テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
634
⚠︎放オリ軸。
同時期に投稿された作品とのネタ被りがありますが、意図したものではないことをご了承ください。
=====
人もまばらになりつつある教室で、ひとつ大きなあくびをする。春が近づくにつれて日も徐々に長くなり始め、まだ落ちる気配のない太陽が俺の真横から照りつけている。
その中途半端な陽気のせいか今日は特に頭のてっぺんからつま先までぬるい眠気に包まれており、もはや席から立つ気も起きない。このままひと眠りしてやろうかな、なんて考えながらぼうっと窓の外を眺めていると、視界の端にピンク色のカーディガンがちらついた。
「あれ、今日は部活無いんだ?」
「んあ? あー……今日は周央先輩ももう片方の部活があるらしくってさ。ちょうど週末だし、明日まとめてがっつりやるかーって感じになってんの」
「あぁ、演劇同好会やっけ? 先輩が兼業しとんの。大変やなぁ」
「んね。こっちは半分ノリでやってるようなもんなのに」
「ひどいっ! アタシのことは遊びだったっていうのね!?」
「ノータイムで茶番入んのやめてくんね??」
わっと両手で顔を覆うウェンに苦笑しながら、俺は辺り──主に床の方を見回してみる。
お察しの通りテツを探しているわけだが、どうやら今はこの場にいないらしい。何か用事でもあったんだろう、そりゃあいちいち行動の全てを俺に報告する義務なんて無いのだし、こういうことだってあって当たり前だ。
不審にも床をじっと眺める俺に気付いたマナは、前の席の椅子に逆向きに座ると、心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。
「なぁ、リト」
「うん?」
「もしかしてテツ探してるん?」
「え? ……もしかして、いる?」
再び視線を床に落としながら、俺は恐る恐る聞いてみる。もしテツがこの場にいるんだとしたらそれはとんでもなく失礼なことだ。テツからすれば今の俺の行動は、目の前に立っているのにも関わらず、まるで見えていないように扱われていることになるだろうから。……いや、実際見えていないんだけど。
「……ううん、いないよ。なんか用事があるんだってさ」
「そっか。──はは、用事くらい教えてくれりゃいいのにな」
「あ、あぁ……ホンマになぁ」
ウェンは上手く誤魔化しているがそれに合わせるマナの表情で分かってしまう。
多分、テツはここにいるんだろう。マナかウェンの後ろに隠れているか、それとも死角で見えないかで、俺が認識できていないだけで。
……マナは嘘をつくのが下手だ。とりわけそれが、身内相手にやましいことがあるときに限っては。
2人が俺に何を聞きたいのか、どうしてテツが何も言わず俺から隠れているのか──それもなんとなく察してしまって。ここまでお膳立てされないと本音で喋ることもできない自分が情けなくてたまらなくて、自嘲する。
「なあ、……テツのこと、なんだけど」
「……っお、おん。どうした? 本人のいないところでしか言えないことでもあるん?」
「ふ、いやそれがさあ……あんのよ。ていうかね、多分本当は、本人にだけ言わなくちゃいけないようなやつ」
「……それ、僕らが聞いていいの?」
「うん。逆に、お前らだけに聞いて欲しいの」
その『お前ら』の中には当然、テツも入っているんだけど。
あくまで気付いていない風を装うため視線を彷徨わせていると、ふと鞄に入れ損なった台本が目に入った。それは東堂先輩のこともあって短編上演となるためいつもより薄く、マーカーで印を付けた台詞も少なく──そして、綺麗だった。
いつもはそう、王子様や勇者みたいな主役級の役ばかり回ってくるものだから、何度も何度も繰り返し読み返しては気付いたことや演じる上での注意を書き込んで、本番が近づく頃にはぼろぼろになってしまっているのに。今回の台本は皺も汚れもほとんどなく、笑ってしまうほどに綺麗なままだ。
