テラーノベル
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さぁ、終わらせに行きましょう!
昨日、人生初の指紋採取をされました!
かぁんっとアスファルトを硬いもので殴りつける音が響く。
街灯で照らされたそれを確認すると、ドラマくらいでしか見たことないんだけど、と思えるような鉄パイプだった。殴られていたら確実に怪我をしていただろうというそれを、間一髪で若井の腕を引っ張って引き寄せて避けることに成功はしたけれど、その反動で2人してアスファルトに転がるように倒れ込んだ。
僕はお尻を、若井は膝を打ちつけていたし、驚きと恐怖で脚が震え、すぐに立ち上がることができなかった。
ゆらめいた影が僕らを見下ろし、ガリっと鉄パイプがアスファルトを削る。僕は若井の腕をつかみ、若井も僕の腕を掴む。お互いにかばいあいながら、少しでも距離を取ろうともがいた。
「……どうして、そんな……ああ、緊張してる?」
そんな僕らを見て落とされた声はマスクでくぐもっていたけれど、場違いなほど嬉しそうだった。
何故か既視感を覚える声と言葉に、気持ち悪さが込み上げてきた。
真っ黒なシャツに黒のズボン、黒いキャップを被る人影の背は高く、おそらくは男性だろう。見上げているから余計に大きく見えるのかもしれない。
男は一歩僕らに近づく。
「涼ちゃん!」
「僕と女神の邪魔をするなぁっ!」
若井が僕を守るように前に出ると、目の色を変えた男が叫んで鉄パイプを振りかぶった。
危機的状況になると咄嗟には行動が取れず、やばいということしか分からなくなるようで、でもとにかくコイツは僕に危害を加えはしないだろうと謎の自信を持った僕は、僕の前にいる若井を突き飛ばした。
予想通り鉄パイプが振り下ろされることはなく、僕の横に尻餅をついた若井に逃げて! と叫ぶ。
静かな夜に僕の声が高く響き、その前からの異様な会話に住民の誰かが警察を呼んでくれたのか、何をしている! という声と共にバタバタとこちらに走り寄ってくる人影が見えた。
低く舌を打った男は鉄パイプを捨てて走り出す。
それを1人の警察官が追いかけ、もう1人の警察官は僕と若井に大丈夫ですか、と問い掛けた。
バクバクとうるさい心臓を押さえるように胸元の服を握り締めて息を吐き出し、突き飛ばしてしまった若井に大丈夫!? とにじり寄る。放心状態だった若井は顔を歪めた後に、
「涼ちゃんこそ……なんであんな無茶すんの!?」
と怒鳴ってから僕に抱きついた。若井の震える肩を抱き締め、若井に何もなくて良かったと、僕も安心して涙がこぼれた。
僕らの立場を考えて便宜を図ってくれた警察官は、自分たちが配属された派出所ではなく、地元の大きな警察署の一室に僕らを案内した。初めて乗ったパトカーは、何も悪いことをしていないのになんだか居心地が悪くて、若井も僕もうわぁって顔を見合わせて、おかしくて小さく笑った。
男を追いかけてくれた警察官が、逃してしまって申し訳ありませんと、顔中を汗まみれにしながら頭を下げてくれた。こちらこそ申し訳ないと慌てて頭を下げる。
「涼ちゃん! 若井!」
荒々しくドアが開き、元貴の声が部屋中に響き渡る。
えっ、と驚く僕と若井の元に、痛みに顔を歪めながら元貴は駆け寄る。
「怪我は!?」
僕の肩を掴んで鬼気迫る顔で詰め寄る元貴に、だ、大丈夫、と答える。若井も同じように困惑しながら、俺も、と答えた。
第三者の目があるのも関係ないと言うように、元貴は僕を抱き締めた。そして、消え入りそうな小さな声で、よかった、と呟いた。
心配をかけてしまったとは思うが、ここにいていいのだろうか?
