツイートの通知で生存確認をしたりしつつ、のんびり留守番をしていた。 まふまふが帰ってから、3日が経った日の夜。 1人で眠っていたはずのベッドに、自分のものとは違う重さが沈む感覚がして目を覚ました。瞼を持ち上げると、すぐ目の前に人の旋毛が見えて、静かにぎょっとした。5秒ほどかけて、帰省していた同居人のそれだと認識する。 帰ってくるのなら一言くらい連絡をよこしてくれてもよかったのに、と思って、そのまま口に出そうとして、やめた。 まふまふの肩が揺れているのが見えたから。 俺が起きたのにも気付いていないようで、必死に声を殺そうとして喉が痛く鳴っている。 泣いているのだ。 それをはやく撫でて宥めてやりたくて、驚かせてしまうことのないように、つとめて優しくその髪を触った。努力も虚しくびくりと大袈裟に肩を震わせて、頭を上げたまふまふの顔が、泣いているせいでくしゃくしゃに歪んでいる。 こんなに感情をはっきり出せるようになったんだなぁと、場違いに少し喜んだ。 何だかあの日の立場が逆転したみたいだと、今こうして同じ場所に帰るきっかけになった日を思い出す。まふまふが泣いているのは同じか。寝起きなのもあってか、ぼんやり考え込み始めてしまった頭は、「そ、らさ、」と弱々しく呼ぶ声で、現実に引き戻された。 「おかえり。」 うあ、ぁ、と意味の無い母音を繰り返しながら泣くまふまふを抱きしめてやるために起きようとしたら、しっかり上体を起こせたか起こせてないかのところで首に手を回して飛び込むように抱きつかれて、危うくもう一度ベッドに沈みそうになった。 苦しいくらいに腕に力が入っているし、肩口に擦り寄った頭が自分の服で涙を拭いている。着ていたスウェットの濡れる感覚が、それを教えてくれていた。ぐす、と鼻をすすって、危なく呼吸を乱しながら自分に縋って泣いているのが痛々しくて、胸が締め付けられる。 ちゃんと息して、という代わりに、首元に何度も唇を寄せた。自分より少し大きいはずの体躯が、今は小さく幼く感じる。傷んだ髪を梳かすように、ぺたりと撫でつけて落ち着けるように、指を髪に通した。 暗闇に慣れ始めた目で、ベッドサイドの小さな棚の上に佇むシンプルな置時計を確認すると、丁度短い針が2をさした頃だった。 終電で帰ってくるには遅いし、始発で帰ってくるには早い。まふまふは着替えていないし、目の前の服からほのかに外の匂いがするから、まだ帰ってきてそんなに時間は経っていないはずだ。ぎりぎりまで終電に乗って、タクシーで帰ってきたのだろうか。 そんなに帰りたくなる程の事態があったのか、はたまた急な仕事でも入ったのか、分からなかったけれど、泣き声が小さくなるのに気づいて考えるのをやめて、そうっと顔を覗いた。 抱きしめられる前にみた顔よりも、いっそうぐしゃぐしゃになっているから、思わずほんの少し笑ってしまった。 疲れた顔をしている。泣いたせいでもあるけれど、きっと苦手な電車と新幹線でのひとりぼっちの移動のせいだ。俺のことを連れて行ってくれれば、そばにいてやれたのになんて、自分で無意識に考えてしまって恥ずかしくなった。 「まふまふ、もう2時だよ。」 今日は寝よ。と言うと、弱くこくりと頷いた。ベッドに座り込んだままぼうっとしているまふまふを一旦おいて、クローゼットから適当な寝巻きをひっぱり出して投げる。ぐっしょりと涙で濡れた肩が冷たくて、ついでに自分の分の上着も出した。投げられた服をそのまま被ったあと、のそのそと着替え始めるのを見届けて、自分もさっさと着替えて布団に潜り込む。隣のスペースを開けるために布団の中で移動した。 やがて静かに隣に入ってきたのを抱きしめようとしたら、またきつく抱きしめられてしまったけど、まあいいかと、呼吸で上下する胸を目の前にして瞼を下ろした。 翌朝、まふまふより先に起きた俺は、まず朝ごはんを作ることにした。といっても俺はまふまふと違って簡単なものしか作れないけど。 「まふまふー」 朝食の準備を終えて寝室を覗くと、もう既に上体を起こしたまふまふが、ぼんやりと布団を見つめていた。 