テツの名前が出た途端張り詰めた空気に居心地の悪さを感じながら、俺は努めて明るく、軽くなるよう声を作った。
「──テツはさ、多分、俺と一緒にいない方がいいと思う」
は、と間抜けな声を上げたのはマナだろうか。頭の奥でずっと耳鳴りがしているせいで分からない。
結論を急ぎすぎて短絡的な言い方になってしまった自覚はある。というか、あえてそう聞こえるように言った。だから俺は軽薄な調子を崩さないように誰とも目を合わせないまま、台本のページをぺらりとめくる。
「今まで、王子様演じるのってやっぱ俺ばっかりで……たまに先輩たちにも任せてたけどさ、それでも『似合ってるよ』ってテツも言ってくれたから、満更でもなかったんだよ。正直。……でもさあ、今回初めてテツの演る王子様見て──ああ、こんな才能を奪ってたんだな、俺。って、恥ずかしくなっちゃって」
「……そんな。テツの王子様もそりゃ最高やろうけど、リトの王子様がめちゃくちゃかっこええのも変わらんやん。それにテツだって──、」
「うん。納得してた。テツも……俺も。最低でもお客さんに見せなきゃいけないもんだからさ、手ぇ抜いたつもりはないし、恥じない演技をしてる気でいたよ。つか今もそれは変わんない。……そこじゃねえのよ。なんていうか──ああ、なんて言えばいいかなぁ……」
残念ながらボキャブラリーに富んでいるとはお世辞にも言えない俺の脳内では、それに相応しい単語を弾き出すことができない。俺がこめかみを押さえて自分の感情をどうにか成形している間、誰も何も言わずにそれを待ち続けていた。
……気まずいな、こんな空気にしたくないからこそ俺は頑張ってヘラヘラしているのに、今は何だかそれが空回って痛々しさすら漂っている。
このままでは、この狭い教室の空気はどんどん重たくなっていくだけだ。ギリギリまで追い詰められた俺の頭は、そこでようやく適切な言い回しを思いついてくれた。
「あ──のさ……憑依型、ってあんじゃん。演技する上でのなんか、方向性? みたいなやつ」
「あー……カメレオン俳優、みたいなやつね」
「そうそう。テツはさ、めちゃめちゃそれなのよ。もう、自分っていう存在を一回無かったことにして、役そのものになりきっちゃうっていうか。……んで、あるか分かんないけど、俺はその逆の形なの。脚本とか演出とか考えて、ここはこういう感じで演技するんだなって頭に入れてから、それに従って演じる……みたいな」
「……なんちゅうか、めちゃくちゃロジック型やな。そう聞くと」
「そう。俺ロジック型なのよ。3年も付き合いあったらさすがに分かってると思うけど」
「ん、あんま調子乗んなよ??」
マナに凄まれ、大袈裟に肩を抱いて怯えてみせる。良かった。苦心の甲斐あって、少しは調子が戻せたらしい。
──テツが憑依型だ、というのは、言語化できていなくともずっと前から考えていたことではあった。愛嬌のある三枚目から悍ましくも美しいヴィランまで虹色の演技を見せるテツは、一度ストップの声がかかればけろりといつもの調子を取り戻す。
その変貌ぶりが俺にとっては羨ましく、そして同時に恐ろしかった。
だって、一秒前までは血の滴るような狂気の相貌をしていたのに、瞬きの間にあの気弱な青年へと変わる様を見てみると、まるで──本当の彼なんていないんじゃないか。普段俺がテツだと思って接しているのは、無数にあるペルソナのうちのひとつなのではないか、なんて風に考えてしまうから。
そして俺は数日前、テツが蛙に変わってしまった日のことを思い出す。あのときも確か、テツの堂々たる王子様の演技に圧倒されたあとで、個人練習に付き合ってやっていたんだった。
俺はちょうどその練習していたページを出して軽く目を通してみる。そんなことはしなくても、内容は台詞の一字一句まで違わず頭に入っているんだけど。