元貴の荷物を託したマネージャーに連絡を入れたから、そこからチーフに連絡がいって、元貴の耳にも入ったのだろう。もしかしたら連絡を入れたとき、マネージャーはその場にいたのかもしれない。
元貴と一緒にここに来たチーフも、僕らの姿に安心したように目元を押さえた。1日にメンバー全員が怪我したなんて、笑い事じゃ済まないもんね……。あとで社長にも怒られそうだな、これ。
取り敢えず病院に戻る気はなさそうだから、安静にするべき元貴を椅子に座らせ、僕らも改めて椅子に座って、派出所の警察官ではなく、傷害事件なんかを担当しているという刑事と向き合った。
「不審者に心当たりは?」
当然訊かれる質問に、少しだけ俯く。
元貴に怪我をさせて、若井を危険に晒して、これ以上黙っているのが得策なわけがない。僕の家だけじゃなくて、相手は元貴の家まで把握しているのだから。
俯く僕の手の上に、元貴の手のひらがそっと重ねられた。顔を上げると、元貴がやさしく僕を見ていて、大丈夫だよ、と視線が告げていた。
「実は……」
大きく息を吸って、この1ヶ月のできごとを話し始めた。
突然なくなったリップのこと。
最初に届いた写真のこと。
その次に届いた手紙の内容。
楽屋や控え室、もしかしたら僕の家も盗聴や盗撮がされている可能性があること。
スケジュールも把握されているかもしれないこと。
撮影現場で撮影されたらしい写真のこと。
元貴の顔が赤く塗り潰された写真のこと。
今朝の花束のこと。
そして、元貴の家に届けられた白い封筒のこと。
僕の話を横で聞いていた元貴の顔がどんどんと険しくなり、若井の顔もどんどんと厳しさを帯び、チーフに至っては卒倒しそうになっていた。
調書にひとつひとつ書き込んでいた刑事さんは、担当部署の人間も呼びます、と言って内線電話をかけ、手紙やなんかは保管してありますか、と訊いた。電話で呼び出された生活安全課と名乗った刑事さんに鞄に押し込んであった白い封筒を差し出した。
赤く塗り潰された写真と便箋は家にあるけど、それ以前のものと花束は捨ててしまったと伝える。
「拝見します」
一言断ったあと、僕が受け取った便箋を開く。ついで、元貴の家にあった封筒も開き、中身を取り出した。そっちは僕も中身を知らない。
「……“お前は女神にふさわしくない”」
刑事さんが読み上げた内容に、その場にいる全員が眉を寄せた。どの口が、と吐き捨てた元貴に、刑事さんが苦笑する。
熱狂的ファンがいるんですね、とか、男性なのにストーカーなんて、と馬鹿にされることがなかったことに、もっと早く相談すればよかったと後悔が募った。
その後、いくつかの質問を受けてそれに答え、正式に被害届を出し、封筒と便箋は指紋鑑定や筆跡鑑定に回されることになった。
今夜のところは色々と大変でしたしお帰りいただいて結構です、災難でしたね、と同情してくれた刑事さんに頭を下げて、警察署を後にする。
ストーカーの話を聞いて、家に戻るのも危険でしょうから、とチーフが僕と若井の分のホテルの部屋を取ってくれた。ちょっと怒っているように見えるのは気のせいじゃないだろう。
病院を飛び出してきた元貴は病院に戻るかと思いきや、話しがしたい、と僕らと一緒に一旦ホテルに行くことになった。
車に行くと、僕らを家まで送るはずだったマネージャーが、すごい勢いで頭を下げた。自分が家まで送り届けていたらこんなことにはならなかった、と涙で声を詰まらせた。
マネージャーのせいでは決してないのに、僕の身勝手な行動が生んだ事件だ。
「ちがっ、僕が、勝手に帰ったから!」
「マネージャーは皆さんを護るためにいるのに!」
「それは違う」
謝り合う僕らに、ピシャッと元貴が口を挟んだ。
「マネージャーは、俺らと一緒に戦ってる戦友だよ。今回の件は、こっちに落ち度がある」
僕の落ち度、ではなく、こっちの落ち度……?
元貴が眉を下げて苦笑した。
「俺らが変な意地を張ったからこうなった。もっと早く、ちゃんと話をして相談すべきだった。申し訳ありませんでした」
痛む身体に鞭を打って頭を下げた元貴と同じように、僕も申し訳ありませんでした、と頭を下げた。
マネージャーは首を横に大きく振りながら涙を拭って、ホテルまで送ります、と車に乗った。
ビジネスホテルに着くと、病院にはタクシーで戻るから、とマネージャーを帰らせようと元貴が言うが、頑としてマネージャーは譲らなかった。
できるだけ手早く済ませるから、と約束して、ツインの部屋に3人で入った。
「涼ちゃん、スマホ貸して」
ベッドに僕と若井が並んで座り、元貴とは向かい合い、元貴にロックを解除したスマホを差し出す。
SNSアプリを起動し、検索画面に文字を打ち込む。
「こいつ、見覚えない?」
返されたスマホを、若井と一緒に覗き込む。名前にも顔にも見覚えがなくて首を横に振る。若井もわからないらしく、だれ? と訊いている。
元貴は覚えてないならいいかなって思ったんだけど、と言ってから、
「涼ちゃんがリップモデルやったときに、絡み写真とか抜かして割り当てられたモデル」
と続けた。
リップモデル……あ!
