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ああ、まぢで大好き!ブクマ失礼m(_ _)m
さ、最高🤩続き待ってます!
No.2 ストレス性胃腸炎
嘔吐・過呼吸・青水兄弟表現あり
医者になんてならんとけばよかった。
そう思うのに特に深い理由はない。
患者の死に直面したとか自分にできることに限界を感じた、とかそんなんじゃなくてただ単に激務すぎる。
そもそも医者を志した理由なんて給料と職の安定ぐらいのものだ。
わざとPHSは医局に置いてきて、院内をフラフラと巡回する。
首を左右に傾けるとゴキっという気持ちの良い音がした。
どうせ今は担当患者も安定してるしどうせかかってくるコールなんて雑用やし、今昼休みやし。
朝昼夜関わらずにかかってくる病院からのコールには嫌気がさす。
若手やからってこき使いやがって。
誰に見つかったかとビクッとすれば、初兎だった。
こいつはいつも俺がサボっているところをめざとく見つけては声をかけてくる。
まだ学生で若いのに長期入院で退屈しているんだろう。
そう言うといやそうな顔をしながらも初兎は病室に戻って行った。
そろそろ医局戻らなきゃな。
そう思っているのに足は一向に医局へ向かわない。
仕方ない。
心からの拒否だと甘んじて受け入れよう。
げ…今度こそ、初兎よりも高いナースの声が聞こえる。
でもここまできたら無視できんしなぁ…。
観念してゆっくり振り向いた。
いかにも今までここに用があって仕事をしていました、と言った感じの具合で。
何かお小言を言われるのかと思いきや、ナースの口から出たのは本当に予想外の言葉。
弟さんってほとけのことだよな。
上京してから勝手に俺の家に居候してるけど、互いにほとんど家に帰らないような生活をしている。
一緒にご飯を食べることもなければ、挨拶をすることもない。
とにかく生活リズムが合わないのだ。
最後に話したのが何週間前なのかもパッと思いつかない。
しかもわざわざ病院にかけてくるなんてなんの用だろうか。
急用だったら急いで戻った方がいいだろう。
足早にナースステーションまで戻って伏せられた受話器をとった。
有給は有り余ってはいるが、どうせあと3時間程度で定時だしすぐに家に帰る。
それからでも十分だろう。
ほとけのためだけに早退するのも面倒だしな。
気まずそうな声のほとけの職場の人。
ゆっくり受話器を置く。
あぁ、面倒だ。
はぁ…もういい大人なんだから自分で体調管理ぐらいしてくれよ。
体調の悪い人を見るのなんて病院で十分なのに。
上司に早退する旨を伝え、ビニール袋やタオルを用意してから私服に着替える。
まあまあ高い車を吐瀉物で汚されるのはごめんだ。
お疲れ〜なんてまばらに返してもらいながら医局を出る。
体調不良は誰にでもあることは仕方ないと自分に何度も言い聞かせるもため息は止まらない。
今まで一度も訪れたことのない弟の職場をナビに設定し車をはしらせた。
あぁ、これはやばいかもしれない。
異様な喉の渇きを感じる。
喉が痛すぎて唾も飲み込めない。
これはまずい。
手元にあったスマホの時間を見ると7:45の表示。
やっば…いつもならとっくに家を出ている時間…。
とにかくもう起きないと。
頭いったい…
体を起こすと体の節々もミシミシと油が切れみたいに痛む。
心なしかいつもより吐き出す息も熱い気がした。
これ、体調悪いかも…。
今日って休めるっけ?
スマホでシフトを確認する。
くっそ…今日予約多いのに人全然いないじゃん。
つまり何なのかというと出勤しなければいけない。
自分の都合で休めない、これが社会人なのかと身に沁みて感じる。
医者なんてやってる兄とは違って駆け出しの美容師の僕はお金がない。
もちろん車なんて持ってないしタクシーを使うお金もない。
つまりこんな体調の中電車を使わなければいけないわけだ。
軽く絶望を覚えながらいつもの5倍の時間をかけて身支度を済ませた。
もう職場に着いたころにはかなりやばかった。
来たばっかりだけど早退させてもらおうか悩むほどに。
前から店長が歩いてきた。
カリスマ美容師だかで何度も雑誌で特集が組まれるだけあって、さすがの顔面偏差値。
やっばい、何か一言喋るごとに咳が止まらない。
顔を覗き込まれると男の僕でもドキッとするほどのイケメンっぷり。
無理すんなよ、と僕の頭にポンッと手を置いて開店作業に入った。
これだけ人気なのに、多くの従業員を雇わず大きな店舗展開をしないのは自分の手の届く範囲でお客様全員に満足してもらえる美容室にしたいから、ってことらしい。
おかげで評判は鰻登りだが、その代わり従業員は殺人的に忙しく、滅多に休みがない。
それでも辞めずに人がついてくるのは店長の人柄だろう。
やるしかない…か。
