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炎蔵が|孵《かえ》ってから早5年。家族で一番の長身に育ったが、その成長はまだ続いている。なにより老いの気配がないのは喜ばしい。
その代わりなのか、父親の額が少し後退をはじめたのが気になる。
炎蔵と弟の背がメキメキ伸びているわりに、私の成長は微増どまりだった。
すでに炎蔵は手遅れだが、まだ小学生の弟に追い抜かれるのは姉としての威厳に関わる。
そう思い、たくさんの牛乳を飲んだのだけれど、牛乳で大きくなれるというのは単なる俗説だと痛感することしかできなかった。
中学校は小学校よりもさらに遠く、新しく買ってもらった自転車で通うようになった。
土を固めただけのあぜ道を炎蔵がこぎ、その荷台に私が乗る。
自転車の二人乗りは禁止されているけれど、炎蔵は人ではないので人数にカウントされない。
それにわざわざ田んぼのど真ん中を見張るおまわりさんもいないので、なんら問題はない。
中学校では飛んで登校することは禁止されていないけれど、スカートで飛び回ると近所の|子供《ガキ》がのぞいてくるのでやめた。いまのところはチャリ通を続ける予定だ。
あと単純に高いところが怖くなったというのもある。
幼い頃の私は怖いもの知らずだったのだなと実感した。
下校途中の薄暗い道を、私を乗せた自転車がフラフラと走る。
炎蔵は暗い場所では物が見えにくいらしく、帰宅は暗くならないよう気をつけているのだが・・・・・・今日のように遅くなってしまう日もそう珍しくはない。
山に隣接する道を移動していると、不意に不自然なものが視界に入った。
「炎蔵とまって!」
「なんだいきなり?」
「いま、竹藪んとこ誰かいた!」
制止をよびかける炎蔵の声も聞かないまま、荷台から飛び降りると山をかけあがる。
途中に隠すようにとめてある軽トラをみつけると、疑問は確信に変わった。
最近、このあたりでは私有地に生えた山菜や竹の子を勝手にもっていってしまう不届きな輩が現れる。
それもひとつふたつならまだしも、大量に、そして根こそぎもっていくということから、どこかの業者が盗みに入っているのではという話だ。
案の定、駆けつけた先にいたのは見知らぬ男たちだった。
作業着姿ではあるものの見覚えはなく、このあたりの人間じゃない。
「ドロボウいけないんだぞ!」
「いや、俺たちはここの家の人に頼まれてだな・・・・・・」
「だったら、ここの山が誰のものか言ってみなさいよ!」
即座に出された追求に、男たちは言い返せない。
そして私が「お巡りさん呼んでくる」ときびすをかえすと、その態度を一変させた。脅しかけるように声をだした。
「なんだ突然、このクソガキ。教育してやんぞ」
男は私の腕をつかむと、怒気を孕んだ声をあびせかける。
正義の無敵さを信じていたけれど、それが直接的な自衛につながらないことを、この時に初めて知った。すべての人が規則を遵守しているわけではないとも。
反抗する私に男が拳を向けようとする。
するとそれを制する声が割り込んだ。
「貴様ら、まや子に何をしている!」
自転車を置いた炎蔵が、ようやく追いついたのだった。
男たちは、私の援軍にうろたえていたけれど、結局は暴力を頼りに、事態の打開を図った。
男の拳が炎蔵めがけて放たれる。
喧嘩などロクにしたことのない炎蔵は、それをモロに受けてしまう。
炎蔵がたいしたことないと知ると、男たちは一方的な暴力に酔いしれた。
「やめて、やめてよ! お願いだから!」
腫れ上がっていく炎蔵の顔に耐えられなくなった私は、悪党どもに訴え願う。されどその言葉は彼らの胸に響きはしなかった。
「まや子、そんな奴らに、懇願するのはやめろ」
それは炎蔵のものとは思えない声だった。
生まれたときから、ずっと温厚だった炎蔵が、怒りに満ちた声を発している。
そしてその口から紅蓮の炎を吐き出した。
炎が男たちをひるませると、炎蔵はその隙を見逃しはしなかった。
大地をえぐるような低位置から、アッパーをくりだすと男のアゴをうちぬき、見事逆転勝利を収めるのだった。
温厚な炎蔵が、炎を人に向けることはない。よっぽど腹に据えたらしい。
……いや、そんなことないか。
たしかに炎蔵はめったに炎を吐くことはないけれど、それは小さい頃にボヤを出しかけたせいだ。
その頃に必死で教育した成果なので、優しさとかは関係がないな。
男の頭にウンコをする姿をみながら、そんなことを思った。
「ねぇねぇ今日、マーヤちゃんちに遊びにいっていい?」
「炎蔵くんいる?」
先日、ドロボウ騒ぎが新聞に載ったおかげで、炎蔵はすっかり有名人である。
もともと興味があったけど、きっかけを掴めずにいた子らが私に話かけてくるようになった。
中学校に入ってから、生徒が倍増したせいで、顔見知りもこれまでより増えた。
友達と呼んでいいかわからない距離感の相手だったけれど、これをきっかけに友達と呼んでも問題なさそうだ。
私は『いいよ』と快諾すると、彼ら彼女らを自宅に招いた。
炎蔵が私らの遊びにつきあってくれるかは半々くらいだった。
なんでも近所に悪い人間がいないかちょいちょい警邏にまわっているらしい。
それでも炎蔵が一緒に遊んでくれた日は、みんな喜んでくれた。
この頃の私はちょっと浮かれていた。
炎蔵はヒーローで、私は彼のヒロインなのであると。
先日の事件が、やはり自分こそ物語の主人公であると確信させたのである。
でも、実際のところそうではなかった。
たまたま私がいないところで、友人らが話しているのを聞いて、そのことに気づかされた。
――小山田まや子は調子にのってる。
――たいして可愛いわけでもないのに。
――ちょっとペットが珍しいだけ。
私の中に形容しがたい感情が無数にわきあがり、グルグルとまわりはじめる。
でも、彼女らの指摘はもっともなのだ。
すごいのは炎蔵であって私ではない。
勉強は相変わらずだし、運動だって中学校に入り競争相手が増えてからは目立たなくなっていた。
そのことに気づいた私は、これまでの生き方を改めて勉強もしっかりするようになった。
成績があがったので父親は褒めてくれ、母親も喜んでくれた。
おかげでお小遣いをあげてもらえたけど、出費も増えていたのでようやくといった気分だった。
あと、弟や炎蔵と一緒にお風呂に入らなくなったのも、この頃だったと思う。