完成した写真しか見ていない若井は首を傾げるばかりだが、僕はしっかりと思い出した。男と対峙したときの、嫌な既視感の正体が分かった。
「えっ?」
思い出したとはいえそれがどう繋がるのかが分からず、画面を見て、元貴を見て、と視線を右往左往させる。
「あのあと、正式に事務所から抗議してもらったんだよ。不測の事態とはいえ、契約にないことをしないでほしい、今後は関わることがないように、って。要するに共演NG出したんだよね。化粧品メーカーからは謝罪も受けてる」
「い、いつの間に……」
化粧品メーカーからの個別オファーを受け、元貴の助けもあってあのお仕事自体は成功をおさめた。リップの売り上げも好調で、次も是非とお話をいただいていたけれど、元貴とチーフが契約書を見て突っぱねていた気がする。
僕としては元貴に心配と迷惑をかけてしまったし、あんな思いをするのはもうたくさんだから、貴重な経験をさせてもらった、と満足をしていたからすっかり忘れていた。
「涼ちゃんの撮影が始まって暫くして、事務所管理のアカウントの方に“僕と女神の邪魔はできない”ってこのアカウントからメッセージが届いたんだよね。それで慌てて共演者リストを確認したら名前があった、ってチーフから報告を受けたのが、あのとき」
絶対零度の微笑みで空気を凍らせていた元貴の姿を思い出す。
だからあのときあんなに怒ってたのか、とようやく合点がいった。チーフが元貴の意向を確認したのもなんとなく分かった。僕がお仕事に専念できるように、余計な情報を与えないようにしてくれたんだ。
「でもさ、なんで涼ちゃんの家とかスケジュールとかバレてんの?」
「それが分かんないんだよね。チーフにそれとなくうちのスタッフを探ってもらってるけど」
若井の疑問に元貴が苦虫を噛み潰したような表情を作った。確実に内通者がいるのだろうが、それが誰かまだ明らかになっていないらしい。
僕は男がアップしている写真をなんとなく眺める。直近の投稿は、僕が出演した映画の現場だったり告知だったり、表向きなんでもない写真が並んでいる。
出演者としてあの現場にいたなら、誰も怪しむわけがない。関係者としてそこにいたんだから。
「現場には基本的にマネージャーがいるし、接触がないならいいかなって思ってたんだけど……こんなことになってるなんて思ってなかった」
こわかったでしょ、と元貴がやさしく、慰めるように言ったあと、真剣な表情を作り直した。
「……クリエイターに挨拶に行ったとき、こいつ、あそこにいたんだよね」
「まじ!?」
「うん。逃げたこいつ追いかけて、……まぁ、落ちた。さっきチーフから聞いたけど、入り口の防犯カメラに映ってたって」
じゃぁあのビルからずっと、僕らの動向を見ていたんだろう。それで、僕と若井の後をつけて……。
ぎり、とスマホを握る手に力が籠る。そんな僕の手にそっと自分の手を乗せてスマホを取り上げた元貴が、若井と座る位置を変えて僕の横に座った。
「余計なこと考えずに涼ちゃんには芝居をして欲しかったから言わなかった」
「俺も、元貴に余計な心配かけたく、なくて……」
お互いを想っての行動が、全て裏目に出た。だから、こっちの落ち度、で、若井にもマネージャーたちにも、たくさん迷惑と心配をかけてしまった。
「とにかく、暫くはホテルに泊まろう。チーフから社長に報告は行くだろうから、社長の判断待ちな部分はあるけど」
うん、と3人で頷き合う。
何も解決していないけど、少しだけ肩の荷が降りた。
元貴がちら、と若井を見ると、へいへい、と答えた若井が立ち上がって洗面所に入った。扉まで閉めてくれる優しさに元貴と顔を見合わせて笑った。
元貴がゆっくりと僕を抱き締め、僕も元貴の身体をやわく抱き返した。
「……怪我がなくて、良かった」
噛み締めるように言う元貴に、うん、と泣きそうになりながら返す。元貴のあったかい手が僕の頬を包み、唇がくっつきそうな距離で視線を合わせる。
「ちゃんと休んで。いい?」
「元貴こそ。ちゃんと怪我、治して」
うん、とゆるく上がった元貴の唇に触れるだけのキスをすると、小さく動いた元貴の唇が僕の唇を塞いだ。
あまり長く洗面所に若井を押し込んでおくわけにはいかないから、一度だけ深いキスをして、ぎゅっと抱き合って見つめ合った。
「……愛してるよ涼ちゃん」
「俺も、愛してるよ、元貴」
あのとき言えなかった言葉を、やっと伝えることができた。
ホテルに宿泊するようになってから2日目、事件は急速に解決に向かった。
救急搬送された元貴の件と、僕と若井が不審者に襲われた件はニュースで大きく取り上げられ、瞬く間に拡散された。
元貴の転落は事故、ということになっていたが、僕と若井を襲った男に関しては目撃者の存在があまりに多く、封殺することができなかった。警察に真偽不明な目撃情報やパトロールの強化を要請する電話が多数寄せられたらしく、それもまた申し訳なかった。
