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「ありがとう」

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「ありがとう」

1 - 「ありがとう」

♥

171

2020年03月01日

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藤村容子

ねえねえ、真悠子

藤村容子

あの人、見てみなよ

クスクスと笑いながら藤村容子が店の端に視線を向けた。

スマホで電話中の会社員らしき男が嬉しそうに頭をペコペコしている。

どうやら、電話の相手に向けて頭を下げているらしい。

藤村容子

人間って面白いよね

藤村容子

ああやって、電話越しの人が見てるわけでもないのに

藤村容子

ロボットみたいに頭をペコペコしてるんだもん(笑)

河口真悠子

河口真悠子

私は立派…というより

河口真悠子

人として凄く出来てると思うわ

藤村容子

えっ、そうかな?

河口真悠子

私は、ね

藤村容子

ふ~ん

容子は自分の気持ちに同調してもらえず、素っ気なくストローをすすった。

喫茶店の窓越しから、道路を隔てた広大な大海原が広がっている。

青い海を照らす夕焼けがきらびやかな光を放ちながら、

海と、容子たちのコップに入ったジュースを反射して輝いている。

河口真悠子

でも、容子のいう通り確かに面白いわね

河口真悠子

嬉しいときとか悲しいときに直面すると

河口真悠子

人間って自分では意識してないつもりでも

河口真悠子

体が意思に関係なく動くことがあるから

河口真悠子は再び端の席に座る会社員に視線を向けた。

男は電話を切り「よし!」と小さく声を出しガッツポーズをした。

藤村容子

お礼なんて言葉だけでいいのに

河口真悠子

簡単に言うじゃない?

藤村容子

わざわざ見えない相手に動作をしてまで伝えるのは客観的に見て変だわ

河口真悠子

私はそうは思わないわよ?

河口真悠子

本当に嬉しいからこそ見えない相手に頭を下げながらお礼を伝える

河口真悠子

私はあの人を見て今とても嬉しいんだなぁって思ったわ

河口真悠子

それに、お礼を言うのは簡単みたいに容子は言ったけど

河口真悠子

案外「ありがとう」ってちゃんと言えない人も多いのよ

藤村容子

そうなの?

河口真悠子

私、接客のアルバイトで経験があるんだけど

河口真悠子

レジを終えたときや探してる商品を見付けたときに

河口真悠子

お客さんから「ありがとう」って言われたことってほとんどないの

藤村容子

あー分かる

藤村容子

お客さんからしたら店員として当然の行いをしたんだから

藤村容子

律儀に言う必要なんかないって割り切ってるのかもしれないからね

河口真悠子

私もそれが普通だと思って仕事を続けたわ

河口真悠子

でも、この前のレジで小学生の低学年くらいの男の子から

河口真悠子

可愛らしい笑顔で「ありがとう」って言われてハッとしたの

河口真悠子

「ありがとう」ってなんて素敵な言葉なんだろうなって…

真悠子はその時のことを思い出したのか、ふふっと笑った。

藤村容子

その子、真悠子に気があったとか?(笑)

河口真悠子

こら、茶化さない

藤村容子

えへへ(笑)

河口真悠子

それから、高齢のお客さんにもレジを済ませたり商品の場所を案内したりしたら

河口真悠子

嬉しそうに「ありがとう」って言われて

河口真悠子

私、以前よりも今の仕事に対してやり甲斐を感じ始めたの

河口真悠子

接客業で抱くストレスの大半は面倒なお客が原因だと思われてるけど

河口真悠子

確かにそれも事実、けど逆にそのお客さんのお礼の言葉によって

河口真悠子

より一層、この仕事を頑張ろうって意気込みが付くのよ

藤村容子

真悠子は幸せだなぁ

藤村容子

私も薬局でアルバイトした時期があったけど

藤村容子

ほとんどのお客が無愛想でしかも横暴な態度なんだもん

藤村容子

レジで商品を投げ付けたりお金を放り出してきたり

藤村容子

もう昔の話だからどうでもいいんだけど

藤村容子

真悠子みたいに私もお礼を言われてたらもっと続けていたかもしれないなぁ

容子は小さくため息を吐いた。

真悠子は苦笑を浮かべながら容子の肩をポンポンと叩いた。

河口真悠子

そうしょげないの(笑)