もう一度名前を呼ぶと、ゆっくりとこちらを見る。目が腫れてブサイクだった。ベッドの側まで行って、足の上に投げ出された両手を取る。 ぐいーっと引っ張ると俺の意図に気がついたのか、大人しくベッドから下りてくれた。されるがままなのが面白い。 「朝ごはんできたよ。一緒食お。」 「…うん」 そのまま手を引いて、テーブルに座らせて、目の前に目玉焼きトーストと、コーヒーを置く。 俺が向かいに座る頃には、まふまふはトーストをもすもす食べ始めていた。 「いただきますは?」 「……いただいてます……」 まあよしとしよう。俺もいただきます、と呟いて食パンに手をつける。 実は俺の食パン、ちょっと焦げてるんだよね。あと目玉焼きがいい感じに半熟にならなくてちょっとかたい。まふまふの方はちゃんと半熟だし焦げてもいないから、バレないんだけど。 2人ともしっかり完食して、食器を適当に洗って、コーヒーをふたり分、また淹れ直した。 昨日のことは、ちゃんと聞かなきゃならないから。 テーブルではなくソファに移動して座っていたまふまふに、マグカップを握らせる。 「…で、どうしたの、昨日。」 「すみません……」 「おまえが泣くのには慣れてるから大丈夫。…なにがあったの。俺には言えないこと?」 マグカップを持つ手が震えてる。落ち着いてほしくて、その手に自分の手を重ねた。その冷たさにびっくりして、できるだけぴったりと合わせてあたためようと試みる。長めの前髪から覗く不安げな顔。そんなに嫌なことがあったのだろうか。口が開いたり閉じたりを暫く繰り返して、その手が俺のそれと同じくらいの温度になってくれた時、まふまふはようやく話し始めてくれた。 「家に帰った時……」 まふまふがなんとか話を終えたあと、俺は随分難しい顔をしてたらしい。大丈夫ですか…?って不安げに聞かれた時に、変に顔に力が入っていたことに気づいて、あわてて緩める。 つまり、だ。 あの日、無事帰省し、1日2日ほど家族でゆっくりしていた時、まふまふに、両親がお見合いの話を持ちかけてきた。 お見合いなんてもう古いだろうとも思うが、あいつが勝手に婚活やら何やらをするとは到底思えない。まふまふにとっては最適な手段だと考えたのだろう。 でももう既に俺という存在がいるまふまふはもちろん断った。最初は、まだそんな余裕はないとか、音楽に集中したいとか、決して嘘ではない理由を並べて躱そうとしたけれど、あまりに両親が折れないものだからつい勢いで恋人がいると言ってしまったらしい。案の定、それは誰だどんなやつだと問い詰められ、今更嘘もつけないから、言ったのだ。俺だと。 するとまふまふの両親は大激怒。そこまでは、仕方ないかと納得出来る。同性愛も、最近は理解しようとする取り組みもあるけれど、まだまだ異質な存在だから。まあこれはまだいいとして。 でもそこからが問題だった。 『男同士なんてそんなふざけたことしてないで真面目に考えなさい。』『絶対に許さない』とかありったけ怒鳴った両親は、勝手にお見合いを進めることを選んでしまったのだ。 急だと相手もまふまふもスケジュールの都合があるだろうと、約半年後に日付を決め、その日までにさっさと関係を終わらせて一度帰ってくること。そうぴしゃりと言い放ったあとは、もうまふまふが何を言っても無視を決め込まれ、半ばパニックになりながら逃げ帰ってきた。 それが昨日の夜中の話。 …と、いうことらしい。なるほどね。昔から頭が硬い親だ、とか干渉したがりだ、とかはちょこちょこ聞いてたけどここまでとは。その流れだとこのまま放置して知らんふりをしても家まで来るんだろうな。引っ越す度に住所は伝えてあると聞いてるし、黙って引越し…も割と無謀だよなぁ。 いちばん『普通』の道を選ばせるなら、俺と別れてお見合いに行かせて、お付き合いしてそのまま結婚…だろう。その女性もまふまふの仕事などにも理解を示しているらしいし、なかなかの好条件のはず。 