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#ワンナイトラブ
「失礼しました」
パタン!
ほぼ一言だけだが
無難な発言もこなせ
目立たぬ普通の社員を演じれた
ほぼ紅茶を啜っていただけだが
カジュアルミーティングは事無きを得た
そう思っていた
その時は
ミーティングを行った会議室を出て
オフィスへ戻る道中
営業メンバーの空気はどこか重苦しかった
「水川さんねぇ……」
「別に良いんだけどね、水川さんだし。ただ補佐といえど営業の看板背負って臨んだわけだからさ、他のみんなの印象にも係わるでしょ?」
私の顔も見ずに
背中で話しかけてきたのは中村さん
その声色から
ひどく不満なのがひしひしと伝わった
「フレックスとか有給とかさ、あれじゃ楽する事しか考えてないみたいに映るよ。まるで労働意欲がないみたいじゃん」
「印象って大事だよ、水川さんだって営業の端くれなんだから分かるでしょ?新経営陣と直接話せる初対面の場だし、今後またいつ訪れるかどうかも分からない貴重なアピールの機会だったんだよ?」
「……」
他の営業メンバーも
否定も擁護もしなかった
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間
私の至らぬ発言で
たった一言の失言で
皆の貴重な機会を台無しにしてしまった
「すみませんでした……ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「そこまで深く考えずに発言してしま——」
「言い訳はいいよ、もう済んだ事だし。覆水は盆に返らないよ」
その声色
その雰囲気
私への失望だけではない
そこには男の嫉妬もあったように感じた
いまいち経営陣の反応が薄かった彼らの会話に対し
妙に刺さり興味と関心を惹いた私の発言
気に入られたと捉えたのだろうか
それとも
私があの場の話題をさらってしまい
自分達の爪痕を消したと捉えたのだろうか
兎にも角にも空気は最悪
オフィスで常に関わりのある人たちから
私は反感を買ってしまった
***
デスクに戻り
思考は内に籠る
(やってしまった……私はいつもそうだ)
(良い事は続かず、悪い事ばかり続く)
(私は本当にダメな人間だ……本当に価値がない)
(補佐如きの末端がみんなの機会を潰してしまった)
時間の経過と共に
自己嫌悪の闇へ堕ちて行く
業務に集中しなければいけないのに
抗う事が出来ない
ああ、まただ……
またここに戻ってきてしまう……
私は一体何なのだろう
私は一体何者なんだろう
産まれた時からそうだった
——聴覚障害
——色覚異常
日常に大きな支障のない軽度とはいえ
私は障害を持って生まれてきた
きっとそのせいで
母は精神を乱した
きっと多大な苦労をかけてしまった
私のせいだ
私がいけないんだ
母が
私を見るあの目が
記憶にこびり付いて離れない
私に
一体何の価値があるのだろう
母にとって
会社にとって
夫にとって
私って必要?
パソコンの画面を凝視しながら
頭は負のスパイラル
その日
それ以降
営業メンバーは
誰も私に話しかけて来なかった
***
今まで
こんなにまじまじと地面を見た事はなかった
下を向いて帰路につく
下向きで歩むいつもの道は
いつもとは違って見えた
ヴヴヴヴ♪……ヴヴヴヴ……♪
下向きのまま
スマホの着信を見る
母からの通話着信
こんな時に限って通話
一寸迷ったが
私はとても出る気になれなかった
ヴヴヴヴ♪……ヴヴヴヴ……♪
一度切れた後
すぐさま再び着信
切れても
切れても
途切れる事のない着信
終わりの見えない着信
(……何かあったのかな)
私は画面をタップした
「どうしたの?出るの遅いじゃない!もうダメかと思ったわよ!」
「ごめんねお母さん、ちょっとまだ外で……」
「あのね、瑠奈。母さんもうダメかもしれない——」
「……」
私は
この時点で
先が見通せてしまう自分が嫌いだ
「——うんうん……で、いくら位必要そう?」
今月はもう無駄な出費はできない
相当切り詰めても持つかどうか
夫も生活費を出してくれない
私は一体何なのだろう
私は一体何者なんだろう
もしも運命があるのなら
これが私の運命なのだろう
きっと
これが
価値のない私には
おあつらえの現実なんだ
人に迷惑ばかりかけ
人を不幸にする
そんな私への
当然の報いなんだ
カンカンカンカン——
茫然自失で
踏切で待つ電車の通過
朦朧とする意識の中で
サブリミナルの様に
こだまする踏切の音
単調な音の連続が
織り成す永遠のリピート
どこか遠く
意識の彼方で
薄っすらと鳴っている
ぼんやりとした靄の中
その音だけを頼りに
私は
無意識のまま
踏切の中へ進入していた
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