暗い夜の空に満月がくっきりと空に浮かんだ日。事は起こった。
もう月が西の方角に傾いた刻。
明け方のある村は少数の人々が動き始めていた。
田植えの役割のある村人は準備に取り掛かり、商売をする者もまた、準備に手をかけていた。
しかしまだ多くの人は鼾をかいて寝ている時刻であった。
この村は緑が豊富で、農地に溢れ、その上川も通っている、実に住むに適した不便のない村だった。
役所も店も医院もあり、村とは思えぬほどの設備。その為、非常に民同士の競争率が激しかったと言える。
神守村は神守山という山の一帯に広がる大きな村で民の殆どがそこに集中していた。
いわば一種の町である。だが、都はここから十里は離れる、三豆《みず》の都でそこが国の拠点となる場所だった。
颯詩
俺はその神守村に住む村人の一人だった。
颯詩
颯詩
神守山の西方に住んでいて、毎朝この時間に井戸の水を汲んでくるのが日常だ。
颯詩
井戸の水は一〇〇パーセント純水で、冷たくてとても美味い。その水で母親が釜戸で米を炊いてくれる。朝はそれが至福の時間だった。
颯詩
俺には家族がいた。
母
父
妹
俺を含めて全員で四人家族。
颯詩
妹とは特別に仲が良く、毎日日の入りの時刻には夕日に照らされて縁側で共に寝るほどには。
颯詩
母は飯がとにかく美味い。願わくばもう一度食べてみたい。
父は猟師で時たま、狩りに連れていってくれた。
颯詩
そんな平凡な日々が今は狂おしいくらいに愛しく思える。
颯詩
——神守山が黒煙の渦に巻き込まれるまでは、その日々を当たり前だと、無くなることはないと、そう思っていた。
柊奈
私は神守村の東方に住む村人の一人だった。この時間はまだ夢の中にいた。
柊奈
襖から漏れる朝一の光にぽかぽかと照らされながら気持ちよく眠る。
柊奈
もう少ししたら母が襖をそっと開けて、私の体を軽く揺さぶる。
柊奈
優しい声と一緒に…。この頃は毎日目覚めがよかった。
柊奈
いつもは起きたあと、外に出る。扉を開けると毎日のように子猫三匹を連れた母猫が家の前にお利口さんにお座りしている。
柊奈
猫も朝食を待ってる…。私も、待っている間はこうして猫達に昨日の夕飯の残りを与えたり、こっそりおやつの時間に隠した煎餅を潰して与えていた。
柊奈
父がその頃に井戸の水を組み終わって帰ってきて、猫にも与えてくれる。
柊奈
母の呼ぶ声が聞こえたら私と父は一緒に家に入る。
柊奈
猫達は近所の家に行ってしまう。
柊奈
これはもう遠い昔の日常。
柊奈
この日は今までで一番目覚めが悪かった。
柊奈
だって、いつもより起こし方が荒かったし、いつもより早く起こされたから。
柊奈
襖からは赤赤とした光が入り込んで、村中に警笛が響いていた。