もし、もしもそれにまふまふが迷うようであれば、俺としては背中を押すべきだと思ったけど、まふまふの頭の中にそんな選択肢は1ミリもなさそうで。かくいう俺もそんな簡単に背中を押せる程の気持ちの軽さでは無いので、ふたりでいるにはどうするか、が問題として残るのだった。 うーん。 隣で項垂れているまふまふをぼんやりと横目で見ながら、腕を組んで考える。 結論から言うと出なかった。何も。熱々で淹れたはずのコーヒーがちょっとひんやりするくらいには考えたんだけど、 「……これむりじゃない?」 「………僕もそう思います…」 「どう考えても結婚絶対主義じゃん。」 「う………」 もうここまで来たら死ぬ以外にふたりが関係を維持する方法はないのでは…と極端な結論にまで至ってしまったところで、ふと思い出した。 そういえばむかし、そんな店の話を聞いたことがあったのだ。 「え…?」 「あるんだよ、人を標本にしてくれるお店が。」 綺麗な形の眉を顰めながら暫く考え込んでいたそらるさんが、ふいにぱっといつもの無表情に戻って、「…死ぬ?」と独りごちるように提案してきたのがついさっき。つまり心中のお誘いか?と思ったけれど彼が示していたのは、とても突飛で、とても恐ろしくて、それでいてとても魅力的なものだった。 東京のすみっこに、人体標本を扱うお店があるんだ。俺も高校の頃に友達から聞いただけだから場所までは知らないけど、その友達なら知ってるはずだから。 だから2人で死のう。 なんてそんなこと、考えたこともなかった。そりゃ僕は、人より強めな希死念慮みたいなものもあるけれど、でもそらるさんは違うだろう。 僕にとって、それはとても愛おしい提案だけれど、 でも、でもそんなの、 「…うん、まあ、“正しい”って胸張れる選択じゃない。一般論みたいなものでいえばだけど。」 なんなら大袈裟すぎるかもね。そう言いながら、いつの間にか体ごとこちらを向いていた彼のその静かに凪いだ目は僕をじっと見ていた。僕を見ているというよりは、僕の中の何かを見ているような。彼はよくそんな目で人を、僕を見てた。何かを見透かすようなそれが、昔は怖くて苦手で、失礼だとわかっていながらも逸らしてしまうことが多くて。 今は、もう慣れたというか、一緒に居ようと決めるもっとずっと前に、自分の中身は彼に明け渡してしまっていたので、今更何を見られても、というか。 だから、自分を見つめる瞳の深さを追いかけるように僕も、彼を見た。 そうしてお互いにお互いをじっと視線で貫き続けたまま、そらるさんは話を続けた。 「でもさ、多分おまえが思ってるよりずっと、俺は生きることに執着してないし。 そりゃあ…なんだろ、あそこのあれが食べてみたかったなとか、そんなちっちゃい後悔くらいはあるけど。……でもそれも、そんなことどうだっていいやって思っちゃうくらいには、俺の心の中には、まふまふが居るよ。」 お前が死にたくないって言うなら、別の方法も考えないといけないけどな。なんて。 なんだ、なんだそれ、 「…自分のことは、どうでもいいんですか。」 そんな、しっかり真面目な顔で、とんだ提案をしてくれる。 ねえ、そらるさん、あなたやっぱり頭がおかしい。 「……なんで泣くの」 「っしつもんの、答えに、っ、なってません……っ」 そんな事言わないでよ、とか、ごめんなさい、とか、嬉しい、とか、口に出せなかったいくつもの感情や言葉が、全部混ざって、涙になって溢れた。ぎゅうっと目を強く瞑って涙を落とそうとしたら、力いっぱい閉じた瞼を、そらるさんの冷たくて少しかさついた指先が撫でる。…後でハンドクリームを持ってこよう。面倒くさがって、皮がめくれたり切れちゃったりで痛い思いをするのはそらるさんなんだからな。 「泣き虫になっちゃったなー…よしよしよしよしよし」 「んんんんんんんうむう………やめてください」 両頬をわしっと両手で挟まれて、ぎゅむぎゅむ揉まれ、うりうり遊ばれる。やめろーって声を上げたら、そのままむちゅーっと唇を押し付けられた。