「知ってたんだよ、あいつにやれない役とか無いんだって。だからテツを王子様役にって推薦したのも俺だし、……ラストを変えませんかって提言したのも、俺なわけ」
「……それはなんで?」
「んー……なんでだろ。自分でもよく分かんねえけど、王道な展開、にしたかったのかもな。ほら、テツと周央先輩ってコミカルな役やりがちじゃん。題材が題材だから内容もわりとギャグっぽいノリだったりするんだけどさ、この2人だからこそ、最後はうんとロマンチックに結ばれて欲しいなって思ったんだよ」
多分な、と濁して締めると、マナとウェンは複雑そうに顔を見合わせた。そんな顔されてもこれは言い訳でも何でもない俺の本心だし、自暴自棄になっていたわけでもない。
初めての本読みのときテツに憑依した、普段とは全く違うオーラ。爽やかさとか、強引さとか、蛙になっても滲み出る高貴さとか──そういうのに気付いてしまったから、もっと活かせる方法があるはずだと思った。
だからつい、深くも考えずに提案してしまったのだ。「これ、ラストちゃんとキスする流れにしたらどうですかね」なんて。
別に、自分とは違う人と結ばれるテツを見て悲観したってわけじゃない。ただシンプルに、テツという王子様を輝かせたかった。本当にそれだけだった。
なかなか本題に入ろうとしない俺に痺れを切らしたらしいウェンが「だからさぁ、」と両手を組んで前のめりになる。
立て付けの悪い机が、ガタンと揺れる。
「結局、それがなんで蛙と繋がんの? なんでリトには、テツが蛙に見えるようになっちゃったの?」
「、それは……」
「ウェン。リトやって本人のペースってもんが──、」
「や、ごめんマナ。いい。言い渋るようなことじゃねえし。……そのさ、個人練で……主にキスシーンの練習、に、付き合ってたときのことなんだけど」
──その瞬間、カチャ、と硬質なプラスチックの擦れる音がした。思わず音の方に目を向けるが、教室には相変わらず誰もいなければ、何もない。
テツだろうな、と思った。さすがに自分のキスシーンについて語られるのは恥ずかしいんだろう。でも許して欲しい。俺はこれから、もっと恥ずかしい話をしなければならないんだから。
「……あのときはテツが『周央先輩相手だとどうにも緊張しちゃうから』って言うからさ、まずは俺で練習するか、ってことになったんだけど──もうね、全然駄目。あいつ緊張しすぎて体ガッチガチだし、目ぇギュッて瞑っちゃうし、顔真っ赤にしてぷるぷる震えてて……可愛いけど、こんなんお客さんに見せらんねえわってなって。……いやほんと、すっげえ可愛いんだけど」
当時の光景を思い出してついニヤけてしまい、それを見たマナは眉を顰めながらウェンに耳打ちした。
「……ウェン、今俺ら急に何聞かせられとるん? クセ強めの惚気?」
「え、分かんない。ワンチャン聞かなくていいやつか? これ」
「ごめんって。こっから本題だからもうちょっと我慢して聞いてくんない?」
な、と両手を合わせると、2人は渋々椅子に座り直してくれた。友達の痴情のもつれの話なんて相当気まずいだろうに、聞いてくれるだけありがたいと思わなくちゃな。
ごほん、とわざとらしく咳払いをして、俺は話を続ける。
「どこまで話したっけ。……ああ、それで……あれ、おかしいなって思ったのよ、俺」
「おかしい?」
「うん。本読みのあと一回通しで動きの確認だけしたんだけどさ、そのときはなんか……ただの立ち位置とト書きの流れを確認するだけだったのに、やけに様になってたっつうか。衣装も背景も無いし、何なら台詞も台本見ながら飛び飛びでって感じだったのにさ。
先輩の目を見ながらエアーで顎を掬って、くいって首傾けて、目ぇ瞑って……ゆっくり開いたあとにさ、笑ったんだよ。あいつ。『今の私は、貴女の目にはどう映りますか?』って、それだけの台詞言いながら」
