「そいつは、今調べてる組織の娘かもしれない」
「え…?」
──予想外の言葉だった。
まさか、そこまでヤバい人だなんて思ってなかった。
……じゃあ、私に近づいたのも、何か目的があったってこと?
あの時、私に話しかけた理由も……
嫌な想像が頭をよぎり、璃奈の顔が曇った。
そんな璃奈に気づかない兄、白輝 輝流が、さらに話を続ける。
「情報が出たんだ。だから、璃奈、お前に頼みたいことがある」
「私にできることなら、なんでも手伝うよ」
璃奈は表情を整え、わざと冷たく煽るような声で言った。
「お兄ちゃんがそう望むのなら、ね」
輝琉の顔は光に反射してよく見えなかったが、声は緩やかだった。
まるで、璃奈の皮肉なんて聞こえていないかのように。
「助かる。──静樹 朱理に近づいてほしい。できるか?」
「うん……任せて。完璧に終わらせる」
「あぁ、期待してるぞ」
そう言い終わると、兄は私を車に乗せた。
「どこか行きたいところあるか?」
「ない、いや……あそこに」
「お前、そんなにそこが好きなら、いっそ住めば?」
璃奈がさっき煽ったせいか、今度は兄が煽り返してきた。
けれど、悪意があるわけじゃないと璃奈には分かっていた。
「それも……いいかもね」
淡々と返す璃奈に、輝琉はそれ以上何も言わず、車を動かした。
──お兄ちゃんは、私に優しい時、必ず裏に目的がある。
それに、母の前ではいつも優しいフリをする。
そんなことにはもう慣れてるけど、時々、兄の優しさが気味悪く感じる。
それでも、たまには甘えてしまう私を、兄はまるでお人形を愛でるように喜ぶんだ。
──目的、果たせて良かったね……お兄ちゃん。
温かい車の中で、私は静かに眠りに落ちた。
*
夢を見た。
懐かしくて、怖くて、曖昧な、あの記憶。
あの頃の私は、誰の前でも元気で、この世界が大好きだった。
ある日、誰かにこう言われた。
「まっすぐ行って、右に曲がって、狭いところを通れば、お菓子がもらえるよ」
疑うこともせず、私は信じて、小さな女の子と一緒にその場所へ向かった。
でも、そこに公園なんてなかった。ただの空き地だった。
その時、不意に、女の子のほうへ車が突っ込んできた。
咄嗟に、私はその子を押して、代わりに轢かれた。
──衝撃とともに、目が覚めた。
全身汗だらけだった。そんな私を、兄がちらりと見て言った。
「悪夢でも見たのか?」
「うん……ちょっとね」
この夢は何度も見たけれど、何度見ても慣れない。
あれは間違いなく、私にとって最悪の記憶だった。
それでも……私は、あの時の運転手の顔に、どこか覚えがあった。
逃げた運転手は、今も捕まっていない。
──まあ、当然か。この世界には三十億人もいるんだもの。
「お兄ちゃん」
「なんだ」
「事故の跡って、やっぱり消えないんだね」
私は無意識に、おでこの傷跡に触れた。
「医者がそう言ってるだろ」
「ついたぞ。さっさと降りろ」
「うん、ありがとう」
私は兄を振り向かずに、父の墓へ向かった。
──私は、誰も知らない兄の秘密を、たくさん知っている。
例えば、皆が尊敬していた父を、兄が心の底で憎んでいたこと。
家族に隠しても、ずっと一緒にいた私には、隠しきれなかった。
だから、兄は私のことを……とても嫌っている。
「お父さん、会いに来たよ」
私は墓に向かって、静かに語りかけた。
「お父さんは、私に会いたかった? 私は会いたかったよ」
しゃがみ込んで、墓石に刻まれた名前をなぞる。
──白輝 隆宏。
父は、有名な医者だった。
手術を四日間も寝ずに続けた後、私の事故に駆けつけ、また手術してくれた。
そして、そのまま、過労で亡くなった。
家族は、私を責めなかった。
だって、家族は、心のどこかで父の死を望んでいたから。
「お父さん、世界中があなたを嫌っても、私は好きだよ」
私はそう呟いて、立ち上がった。
車に戻ると、兄は言った。
「次は、一人で行け」
「うん」
無感情に頷いた。
父が死んだ日、私は家族への感情も失った。
母は私を束縛し、兄は私を操り人形にした。
普通だったのは、父だけだった。
だから、父が死んだ日は──私にとっても、命日だった。
幸せそうに見える家庭の裏には、想像を超える醜さが隠れている。
表ではどれだけいい人に見えても、裏では何をしているか分からない。
──。
あなたの裏側は、どんな顔をしているの……?
考えれば考えるほど、ネガティブな想像しか出てこなかった。
だから、考えるのをやめて、スマホを取り出す。
ちょうど、目に入ったニュース。
《ある組織が不明の薬を五十人に配布し、全員即死した》
同時に、兄のスマホが鳴った。
ちらっと画面を見ると、警察官で兄の友人、清水 蓮《しみず れん》からの着信だった。
兄はその名を見るなり、すぐに通話を切った。
「出ないの?」
「出てどうする」
「大事なことかもしれないよ?」
「事件に関係ないお前に聞かれたら、まずいだろ」
その一言で、私は何も言えなくなった。
──確かに。事件に関わる話なら、私が口を挟むべきじゃない。
……事件。さっきのニュースのことかも。
それとも──静樹 朱里の家族に関係することかも。
そう思った瞬間、なぜか、胸が重く沈んだ。
自分でも、理由は分からなかった。
コメント
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「完璧に終わらせる」って璃奈が言ったところが太文字になってる!!!何故なのかちょー気になるんだけども!!!続き待ってます!