はむはむ食べられたかと思えば、涙で濡れた目元をぺろりと舐められる。 最後にもう一度唇を静かに合わせて離れていく顔を、涙でまだほんの少しぼやける視界で追いかけた。瞳を僕でいっぱいにして、愛おしそうに緩んだ眦に、胸が締め付けられる心地がした。 「……今、きてる仕事、ぜんぶおわったら、」 「…うん。ふたりで逃げちゃおう。」 イタズラを企む子供みたいな表情。 なんだこの人、僕らが交わしたのは死ぬ約束だっていうのに。 それから、僕達はこれまで受けてきた仕事を片付けることに集中した。色々な人から来てた依頼を、ひとつひとつ丁寧に仕上げて、提出して、それ以降に来た依頼は、申し訳なく思いつつも全部断わった。その間も友人から来た依頼やコラボのお誘いだけは受けたし、曲を提供することは最後までやめなかった。 …死ぬって言ったら、優しい彼らは泣いてでも引き留めてくれてしまうから。だから何も言えない。そのお詫びも兼ねて、『ごめんね』と『ありがとう』の代わりだ。 そらるさんも僕と同じように仕事の消化に追われていたみたい。ほとんどいつもの生活と変わらない、同じ家に帰って、同じベッドで眠って、時間が合えば一緒にご飯を食べる生活。特別一緒にいる時間が増えた訳でもないけれど、これが僕らの日常で、僕らの幸せだから、充分だった。 そうして、やるべき事を終わらせてからは、好きなことを好きなだけやった。 僕が歌いたい曲を歌って、作りたい曲を作って、そらるさんに歌って欲しい曲、ふたりで歌いたい曲、とにかく曲を沢山作った。頭の中が空っぽになるまで。 彼はそんな僕をいつも通り見守りながら、すきなボカロPさんの曲を歌ったり、僕が大量に作って渡した曲を歌ってくれたり、ゲームしたり、彼自身の好きなことを楽しんでいた。 気づけば、動画サイトの予約投稿の欄が、2、3年先までしっかりあった。何度かまとめて予約しようとして、パソコンが落ちた。 僕らが居なくなる準備は、順調に済んでいった。 あの約束を交わしてから5ヶ月が経って、ふたりともしっかりやりたいことをやれた今日。 最後に2人で出かけることにした。 朝、少し早めに起きて朝ごはんを作る予定だったのもあって、21時にはベッドに入ったんだけど、緊張と楽しみが混ざって眠れなくて、結局ゲームしていたそらるさんが布団に入ってきて抱きしめてくれても眠気がやってきてくれなかったのでそのままえっちに持ち込んだ。おかげでぐっすり眠れすぎて1時間寝過ごした。そらるさんもぐっすりだったから寝坊にはならないはず。結局二人でキッチンに立って、ゆっくり朝ごはんを済ませた。 いつもより気合いを入れて服を選んで、いつもより丁寧に髪の毛もセットして、 「まだー?」 「もうちょっと!!」 そらるさんに急かされたりしながらいつもの香水もちゃんと付けて、家を出る。 目的地は、いつもよりちょっと遠出して、大きなショッピングモール。そこにある少し敷居の高いアクセサリーショップで指輪を買うことにしてる。沢山色んなものがあって、ふたりであれじゃないこれじゃないと言いながら小一時間。結局選んだのは1番シンプルなシルバーリング。男二人でしかも指輪も2つともメンズサイズで、なんて店員さんにどんな顔されるだろうと思ったんだけど、店員さんは最後まで笑顔で対応してくれて、更には商品と一緒に「お幸せに。」とまで言ってくれた。ちょっと泣きそうになったけど、どうにか泣かないでいられた。そらるさんは見なかったふりをしてくれていたと思う。 それからふたりでお互いに着て欲しい服を選び合って購入して、ゲームセンターでそらるさんにカービィを取ってもらった。絶対苦戦すると思ったのに500円くらいでぽんと落とすので、思わず「面白くない。」と呟いたらカービィを投げられた。ドヤ顔でキャッチしておいたけど。 お昼ご飯をすっかり忘れていたから、少し早めの夕食も兼ねて、美味しいハンバーグを食べた。本当に心の底からすんごい美味しかった。 家に帰ったあとは、2人で夜通しゲーム大会を開催した。