河口真悠子

接客業ではごくありふれた店員の愚痴だから

河口真悠子

私が疑問に思うのは

河口真悠子

接客に関係なく当たり前の「ありがとう」が言えないことよ

河口真悠子

特に身内同士での「ありがとう」が少ないケースが多いわね

河口真悠子

私の弟なんて自分から親に頼み事をしておきながら

河口真悠子

最終的にそれをしてくれたことに対する「ありがとう」を聞いたことがないし

藤村容子

家族だから別にいいかって思っちゃうことはあるかもね

河口真悠子

私はそれでもちゃんとお礼は言うべきだと思うわ

河口真悠子

神経質な人にとってはお礼を聞かなかっただけで気分を害するし

河口真悠子

「ありがとう」はお互いが幸せになる素敵なセリフだと思ってる

河口真悠子

例え、それが家族でも恋人関係でもね

藤村容子

………

容子は黙り込んでしまった。

真悠子は何故、突然容子が沈黙したのか察していた。

河口真悠子

河口真悠子

まだ言ってないんでしょう?

藤村容子

な、なんのこと?

容子はぎこちない笑いを浮かべたが、真悠子は至極真顔だ。

河口真悠子

とぼけてもダメ

河口真悠子

島崎くんのことよ

藤村容子

………

河口真悠子

確かに島崎くんは恋人の容子がいながら

河口真悠子

隣町の女と関係を持ったわ

河口真悠子

あの女、横恋慕したくせに堂々と島崎くんと一緒に容子の前に現れて…

河口真悠子

無性に腹が立ったわ

河口真悠子

人の気持ちを踏みにじったも同然よ

藤村容子

……

河口真悠子

島崎くんも魔が差したんだと思うけど酷いと思ったわ

河口真悠子

でも、半年前の夏祭りでの出来事で島崎くんの本心を見た気がするの

容子は当時を振り返り、小刻みに体を震わせた。

半年前の夏祭り、容子と真悠子は一緒に浴衣姿でイベントを楽しんでいた。

真悠子が屋台で飲み物を買いに行った後のことだった。

酔っ払った若い連中に容子がナンパされたのだ。

容子は昔から気の強い性格もあり、あっさりと男の誘いを断り無視した。

それに激情した男たちが容子に迫り、彼女は乱暴されそうになった。

そこへ、たまたまイベントを満喫していた島崎翔一が駆け付けたのだ。

島崎は横恋慕した女と一緒で、女は状況を察すると1人逃げてしまった。

酔っ払い連中と島崎は睨み合い、やがて…。

河口真悠子

戻ったらビックリよ

河口真悠子

顔から出血した島崎くんとへたれ込んだ容子がいたんだから

河口真悠子

河口真悠子

あの後、救急車で島崎くんが運ばれてからそれっきりでしょう?

河口真悠子

「ありがとう」って言った?

容子は無言で首を横に振った。

河口真悠子

島崎くんが別の女と付き合ってたから?

今度は縦に振る。

普段の気の強さが信じられないほど弱々しい動きだ。

河口真悠子

島崎くんが軽薄だったのは事実だわ

河口真悠子

でも、彼は一緒だった女が逃げたのも構うことなく

河口真悠子

容子を助けてくれたのよ?

河口真悠子

常識的に考えれば顔向け出来ないはずなのに

河口真悠子

彼は容子を酔っ払い連中から助けたんだよ

藤村容子

………

河口真悠子

河口真悠子

そろそろかな?

藤村容子

…え?

河口真悠子

容子には黙ってたけど

河口真悠子

じきにここへ来るわ

誰が、と聞くまでもなく容子はドキッとした。

藤村容子

島崎くんがここに?

河口真悠子

容子にチャンスを与えようかと思って無理矢理呼び出したのよ

河口真悠子

島崎くんも強情だから顔向け出来ないって断ってきて苦労したんだから(笑)

藤村容子

そ、そんなぁ…

河口真悠子

ほら、シャキッと!