中学から帰宅部で遊びまくって鍛えられた体力はこんな時のためにあるだろう。
異様にだるい体に鞭を打って僕も開店準備に入った。
うわっ…あっつ…しんど…
店長から渡されたマスクに籠った熱い息が自分の顔にかかる。
午前は染料の調合をしたり掃除をしたりなんとか仕事をしていたものの、ソファーに座った瞬間体が鉛のように重い。
頭が規則的にズキズキと痛むし、喉の方に関してはもうほとんど機能していない。
今、昼休みだし、10分ぐらい横にならせてもらおう。
スマホのアラームをかけてゆっくり目を瞑る。右手を額の上に当てると、ひんやりとしていて気持ちがよかった。
店長の声が聞こえて焦って体を起こそうとすると、優しく手で抑えられた。
コンビニのビニール袋がテーブルの上に置かれた。
半透明の袋から透けて中にはおにぎりや栄養ドリンクが入っているのが見える。
このまま寝ていても仕方ない。
午後にはもっと忙しくなるんだから少しでも食べて力をつけないと…。
もたつきながらもしゃけおにぎりのパッケージを剥がす。
全く気が向かないが、まずは一口おにぎりを齧る。
喉、いったい。
本当にいったい。
つい涙が滲んだ。
一旦米を流し込もうと思って栄養ドリンクを喉に流す。
液体物はもっと喉に染みた。
いや、でもせっかく店長が買ってきてくれたし…。
一口食べてあとは捨てるっていうのも勿体無い。
…食べるか。
これ、エネルギーチャージというより喉の痛みとの戦いだ。
何とか全て食べ切った時には、早帰宅選手権を終えた時ぐらいの疲労感がある。
その選択を後悔するのは午後が始まってすぐだった。
うわっ、きもちわるい…
胃がグルグルして、身体中から冷や汗がドバドバと出る。
ヒリヒリと痛むお腹にさっきから定期的に喉まで上がってくる重みのある液体。
一度立ち止まって胃の辺りをゆっくりと摩る。
先輩から染料を入れる用のボールを渡される。
返事をしようにももう声を出す気力も残っていない。
わずがに口から出た返事は先輩には届いていなかったかもしれない。
だるい体に鞭を打って、あとどれぐらいの量が必要か何となく計算しながら染料が保存してある部屋のドアを開ける。
うわっ…匂い…やばっ…はく
一気に体が冷える感覚。
目が回って立っていられない。
絶対吐くな、我慢しろ。
こんなとこで吐いたらやばい。
大丈夫、まだ耐えられる。
頑張れ、僕。
うわっ、ほんとに気持ち悪い。
かなりゆっくり息を吐いてるのに、全然落ち着かない。
熱いものが込み上げてくるのを抑えるのに精一杯。
喉がゴボっと湿っぽい音を立てた。
やばい、でるっ
やべっ、とまらなっ
喉っいたすぎ、
なに、これ
苦しすぎる。
米とシャケ、そのままじゃん。
せめても被害を広げないように自分の服を受け皿にするように広げる。
くるしっ、ふざけんな、
僕、絶対こんな食べてないし。
どっからこんな量が出てくるんだよ…。
ドタバタと聞こえた足音。
そこからはもうされるがままで、気づいた時には着替えさせられ休憩室で横にされていた。
頭の横にはしっかり洗面器が用意されている。
それを抱きしめながら少しでも吐き気が和らぐように横を向いて横になった。
前にいふ兄が気持ち悪い時には横を向いて寝るとよくなると言ってた気がする。
兄と同じような冷たい正論をかました先輩になんとなく懐かしいような気分を覚えた。
先輩がぼくのスマホでいふ兄に電話をかける。
職場にも電話をかけ始めた先輩。
いや、いふ兄が僕のためだけにわざわざここまでくるわけがない。あの極度の面倒くさがりのことだ。
今頃タクシーで帰せないかとかき言ってるんだろう。
それでもやっぱり職場を教えたのは、今はとにかく誰かに助けて欲しかったから。
休憩室に1人残される。
ほんっと…情けない。
喉は痛いし、吐き気も止まらないし、自分1人で帰ることすらできない。
本当に惨めだ。
つい涙が浮かんだ目を腕で慌てて擦った。
いふ兄が来るまでの30分、人生で生きてきた中で1番長かったと思う。
とにかく止まらない吐き気、それに加えて吐けば喉に激痛が走る。
頭も痛いしもう何が辛いのかすらもいまいちわからない。
先輩が小走りで僕に伝えに来ると、そのままお客さんの方にUターンして行った。
忙しいのに申し訳ない。
本当に自己嫌悪だ。
やば…吐きそ…
咄嗟に洗面器を見るともうかなりいっぱいでさらに何かを吐ける状態ではなくなっていた。
トイレまで歩ける余裕もないしこれはまずい。
すると目の前に咄嗟に差し出された袋。
少し目線を上げると久しぶりに見る兄の顔だった。
吐きたい、のに吐けない。
吐きたくて無理やり咳をする。
その度に喉に激痛が走った。
もう出るものがないのかえずくばかりで肝心のものが出ない。
さっさと立ち上がるいふ兄。
ゆっくり背中を摩ってくれるけど、声音だけで乗り気ではないことが分かる。