ト書きにわざわざ『(微笑みながら)』なんて書かれていたわけじゃない。先の台詞──例えば俺だったら「本当に元の姿に戻れたのか」「元の姿に戻れたとして、姫のタイプじゃなかったらどうしよう」と不安になって、そっと相手の様子を伺うように恐る恐る聞くだろう。けれどテツはまるでもう恋に落ちてしまったあとのように、愛おしい人の姿を目に焼き付けるように、柔らかく笑ってみせたのだ。
こういった静かなシーンで必要になってくるのは、演技や演出で作り出す緩急だ。渋る姫をどうにか説得する歌のパートのあとはキスシーンまでしっとりと進め、件の『今の私は、貴女の目にはどう映りますか?』という台詞を皮切りに華やかなラストまで一気にギアを上げる。
ラストシーンに入る直前の台詞となると、謂わばこの演目で言う落ちサビのようなものだ。その重要な台詞でテツは、一気に自分の世界に引きずり込んできた。
誰にでも真似できる芸当じゃない。大体、元の台本では「いよいよキスをする、と静まり返らせてから直前で『やっぱり無理!!』と絶叫する」ことで落ちとする場面だったのだ。それを俺の提案でキスシーンに変えて初めての合わせだった。
読み込みも甘い台本の台詞だけで内容を解釈し、それを自分の演技に落とし込む。言ってしまえばそれだけのことだが、実行するとなると話は別だ。そもそもこんな無茶を形にするには演技というものへの慣れと、イメージしたものに説得力を持たせるための技術が要る。
当たり前だが、テツは普段からそんなにキザな真似をするタイプじゃない。つまりあの飄々とした王子様像は、その場の急拵えのものであるはずだ。
あれは『憑依型』なんてひと言で表せていいものか、と俺は疑問に思ってすらいる。
「……うわ、なんか、想像しただけでやばいわ。魔性やん、そんなの」
「いや、そうなの! そうなのよ。先輩は台詞返したあとすげえ淡々と次のシーンに移ってたけどさ、俺はもうしばらくドキドキしちゃって集中できなくて、出番すっぽかしそうになったくらいで。……それなのにさ、俺相手だとああやって、急に──……テツに戻っちゃうんだよ」
「あー……はいはい、なるほどね。なんか分かったかも」
ウェンの相槌はいつものように適当だが、今回ばかりはきちんと伝わっていることだろう。何せ、2人にとっても見慣れた光景であるはずだから。
あのとき見た恐ろしいまでの演技の才能と、それができなくなってしまった愛らしい姿。どちらもこの上なく愛おしくて、どちらも自慢の俺の恋人だ。
──けれど、悲しいことにそのふたつは、とてつもなく相性が悪かった。
「テツはさ、ほんとはすげえ奴なんだよ。気遣いもできるし、意外と度胸あるし、料理も上手いし、あと……声も良いし。多分普通に女の子と付き合ったら、あいつの言ってる──スパダリ? っていうのになるのも難しくないと思うんだよな。……だから、テツの本領発揮させられんのは多分、俺じゃねえの」
「……っ、」
どこかから、息を呑む声がする。
またテツなんだろう。随分と酷なことを言ってしまっているけど、これも俺の本心だ。
「じゃあリトは、テツが他の子と一緒になってもいいの?」
「そこね。……正直、それが一番の問題なんだけど」
こちらをじっと睨めつけるウェンに斜めな視線を返してやる。台本は、蛙と姫のキスシーンを開いたままだ。
「──嫌なんだよなあ、それは。前も言ったけど俺、テツと両想いになれたの本っ当に嬉しくてさ。俺はテツのこと超好きだし、テツも俺のこと好きでいてくれるって考えると……うん。やっぱ、絶対離したくない」
「ふうん。テツのこと幸せにしてやれるのは自分じゃないって思ってるくせに、手放す気は無いんだ?」
「無いね。だってヤダもん。テツが他の誰かとふたりでいるとこ見るの」
「え、俺らでもあかんの?」
「それは…………いや、まあ、たまに……」
そっぽを向きながらごにょごにょ誤魔化すが、しっかり聞こえていたウェンは「え、気まず」と笑っている。この場合俺が悪いがもう少しオブラートに包んでくれてもいいんじゃないか?
