sn
戦いでテウトネス族とキンブリ人は歴史上からほぼ消滅したが、ユトランド半島に僅かな生き残りが留まっていた可能性を複数の歴史書が記録している。また、『ガリア戦記』によると、アトゥアトゥキ族というベルガエ人の一部族が、テウトネス族とキンブリ人の子孫であるという。彼らは所以のあるボイイ人ともども、マリウスの外甥であるガイウス・ユリウス・カエサルのガリア戦争で再びローマと相見える事になる。また先述の通り、奴隷として連れ去れた者達の幾つかは剣闘士として生き残り、スパルタクスの奴隷反乱に参加している。
ローマ内では対外的な脅威が去った一方、実質的な独裁者として君臨するマリウスへの不満が閥族派を中心に広がり、逆にマリウスを支持する民衆派との対立が内乱の一世紀を引き起こした。更に軍制改革による自由志願制でローマ市民権とラテン市民権の軍内における待遇差(市民権保持者は準市民権保持者に比べ、政治的権利と引き換えにより困難な任務が割り当てられていた)が失われ、マリウスはウェルケラエの戦いの後に戦いに参加した全てのラテン市民権保持者に正規の市民権を与えた。これもまた元老院内で民衆派と閥族派の対立に繋がり、やがて同盟市戦争が勃発する結果となる。