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─────揺れている
地面か、空か ………それとも自分自身か
あらゆる輪郭が溶けて 世界がぐにゃり、と歪んでいた
あの激戦の終わった後 俺の身体は密かに悲鳴を上げていた
傷は一切負っていない筈なのに
酷い目眩が波のように襲いかかり 吐き気が喉の奥から這い上がってくる
必死にソレを飲み込みながら 苦しさを堪える
身体中にどっと倦怠感が押し寄せ 鉛の塊に押し潰されるようだった
…これは 記憶糸を使った“代償”──
触れた“記憶”や“想い”を糸に変え それを武器として紡ぎ出す度に
心身の深部に 蓄積される“負荷”がある
味覚も痛覚も とうに失っているはずなのに……
……これは、幻覚か それとも、記憶に刻まれた痛みの残滓か
────でも、確かに 自身の中にあるものだった
─────それでも やらなければならない事がある
数百メートル先
森の縁で 傷を負ったあの2人が
爽の手当を受けながら避難している筈だ
……行かないと
何度も息が詰まって 足が止まりかける
震える手を握り締め 意識が遠のく視界を何とか保ちながら
ゆっくりと、確かな足取りで 爽の元へと向かって行く
爽が施した応急処置のお陰で
2人の傷は、まだ 深刻な状態にはなっていなかった
それに安堵しながら 俺は魔法を使って治療をした
ここに留まれば、また いつ魔物や獣に襲われるか分からない
俺たちは、2人を連れて 近くの村に向かう事にした
爽が男性を 俺が女性を背負う
ぐらり、と目眩がした だが、歯を食いしばって耐えた
空の色が ゆっくりと明るさを取り戻していく
……けれどそれは 希望の兆しと言うよりも
薄く剥がれた絵画の上に ただ、光が差しているだけのように見えた
俺は、気を失った女性を抱え 足を前へと運ぶ
その少し前を 男性を背負った爽が先導して歩く
その背中の頼もしさが 今の俺には何よりの救いだった
傷は既に塞がっている 血も、もう流れてはいない
……だが、恐怖は その身体に染み付いている
男性は時折 苦しげに唸り声を上げ
女性は無意識のうちに 小さく体を震わせていた
それでも、暫くすると 2人の微かな寝息が聞こえてきた
浅く、だけど和らいだ呼吸 その音に、俺は漸く小さく息を吐く
…良かった そう思った瞬間だった
───ズキンッ
脳が軋んで 視界がぐにゃり、と歪む
目眩、吐き気 体の芯が、泥のように重くなる
込み上げる“感覚”に 俺はぎゅっと、目を閉じた
痛みなど無い、味もない ……でも、確かに“それ”を感じた
かつて味わった、毒素の記憶 脳が覚えている“苦い”という符号
痛覚は無いはずなのに 頭の奥がズキズキと痛む“気がする”…
幻覚だと分かっていても この感覚から逃げられなかった
歯を食いしばる
指先に力を込める 女性の身体を落とさないように
少し先を歩いていた爽が 真っ直ぐ、俺を見つめていた
その言葉が じわり、と胸に染み込んでいく
優しい声色だった ─────でも、それ以上に
“気付かれていた事”が 少し、悔しかった
……掠れた声 でも、俺はこう答えるしか無かった
ここで俺が倒れたら 爽は2人を同時に背負う事になる
それだけは、させられなかった
視界の端が黒く塗り潰されていく 景色が歪んで、地面が遠ざかる
何もかもが どこか、浮ついていた
ぽつり、と言った 静かな声、だけど深く刺さる
……それ以上 俺は何も言わなかった
息をする度に 胸の奥が軋む“気がした”
そして、歩き続けた時間の果て───
ようやく、村の灯が見えた
いくつもの灯が 夜明け前の霧の中で滲んでいる
どこか懐かしくて ぬるい光だった
俺がそう言うと 振り返ることは無かったが
その背中が、少しだけ揺れる
爽の肩越しに差し込んだ光が 輪郭をふわり、と照らしていた