自分でも狭量だと思う。俺はこんなにもネガティブで重くて嫉妬深くて、おまけにそれを本人に直接話す度胸もない。
痛いほどに、狂おしいほどに、理解してしまった。あいつを蛙の姿から救うのは自分ではないと。テツという王子様と結ばれるべきなのは、間違っても自分ではないと。
「……とか言ってるから、魔法使いか何かが無理矢理呪いでもかけたんじゃねって思ってさ。俺と意思と関係なく、テツから離れられるように」
「それが、テツが蛙に見えるようになった理由?」
「まあ、全部俺の想像だけどな」
そう俺が頷いてからは、また誰も喋らなくなってしまった。きっと皆考えることは同じなんだろう──手詰まりだ、と。
この件に関しては、もうすでに俺の中で結論が出てしまっている。つまり、俺はテツから離れるしかないのだ。
だってそうだろう。テツを本当に輝かせられるのは俺じゃない。知っている。でもどうしたって手放したくはないし、でも、今俺にかかった呪いは『かえるの王子様』の魔法使いも青ざめるようなひどい荒治療で。
諦められないなら、諦めさせるしかない。そんな投げやりな意図さえ見て取れた。
手持ち無沙汰となった俺は台本のページを一枚めくって、ラストもラスト、最後の場面転換にてようやく巡ってくる自分の登場シーンを読み返してみる。
蛙の姿にさせられていた王子様は元に戻り、姫は王子様と婚約し、何もかもが終わったあとでやってくる『忠実な従者』。弾けた際に馬車の車輪が壊れたんじゃないかと不安になるほどの頑丈な鉄の帯は、果たして王子を心配する気持ちだけを押し込めていたものだろうか。
少なくとも、俺の演じるハインリヒはそうじゃない。
「……前にウェンが、『ハインリヒが報われない』って怒ってくれたよな。俺のことじゃないってのは前提として、嬉しかったけどさあ……多分ハインリヒも、そんな殊勝な奴じゃないと思うんだよな」
「……どういうこと?」
「あくまで俺の解釈なんだけど、──ハインリヒは多分、逃げただけなんじゃねえかな。敬愛する王子が蛙になったショックとか、それを戻してあげられるのは自分じゃない無力感とか、その事実から目を逸らしてる罪悪感とか。だってそうでもなきゃ、蛙になったとは言え一国の王子がお付きも無しに他国の領地で水浴びなんかしてるかよ」
「言われてみれば……そうかも?」
「だろ? 保身のために自分の仕事も投げ出して、お姫様と結ばれることになったらのこのこ迎えに来て、そんで……勝手に満足して、鉄の帯も弾けて。そりゃあそんな卑怯者、王子様は相応しくねえよな」
「……じゃあ、王子様が選ばないのも納得かぁ」
「っ、せやけど……」
マナが耐えきれずに口を挟んだが、やっぱり後に続く言葉が見つからずに黙ってしまった。こんなにも親身に寄り添ってくれるマナに感謝すると同時に、妙なことに巻き込んで申し訳ないとも思う。でも、ここ数日で散々苦しんだのだからせめて友達にくらいは吐き出してしまいたかった。
オレンジ色に染まりつつある教室で、ウェンは相変わらず何を考えているのか分からない表情でこちらを見ていて、それからテツは──、
「……──リトくんさぁ。俺がいるの、気付いてるだろ」
「ああ、うん」
事も無げに返すと「いい性格してるね」と呆れたように笑われるが、察した上で俺の独白を最後まで聞ききったのはテツの方だ。「お互い様だろ」なんて軽く返して、辺りを軽く見渡す。俺の親指ほどの小さな体は相変わらず床のどこかに張り付いているらしく、ただでさえ視力の悪い俺の目では見つけることができなかった。
マナとウェンは驚いた表情で俺と、おそらくテツの顔を交互に見ている。俺は緊張を悟られないよう視線を机の上に落としながら次の言葉を待った。
「言い訳は? あるなら聞くけど」