スマブラとかスマブラとか。いかちゃんは酔うから無しで。7割くらい僕が勝った。 空がほんのり明るくなるくらいまでばかみたいにゲームばっかりして、夜中なのにお菓子も食べて、学生のお泊まり会みたいだなと思った。 気がついたら2人でベッドで熟睡していたみたいだ。最後が床じゃなくて良かったなと思う。 「……。…ふ、まふまふ。」 「ん、んぐ…………」 頭がわしゃわしゃされる感覚で目を覚ます。勢いに任せてぱちっと瞼をあげると、目の前には、寝癖で前髪がぴょこんとはねたそらるさんの顔があった。 「お、おきた。もう夕方だよ。」 寝すぎたねっていいながら、はねた前髪を気にしながらベッドから下りようとするのを、腕を引っ張って引き止める。されるがままにベッドに戻ってきたそらるさんの口に、がぶっと食いついた。あむあむ唇を食べて、気が済むまで柔らかい唇を堪能させていただいた。口を離すと、リップクリームを塗ったみたいにつるてかになっていた。かわいい。満足したので、ぽかんとするそらるさんを放ってベッドを下り、顔を洗いに行く。ふと見た時計は16時をさしていた。そりゃお腹も空くわけだ。 そのままキッチンに行って、冷蔵庫の中を覗く。なにか作れないかなと思ったけど、悲しいことに、死にかけのにんじんと白菜と、あと冷凍してあった豚肉が少しあっただけだった。買い物は避けられないらしい。すると、後ろにべたあっと乗っかる何か。まあそらるさんしか居ないんだけど。 「…おもい」 「味噌煮込みうどんが食べたい。」 味噌煮込みうどん?また急だな 「………じゃあお味噌とうどん、コンビニでいいから買ってきてください。」 「ええー……わかった……」 くあ、と欠伸をしながら、上下グレーのスウェットに上着を羽織っただけの格好で、サンダルをつっかけて出ていく後ろ姿を見送って、僕も準備を始めた。 にんじんと白菜を一口大に切って、まとめてお皿に入れておく。豚肉は小さめに切った後、少し油をひいたお鍋にいれて、火が通るまで炒める。いい感じに焼けたお肉をまた別のお皿に移したら、先にテーブルにお茶と箸と取り皿を置きに行く。そうしている間に玄関が開く音がした。ぺたぺたキッチンに入ってきたそらるさんにお礼を言って、味噌とうどんを取り出す。 水と粉末だしと野菜を入れて煮てあったお鍋に味噌を溶かし、うどんを入れて1、2分煮込んだら、今度はたまたまあった(死んでいない)卵を2つ割り入れて、半熟になるまで弱火にかければ、簡単味噌煮込みうどんの完成。 自分の料理スキルの上がりっぷりにちょっと感動した。テーブルに適当なタオルを敷いて、お鍋を置く。手を合わせて、取り皿に取り分けた。おいしいおいしいと食べてくれるのを見て、思わず頬が緩んでしまう。それを隠すように、熱々のうどんをすする。 ふたりで食べた味噌煮込みうどんは今まで食べたご飯のどれよりも美味しく感じた。 あっという間に小ぶりのお鍋は空になって、ごちそうさま。片付けを済ませてしまおうと立ち上がったら、そらるさんがこちらをじっと見て「…ねえ、」と声を上げる。 「ん?なんですか?」 「…いまならまだ、やめられるよ。」 「え?」 「まだ、なかったことにできる。 ……ここまで準備したけど、まだ誰も何も知らない。おまえがやめたいって言うなら、今しかないよ。」 やめなくていいの?って、不安そうに揺らぐ瞳で。 朝からなんだか動きが遅いなあ顔も暗いなあとは思っていたけど、朝からずっと考えていたのか。思い切りがいいくせに、変なとこで弱いなぁ、と思った。しってたけどね。 「いいです。僕はもう覚悟出来てます。」 「………そっか。」 ほっとした表情を浮かべる彼がなんだかやっぱりかわいくて、せっかく落ち着いてきた寝癖ごと髪を混ぜ撫でた。 「なになになに……」 「ふふ、朝の仕返しです。そろそろ準備しちゃいましょうか」 「そうだね。」 ふたりで選びあった洋服は、ほかの誰が見繕うよりもよく似合っていた。 