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思えばあの頃は、僕の今までの人生の中で、一番色づいていた時期だった気がする。
それからというもの僕と藍沢さんは、できる日は毎日一緒に登下校をして、他愛もない話に花を咲かせた。
暇さえあれば、お互いのところに行って一緒に弁当を食べたり、休日は遊びに行ったり。
僕が初デートで見栄を張って失敗しても、彼女は屈託の無い笑顔でそれを笑い飛ばしてくれた。
ずっと、この時間が続くと思っていた。
ずっと一緒だと思っていた。
だが、その思いも虚しく、僕らの関係は1年で終わった。
彼女が浮気をしたからだ。
最初は些細なことだった。
藍沢さんと予定が合わなくなり、心なしか避けられるようになった。
以前のように一緒に弁当を食べることもなくなった。
そんなある日、街中で見かけてしまった。
僕と違って背が高く、爽やかな印象を振りまく男に、藍沢さんはべったりとくっついていて、僕と一緒にいるときよりも輝く笑顔だった。
些細な疑念は、確信に変わり、気づけばあとを追っていた。
間違いであってほしかったからだ。
僕は2人の入った喫茶店に入り、会話の聞こえる席で2人の会話を盗み聞いた。
「桜子(さくらこ)、ほんとかわいいよな。今まで彼氏とかいたことあんの?」
男の声だ。僕は藍沢さんの答えを聞くまでもなく、なんとなく次のセリフがわかった。
「いないよ、あなたが初めて!だからすごく新鮮なんだぁ」
僕は、予測できていたはずの言葉を聞いて、ひどくショックを受けた。
なら僕はなんなんだ。彼女にとって僕は、
“彼氏”ですらなかったのか?
その後の会話は、聞く気になれなかった。
いや、聞きたくなかった。
僕はもう、それ以上自分を保てそうになかったからだ。
僕はその次の日、彼女に会って、別れを告げた。
なんで、どうしてと彼女に問い詰められたが、僕は「君にはもっとふさわしい人がいる」の一点張りで、理由を言うことはなかった。
彼女に罪悪感で苦しんでほしくない。
そのときはそんな思いで、浮気のことを問い詰めることはしなかった。
「私はとばりっちが一番だよ」と言われたときは、思わず揺らいだ。
なにかのすれ違いかもしれない。勘違いかもしれない。涙が自然に出てくる。
だが僕は知っていた。あのあとの会話が、聞きたくなくても聞こえてきてしまったからだ。
「私の一番はあなただよ」と男に言う、藍沢さんの声が。
僕は走ってその場から逃げ出した。僕を呼ぶ藍沢さんの声を無視して、とにかく走った。
途中で転んで泥だらけになって、土手に転がり落ちた。仰向けになって、空を眺めた。
夕焼けには、カラスが一羽、飛んでいた。
僕がそんなことを思い出していると、1羽のカラスが、僕の目の前に飛んできた。
「なんだ、お前。なんか用か?」
カラスはときどき首をかしげて、僕のことをジロジロと品定めするように、そこから動かなかった。
するとカラスは、カァ!と鳴いて、その瞬間、耳についたデバイスが光を発し、カラスにそれを照射する。
光を浴びたカラスはみるみる姿を変え、人のような姿へと変身する。
カラスは、見覚えのある姿となって、僕に話しかけてきた。
「ありがとう!とばりっち!ウチ、人の姿になれた!」
「お前、誰だよ。なんで、その姿に」
「ウチは、逢引鴉(アイビキガラス)だよ。あなたのパートナー、夕凪鶯(ゆうなぎうぐいす)担当のね」
僕から見たそのカラスは、藍沢さんに瓜二つだった。
肌は日焼けしたように黒かったが、それを考えても明らかに他人の空似とは思えなかった。
声、顔、雰囲気までも、彼女と全く同じだったからだ。
「ウチら逢引鴉はね、惹かれ合う2人が結ばれちゃうと、役目を失ってただのカラスに戻っちゃうの。だから、あなたの記憶に潜り込んで、その中でも最も惹かれた人物になったんだ」
「なんのために」
「ウチのことをとばりっちが好きになれば、逢引鴉としての役目は果たしつつ、ウチはこの姿のまま人間として生まれ変われるの。とばりっちと結ばれることによって、ここから出るっていう裏技の1つ。ウチはこんなとこから出て、人間として生きたいの」
「す、姿が藍沢さんと同じだからって、俺は騙されない。第一、カラスを好きになるわけ無いだろう」
「アイザワ、っていうんだ、この子。アイザワ…アイザ…うん、アイにしよう!」
「なんのことだ」
「ウチのことは、アイって呼んで!名前、欲しかったんだ!よろしくね!」
「だから、俺はお前のことは好きにはならないし、勝手にしろ。」
「えー?まんざらでもないでしょ?ウチはとばりっちのこと好きだよ?」
アイは、座り込む僕の隣に腰を下ろし、肩を寄せてきた。
覗き込んでくる可愛らしい顔を見て、僕はどきっとして、照れているのか顔が赤くなる。
だが、こいつは藍沢さんではないし、僕のことを利用しようとしているだけに過ぎない。
ここから出られるというのは魅力的だが、こいつの思惑通りになるのは癪に障るし、なにより、あり得ない。
それに、僕とこいつが仮に脱出してしまえば、鶯というあの少女はどうなるのだろうか。よくわからないが、確実に出られるという保証はどこにもない。
彼女だけここにおいていくのは、人としてどうかと思った。
僕は、こいつをうまく利用して、ここから出る方法を聞き出そうと考え、しばらくアイと行動を共にすることにした。