「は、何を弁明することがあるんだよ。俺の言いたいことはあれで全部」
「……きみねぇ」
呆れたようにため息を吐かれるが、だって本当に何もかも言い終えたところだ。テツは俺と一緒にいない方が実力を発揮できるし、それでも俺はテツと離れたくない。俺の解釈ではハインリヒは現実逃避をしているだけで、可哀想なくらい今の俺にお似合いの役柄だ。
きゅっ、と硬質な床の上でソールを滑らせる音がして、猫のように軽い足音が徐々に近づいてくる。ウェンの後ろから現れた蛙は俺の前で立ち止まると、机の上にぴょこんと飛び乗った。
テツは目に見えて苛立っているようで、指先に球のついた手で机をコツコツ叩きながら俺が何か言い出すのを待っている。とりあえず何か言わなくては、何か──そう見切り発車で開かれた俺の口は、テツの言葉によって縫い留められてしまった。
「リトくんはさ、僕がどんな気持ちできみに抱かれてるか考えたことあんの?」
「………………は?」
────あまりに突飛なことを言われたものだから、随分と反応が遅れてしまった。
というかまだ受け入れられてない。なんて言われた? 俺。
「なに、聞こえなかった? じゃあもう一回言うけど、僕がどんな気持ちできみに──」
「わ、分かった! いや聞こえたから!! んな何回も言わなくても……!!」
「あっ……お前らってそうなんや……いや、なんかごめんな? 部外者が聞いてもうて……」
「変なこと聞かせて申し訳ないとは思ってるけどそう思うなら黙っといて欲しかったなぁマナ!?」
「不潔〜。特にリトセク」
「いやもうほんと勘弁してくれって。謝ってんじゃん。何? 俺が悪いのこれ??」
「悪いだろ」と口を揃えて詰められ、俺は年甲斐もなく大声で喚いてしまいたくなった。
四面楚歌ってこういうことを言うんだろうな。まさか自分がそんな状況に置かれる日が来るだなんて思わなかったよ。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるマナとウェンをどうにか宥めようと必死な俺と違い、テツは涼しい顔でこちらを見上げている。くそ、どういうつもりなんだよお前は。
「ちょっ……テツ! ごめんって! 考えたことない! あるけど!! ほんとはあるけど、ちょっと先に話進めてくんね!?」
「はぁ。まぁいいけど……つまりさ、そんなふうに考えてるのが自分だけだと思うなよ、って話なんだけど」
「……?」
いつも騒がしいテツの静かな声は妙に迫力があり、俺たちは示し合わせたように黙ってしまう。ウェンとマナの視線はテツの方へ向き、またすぐに俺の方に戻ってくる。
テツは今、どんな顔で俺を見ているんだろう。
「誤解を招く言い方したのはね、ごめんわざと。きみも同じ手法やりやがったからその仕返し。……でもさ、本当に考えてみて欲しかったんだよ。僕がどうしてきみと恋人になることを選んで、こうして今も一緒にいるか」
「……え、と、」
「分からない? 多分きみと同じなんだけど」
ギッ、と机の軋む音がして、落ち着いた息遣いが耳のすぐそばで聞こえる。テツが机の上に身を乗り出したんだろうとは分かるけど、俺から見たテツは相変わらず微動だにしていない。
横に長い真っ黒な瞳が、じっとこちらを見上げている。
「きみが好きだからだよ」
──その声は、ほんの少しだけ震えているような気がした。
「……そりゃあさ、僕だって好きな人の前ではかっこつけたいし、舞台に立ってるときくらいは王子様にも冒険者にも英雄にもなりたいよ。それが……リトくん相手じゃ叶わないって分かったのも、中々にショックではあったけど」
「っじゃあ、なんで──、」
「なんで? それもさっききみが言っただろ。僕だってリトくんと両想いでいたいし、離したくないからだよ」