河口真悠子

そんな容子らしくない顔、島崎くんに見せられないでしょ?

その島崎が、真悠子の指示で浜辺に現れたのを容子は確認した。

真悠子は勘定は任せてと言い、容子に外へ向かうよう背中を押した。

店の出入り口で躊躇う容子だったが、

真悠子が早く行けとジェスチャーを繰り返し、渋々浜辺へ向かった。

眩しいほどの夕焼けに照らされた海はまさに幻想的だった。

容子は戸惑っていたが、肩を並べる島崎はその光景を眺めていた。

容子は振り返り、喫茶店の窓越しにこちらを眺めている真悠子を見た。

真悠子は呑気にストローをすすっていた。

容子は腹を決めた。

藤村容子

あ、あの…島崎…くん…

藤村容子

半年前の夏祭り…だけどね…

藤村容子

そ、その…えっと……

藤村容子

助けてくれて…ありがとっ

緊張のあまり、容子は無意識に声を張り上げてしまった。

島崎は困惑顔だったが、容子は構わず言葉を続けた。

もう、どもることはなかった。

藤村容子

私、酷かったよね

藤村容子

島崎くんが身を呈して私を守ってくれたのに

藤村容子

私は「ありがとう」すら言えなかった

藤村容子

ごめん

藤村容子

改めて、ありがとう

島崎翔一

島崎翔一

容子ちゃんが謝ることないよ

島崎翔一

悪いのは俺なんだ

島崎翔一

君の気持ちも考えないで別の女と付き合った浅はかな俺が悪いんだ

島崎翔一

ごめんよ、容子ちゃん

藤村容子

やめてよ、島崎くん

藤村容子

私は大事なときに「ありがとう」も言えないダメな女なんだからさ…

島崎翔一

島崎翔一

それは違うよ

島崎翔一

ダメな女はあいつだ

藤村容子

…あいつって?

島崎翔一

夏祭りのとき逃げた隣町の女だよ

島崎翔一

あの酔っ払いはあいつがけしかけた連中だったんだよ

藤村容子

えーっ?!

島崎翔一

あいつは陰で君を痛め付けて俺から遠ざけようと画策していたらしくて

島崎翔一

夏祭りに来てる君を見付けて密かに襲うよう連絡をしたらしいんだ

島崎翔一

連中が隣町の、それもあいつと同じ大学出身だと知って個人的に調べてみたら

島崎翔一

間違いなくあいつの仲間だったよ

島崎翔一

俺がそれを突き付けるととぼけながら再び関係を迫ってきたよ

島崎は一旦、深呼吸をし気持ち良さそうに息を吐いた。

島崎翔一

けど、突き放してやった

島崎翔一

そんな意地の悪い女なんかと俺は付き合うつもりはないからね

島崎翔一

容子ちゃん、改めて謝るよ

島崎翔一

本当に軽薄な行動をして悲しませちゃってごめんよ

藤村容子

…うん

容子は泣きそうになるのをこらえながら、必死に声を絞り出した。

島崎翔一

それに、あれがあの女の計画でなかったとしても

島崎翔一

俺はあいつが女として…いや

島崎翔一

人間として失格だと判断したんだ

藤村容子

どういう意味?

島崎翔一

「ありがとう」…

藤村容子

島崎翔一

あいつは俺と付き合ってる間、一言も「ありがとう」を言ったことがなかった

島崎翔一

それを真悠子に話したら凄く怒ってたのを覚えていてね

島崎翔一

あぁ…「ありがとう」って大事な言葉なんだなぁって実感したんだよ

藤村容子

真悠子が…

容子は喫茶店の方を向いた。

真悠子は笑みを浮かべ、海辺の容子に向けてガッツポーズをしていた。

容子は心の中で真悠子に伝えた。

「ありがとう」と。

2020.03.02 作

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コメント

2

ユーザー

素敵お話です!友達の心意気も良いですね。 浮気は、モヤモヤしますが💦 「ありがとう」の言葉が足りなくて、すれ違ったんだなと思いました。

ユーザー

いい話すぎる😭

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