申し訳なくていなくなりたい。
あー、本当に。
具合悪くて弱ってんのかな?涙まで滲んできた。
袋に顔を埋めたままの僕の体を支えながら車まで一緒に歩いてくれるいふ兄。
高そうな黒い車のドアを開けてもらうと座席にはタオルが敷いてあって、洗面器まで用意されていた。
潤んだ目が見られないように発信した車の中で外ばっかり眺めている。
いふ兄はきっと運転が上手い方だ。
ほとんど車は揺れなかった。
だけど問題は僕。
もともと乗り物類に酔いやすい。
家まではあと30分近くかかるのにすでにかなり限界だ。
息を細く吐いてゆっくり吐き気を逃す。
動かないと吐き気が増す気がしてシートベルトの下で僅かに体を捩る。
いふ兄にこれ以上バレて失望されたくない。
運転席の前についたミラーでこっそり兄の様子を伺うと、バッチリと目が合った。
驚くほどに端的な返事しかしない兄。
もともと必要最低限のことしか言わない人だけど、それにしても口数が少ない。
うっ、いきなり胃が跳ねて抑えようのないドロドロとした液体が一気に逆流してきた。
咄嗟に差し出された洗面器を抱きしめてとにかく口に逆流してきたものを吐き出す。
いふ兄の手が横から伸びてきて背中を摩ってくれる。
ひたすら袋を握って強く目を瞑る。
背中が波打つたびに手に力が入って手のひらにズキズキとした地味な痛みが走る。
兄の無表情な顔からは感情が読み取れない。
なんとか洗面器に全部吐けたものの、車に匂いが充満してしまって嫌な思いをしたかもしれない。
結局自分の中だけでは解決できなくてぐるぐると考える。
洗面器に並々と入った僕の吐瀉物。
僕の方を全く見ずにそう言ったいふ兄。
顔を見ずとも面倒だと思っているのがわかって涙腺の緩んだ目がまた熱くなる。
洗面器を抱えて立ち上がる。
視界がグラグラ揺れてまた気持ち悪くなる。
咄嗟に手に抱えた洗面器に吐けたからよかったもののあと少しで車を汚してしまうところだった。
呆れたような冷たい声色
いふ兄にガッチリ支えられながらエレベーターに乗り、部屋に入るとリビングのソファーで横にされた。
洗面器を用意して、体温計やブランケットなどを僕のために取ってきてくれる。
差し出された体温計を脇に挟む。
横目にそれを見ると、すでに36度台なのにぐんぐんと上昇している。
スマホのライトをつけると僕に口を開けるように指示する。
兄のひんやりとした手が僕の額に触れる。
なんか医者の姿を見ているみたいで変な気持ちになる。
僕が見る前にいふ兄にさっと取り上げられた体温計。
兄の正論が心に深く刺さる。
やっぱり涙腺が狂っているのかそれだけでももう泣きそうだ。
あたまをガシガシかきながら部屋を出たいふ兄。
玄関のドアがガチャリと閉まった音が聞こえた。
ぁあ、もうほんと情けない。
いふ兄の言う通り職場の人にも迷惑かけて、いろんなところを汚して。
邪魔にしかなっていない自分にどうしようもなくムカつく。
激務だったって言っても店長も先輩も、僕より家にいないいふ兄も平気なのになんで僕だけこんなになるんだろう。
もういい大人なのに自分で家を借りるのも体調管理もできなくて、全部いふ兄がやってくれて。
あーやばい、泣きそうだ。
こんな顔、いふ兄に見せられない。
恥ずかしすぎて死ぬ。
落ちつくまでトイレに篭らせてもらおう。
トイレに入って鍵を閉めると個室感が強くて、自分しかいないからさらに涙のブレーキが止まらなくなる。
もうなんのために泣いてるのかもわからない。
お願いだからまだ帰ってこないで。
そんな願いも虚しく数分するといふ兄が部屋に戻ってきた音がした。
足音でリビングに真っ先に入ったのが分かった。
なぜか見つかってはいけない気がして息を潜める。
どんどん声が近づいてくる。
何度もノックされる。
返事もできず、しゃくりあげる音だけが個室に響く。
10、9、8と始まったカウントダウン。
まさか本当に破るわけがないと小さくなってダンマリを決め込む。
え、まじ?
兄の力強い助走が聞こえる。
これは、もうやるしかないと鍵のつまみをゆっくり縦に動かす。
その瞬間にドアが開く。
兄の視線が僕に向いて、数秒、時が止まったように目が合った。
その言葉にまた涙が溢れてくる。
体が温かいものに包まれる。
いふ兄に抱きしめられてるんだって気づくのに3秒かかった。
こんなこと幼稚園生ぶりかもしれない。
ゆっくり背中を叩いてくれるテンポに合わせて息を吐く。
顔をいふ兄の肩のあたりに埋めると、洗剤の匂いがわずかにする。
たしかお医者さんは香水をつけられないんだっけ?
でも具合が悪い今の僕には強すぎなくてちょうど良い香りの強さだった。
はっきりとほとんどのことを面倒だと言い切ったいふ兄。
それでもなんかその言い方がいふ兄っぽくて笑えてしまう。
つづく