情報化社会というのは恐ろしいもので、頼んでもいない私的な自警団なるものができあがる事態にまで発展したらしい。
そんな状況が落ち着くまではテレビ出演なんかも控えようとなった昨夜、特に普段交流するわけではないが、僕が住んでいることくらいは知っているだろうマンションの住民が、不審者がいると警察に連絡を入れたのがきっかけだった。
僕の家のドアの前で、鍵が開かない、と男が喚いてたのだそうだ。チーフから報告を受けた社長が、僕と元貴の家、念の為に若井の家の鍵をすぐに取り替えており、男が持っていた鍵では解錠することが叶わなかったのだろう。
すぐに駆けつけた警察官に取り押さえられた男は、自分はここに住んでいると抵抗したらしいけれど、もちろんそんなことはない。警察署へと連行された男は取り調べで意味不明なことを言っているらしいが、ストーカーの虚妄からくる証言がどこまで裏が取れるか分からないけれど、ひとまずは安心してもいいでしょうと担当刑事さんが教えてくれた。
男の指紋は僕と元貴の元に届いた便箋に付着した指紋と一致し、言い逃れのできない物証となったらしい。
男が鍵を持っていたことにはおののくばかりだけど、それよりもっと怖かったのは笑顔を崩さない社長と話をしたことだった。
基本的に叱責したり怒鳴ったりすることのない社長は、入室した僕を見るなり「何か言い訳はあるかな?」といつも通りの笑みを浮かべた。
なんの言い訳もできない僕は、ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした、と素直に頭を下げた。
小さく溜息を吐いた社長は、今後はすぐに相談するようにと言い聞かせるように言って、僕と一緒に呼び出された元貴を静かな目で見つめた。
頭部に異常は認められず、全身打撲は自然治癒に任せるしかないと退院した元貴は、社長の視線を受けてやわらかに笑った。
今度は大きな溜息を吐いた。
そしてポケットから鍵を取り出し、僕に向き直って、今の家を引っ越すように、と告げた。
元貴の部屋の隣室を買い上げたらしい。すみません、と頭を下げて受け取ると、元貴が嬉しそうにお隣さんだね、と笑った。
そんな元貴を呆れたように見た後、引っ越し作業の日時を言って、もう行きなさい、と僕たちを解放した。
なんだか呆気なくことが終わったことを不思議に思いながら、それでも脅威がさったならいいか、と思い直して、元貴を腕に引っ付けたまま、失礼します、と社長室の扉を開けた。
「内通者が早く見つかるといいんだが」
扉を出る瞬間、社長が独り言のように呟いた。
足を止めた元貴が社長を振り返る。
「俺もそう願ってますよ」
表情は見えないけど、冷ややかな声が元貴の怒りを表していて、ぞくっと背中に悪寒が走った。事務所内にそんな人がいると思いたくないんだろうな。
社長が肩を竦めて追い払うように手を振る。
小さく会釈をしてドアを閉めると、廊下で待っていた若井がどうだった? と心配そうに眉を下げた。
なんか学校で先生に怒られた生徒の気持ちだった、と答えると、なにそれ、と安心したように笑った。
「よーし、心配かけたお詫びに今日は俺が焼肉奢っちゃうっ」
「まじすか藤澤さん!」
「あざーっす! 高いとこ予約しようぜ!」
わぁわぁとじゃれあい始めた元貴と若井を目を細めて見つめる。
こうして3人で、なんでもない日常を過ごせることがたまらなく嬉しかった。
終
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コメント
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なななんと、あの時のモデルさんだとは😇 衝撃でした💥最後まで全然わかんなくて、サスペンス感満載でした👀 そして私も内通者が気になります🤔💦 完結、ありがとうございます🫶
予想外れてました🤣全然わからなかったー!!まさかあの時のモデルさんだとは!面白かったです!!!最高! 急展開で犯人分かりましたけど、内通者は???続編期待してます🤗 あと、社長出てこないかなぁと待ってたので、登場してくれて嬉しかったです!社長の安心感!待ってました!!🥰
うわ、あのモデルさん? 魔王に脅されて退散したのかと思ったら、諦めきれてなかったんですね!! 最初にリップが盗まれたのも、もしかしてあの撮影があったから?って思ったら、なんか辻褄が合ってて、なるほどなぁって✨ でもこれまだ答え合わせ終わってないんですよね? 私もあれ⁇って思ってたら最後 ? で、あはー、続くんだ💕 ってめちゃくちゃ楽しみになりました✨