買ってからお風呂以外片時も外さずに身につけていた指輪もちゃんもはまっている事を確認して、手を繋いでふたりで家にさよならをした。 この時間を、これからそのまま閉じ込めてしまう事に、もうなんの躊躇いもなかった。 まだやりたいことはあったけど、今までやりたかったこと全てを叶えられた訳じゃないけれど、それでよかった。いつかきっとできる日がくる。2人なら、なんとかなるものだと知っている。今はその“いつか”が見られないだけだ。 幸せに甘く痛むこの心臓を、僕らは綺麗に飾っておくことを選んだの。 前の僕なら、彼に迷惑なんて、と1人になろうとしただろう。でも、もう臆病なりに答えを出したのだ。 僕も、きっとそらるさんだって、片方が欠けても生きていける。 きっと歌も歌える。ちょっと曲はしばらく作れなくなるかもしれないけど。どうしようもなく暗い曲ばっかりになっちゃうかもしれないけど。ちゃんと生きていける。 でも、それでもふたりがいいの。 どうしてもふたりがいいの。 全部が終わったら、ふたりで、本当の虹の向こうへ行こう。「なんにもなかったね。」って笑って、ふたりで好きな曲作って好きな歌うたおう。それがいいよ。僕らは、それくらいがちょうどいいよ。 家を出た時のまま、ずっと手を繋いで、お店までの道を歩いていた。時折こちらを訝しげに見る人も少なからずいたけど、最後なんだからと気にしなかった。 そのお店は、東京から切り離されたような場所で、ぽつりと不思議な雰囲気を纏って建っていた。 「……ここ。」 僕の手を握るそらるさんのそれに、きゅっと力がこもる。 「…怖いですか?」 「…ううん。怖くない。」 そういったそらるさんの横顔は、今まで見たどんな表情よりも柔らかかった。 食べたら、美味しそうだな、なんて。 「行こうか。」 「はい。」 彼が、木でできたドアの取っ手に手をかける。 そのまま引くと、店に響いた綺麗なドアベルの音色。 出迎えてくれた美しい青年に、優しく微笑んだ。 「こんばんは。僕らの時間を永遠に止めてくださいな。」 ♢♤♢ ここは不思議なアンティークショップ。 街の端の、ほんのりと灯りのともるその店の扉が、今夜は乱暴に開かれた。 本来控えめに来客を知らせるはずの小ぶりのドアベルが、振り回されてちりんちりんとけたたましく店の中に響く。 一体何事かと店主が顔を覗かせれば、入口で1人の青年が膝に手をついて息を整えていた。 「いらっしゃいませ。君は初めてさんやね?そんなに急いでどうしたんですか?」 状況に似合わずゆるりとした店主の声に、青年はがばっと勢いよく顔を上げた。 「…っあの、人を、探していて、」 喋るのもやっとといった様子なのに、青年はその口を動かすのをやめない。そうしてなんとか探しているという人物の特徴を並べた。 話しながら見せられた写真の顔に見覚えのあった店主は、隠す必要も無いと素直に答える。 「ああ、その人たちなら、こっちやで。」 最近作り上げたばかりの、彼ら専用のステージへ案内した。 「…ここにいるんですか?」 「うん、ここに飾っている居るよ」 そう言って店主は、ステージを覆う深いワインレッドの緞帳の側に垂れ下がった金色の紐を、少し誇らしげな様子で引いた。 小さなステージの上。 優しく灯る光に照らされた、ベンチに腰掛ける2人の青年。 アコースティックギターを抱えた金髪の青年と、紙を持った黒髪の青年が、互いの体を少し互いに向けるようにして座っている。 揃いのシルバーリングをお互いの左手の薬指に光らせて、酷く幸せそうに微笑み合う彼らとは対象に、それを目にした青年は、深く静かな哀情を瞳に宿した。 溢れたそれらは涙となって、床に膝を着いた青年の傍らにしみを作る。 「……………っどうして………」 ぽつりと呟かれた言葉は、静かなステージの前に溶けて消えた。 ラピスラズリの宝石言葉『永遠の誓い』
一ノ瀬
一ノ瀬
一ノ瀬
コメント
13件
クラス同じで良かったね
最初→( ˙-˙)? 2回目→( ˙-˙)w? 3回目→(இωஇ)
待ってwwwwww 高速すぎるwwwwwww