さも当然というように言われても、こちらはお前の発言がいちいちかっこいいせいでひとつも入ってきてないんだが。
赤くなった顔を見られたくなくて両手で覆い隠そうとするのを、見えない手で阻止される。
どうしよう、どこ見ればいいか分かんない。お前はどんな気持ちで俺を見てるんだよ、テツ。
「ねぇ、僕も同じなんだって。……どうしてもきみが良かったんだよ。男同士だからとか、釣り合ってないとか、演技に支障が出るだとか……知ってるよ。言われなくても分かってる。きみを幸せにできるのは僕じゃないなんて百も承知で、どうしても僕のものにしたかったから、だから告白したんだ」
「テツ……」
「……だから抱かれてやってるんじゃないか。きみに少しでも多く傷を残してやりたくて、どうせなら女の子なんか抱けなくなっちゃえばいいと思ってるし、僕のせいで性癖めちゃくちゃにしてやろうと思ってるし」
「テツ……??」
何だか急に不穏になってきた。
テツはこの期に及んで未だ視線の合わない俺に我慢できなくなったのか、突然顎を掴んで上を向かされる。そうしたところで俺からテツの姿は見えないし、きょろきょろと視線を彷徨わせるうちに苛立ちを隠そうともしない舌打ちが聞こえた。
俺の額に、おそらくテツの額がごつんとぶつかる。
「……なんで何も相談してくれなかったんだよ。せめてラストのシーンをアレンジしようと思った理由さえ教えてくれたら、そしたら僕にとって最高のお手本であるきみに夜通し愛を囁いてあげても良かったのに……」
「そんなことされたら俺死んじゃうんだけど──いや、は? ってことは、俺思い浮かべながらあの演技してたのかよ……!?」
「あ。……いや、ほら……イマジネーションってあるじゃない?」
「お前今すげえ適当に喋ってるだろ。……じゃあテツには、普段の俺がああいうふうに見えてるってこと?」
「…………黙秘します」
その言葉を最後に顎を掴んでいた手はぱっと離れていき、机の上に乗っていた蛙もぴょんと床へ逃げていく。どこに行った、是が非でも探し出して問い詰めてやる。
いや……いや確かに、こいつにキスをしたあとはよく『可愛いな』と思って笑ってしまうことが多かったけど。まさかそれがあんなふうに見えているなんて思わなかった。
マナとウェンにも聞かせた通り行くところまで行ってるんだ、俺たちは。もうキスなんて呼吸するより簡単だろうに、テツはいつまでもまぶたをぎゅっと瞑ってしまうし、耳まで真っ赤に染めてぷるぷる震えて、それが愛おしくてたまらなくて。
──ああ、そうか。
そこで俺は、やっと気付く。あのときテツが思い浮かべていた……つまり参考にしていた『王子様』は俺だったから、だから思うように演技ができなかったのか。
だとしたら、テツからすればあれは謂わばご本人登場みたいな感じなんだろうか。それは……かなりやり辛いな。申し訳ないことをした。
「テツ〜? どこ行った、『きみを幸せにできるのは僕じゃない』なんて二度と言えないくらい構い倒してやるから出てこいよ」
「やだね!! それを言うならリトくんだって、『テツを本領発揮させられるのは俺じゃない』とか好き勝手言ってくれちゃってさぁ! じゃあやってやるよきみの前で! 僕だってきみに似合いの王子様くらいできらぁ!!」
「よし見っけ」
「アやっべぇ声出しすぎた!!」
逃げ惑いながら大声で叫ぶ馬鹿がいるか。いるな。それがテツと俺だ。全く揃いも揃ってこれだから困る。
俺は床に這いつくばった蛙を捕まえたつもりだったが、どうやらテツの踵だけを掴んでしまった状態らしくそのまま後ろに倒れ込んできた。俺からすれば羽根のように軽い身体がじたばた暴れるのを両手で抑え込みながら、俺らって何だかんだお似合いなのかもなあ、なんて呑気なことを考える。
「おーい、仲がええのは結構やけど、ここ一応教室やからあんま暴れんとってな〜」
「……つうかさ、結局なんも解決してなくね? リトとテツが仲直りしただけで、テツがリトルなカエルなのはそのまんまじゃん」
「あ、ほんまや。どうするん?」
そういえば、それもそうだ。ウェンの発言によって振り出しに戻りかけた俺たちだったが、1秒後にスパーン! と開け放たれたドアにより、一気に解決へと向かうことになる。
「話は聞かせてもらったにょーーッッ!!!」
「こんにちは〜」
天使のラッパのように一切淀みのない絶叫、そして天使のハープの音のように可憐な挨拶とともに姿を現したのは、周央先輩と東堂先輩だった。
「せっ、先輩方!?」
「どうしてここに……!?」
「んふふーっ。だぁって後輩ちゃんたちが部活に来るたんびにむずかしそ〜な顔でうんうん唸ってたもんだからさぁ、こりゃンゴちゃんたち先輩が一肌脱いであげないとって思って!」
「あ、ちなみに私たちは今日他の部活お休みで〜す」
「ねー」と顔を合わせる2人はいつも通りとても仲が良さそうで何よりだ。いやそれはいいんだけど、そうじゃない。
「えっ? ってことはもしかして、今日の放課後はまるまる練習に充てられる時間だったってことですか……!?」
「うん。実はねー。でもさでもさ、佐伯さんも宇佐美さんも最近なんか心ここに在らずって感じでどんよりしてたからー……コハちゃんとお話して、心配事の方から何とかしてあげようってことになったんだよねー」
「そうそう。それで、実は教室の外からほとんど聞かせてもらっちゃってました。ごめんなさい」
「あ、や……お見苦しいもん聞かせちゃってすんません……」
「いーよー。カワイイ後輩ちゃんたちのためだもん」
「せんぱぁい……!」
先輩方の海のように広い心に、テツが感動のあまり目に涙を浮かべている。すごい。蛙が泣いてるとこって初めて見たかも。
わざわざ後ろ手にドアを閉め直しながら教室へと入ってくる先輩方へ、マナとウェンは手前の椅子を引いて恭しく2人を座らせた。もちろん俺とテツは立ちっぱなしだ。
「……それで、俺らはどうすればいいんすかね……?」
「えっとね、まずはこれを読んで欲しくてー……」
そう言うと、周央先輩は肩にかけていた鞄からピンク色のルーズリーフを取り出す。それは『ミュージカル同好会』の活動のときに使っている、手書きの台本をまとめておくものだったはずだ。
周央先輩は表紙を開けて一番上、まだリングに通してもいない紙──ノートのページを破ったものらしく、裏側には中等部の板書が透けている──を俺たちの方へと差し出した。
「これって……脚本のプロット?」
「うん。今ガッと書き出したやつだから雑なんだけど、『特別公演』用に今回の台本を短くまとめたやつ!」
「……特別公演?」
声を揃えて首を傾げる俺とテツに、周央先輩と東堂先輩は揃って腕組みをしながら不敵な笑みを浮かべている。俺たちが言うのも何だけど、この2人は本当に日常動作のひとつひとつが演劇のワンシーンのようで見ていて飽きない。──なんて、先輩に言ったら怒られてしまうだろうか。
「先輩方のことだ、きっと何とかしてくれるだろう」という安心感と、「先輩方のことだ、どんな無茶振りをしてくるか分からないぞ」という不安が同時に押し寄せてきてどんな顔をすれば良いか分からない。それはテツも同じらしく、実体にしてはやけに大きな影の中で心許なさそうにこちらを見上げてきていた。
暖かな春の夕焼けが照らす教室で俺とテツがヤケクソとも言う覚悟を決めたのは、ほとんど同時のことだった。
コメント
15件


褒める言葉が溢れ出てなんかもう求婚する事しか出来ないのですが!?いつも最高品質の作品をありがとうございます🙇どうしようもなく好きです
まじで天才すぎてえっぐい…(動揺)